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中東、シリア・アラブ共和国。
アラビア半島の付け根に位置するシリアは交通・文化の要衝であり、首都である古都・ダマスカスが有名だ。

だが、残念なことにその歴史でも、世界遺産の古代都市でもなく、シリアといえば現在進行形で続いている戦場として認識されていると言わざるを得ない。
2011年から続くシリア内戦(シリア騒乱)は、5年間で47万人が死亡したと言われ、戦後史上最悪の人道危機として世界から注目されている。

そんなシリア内戦の生々しい「今」を伝える戦慄のドキュメンタリー映画『ラッカは静かに虐殺されている』(2017年/92分)が、公開中だ。
監督は、『カルテル・ランド』(2015年/100分)でメキシコ麻薬戦争の最前線をトラウマ級の映像をもって世界に知らしめたマシュー・ハイネマン。
ハイネマン監督は市民ジャーナリスト集団「RBSS」と信頼関係を結び、IS(イスラム国)に占拠されたラッカの現状を前作以上の衝撃映像で発信する。

また、同じくISに占領されていたものの奪還されたシリア北部のコバニで、街の復興を目指し立ち上がる人々を追った映画もロードショー中だ。
ドキュメンタリー映画『ラジオ・コバニ』(監督:ラベー・ドスキー/2016年/69分)で、まだ復興には程遠いコバニでの衝撃的な場面も散見されるが、目を逸らさず観てほしい。
ラジオ番組「おはようコバニ」を放送する大学生・ディロバンの笑顔に、シリアの「これから」を感じるはずだ。

『ラッカは静かに虐殺されている』は、シリアの「今」。
『ラジオ・コバニ』は、シリアの「これから」。
そして、シリアの「それまで」を描いたドキュメンタリー映画が、緊急公開された。
アルフォーズ・タンジュール監督『カーキ色の記憶』(2016年/108分)だ。

『カーキ色の記憶』

タンジュール監督のカメラは、アサド体制に疑問を呈し、シリアを離れなければならなくなった人々の姿を追う。
作家・サミュエルは、遠く離れたシャーム(ダマスカスの別称)の自然や街並、暮らしに想いを募らせる。
芸術家・ハーリドは、「カーキ色は、上から被せて汚れを隠すための色」だと言う。
体制を批判し弾圧されたアマーセルは、「シリア人には血球が3種類ある。赤血球、白血球、そしてカーキ色の血球」と語る。
映画プロデューサーのシャーディーは、国を追われ難民となった今でも作品を発信しようとしている。
そして、シリアを追われ祖国に想いを馳せる者が、もう一人いる。
誰あろう、アルフォーズ・タンジュール監督その人だ――。

2018年5月、名演小劇場(名古屋市東区東桜)では『カーキ色の記憶』公開に合わせ、初週舞台挨拶が開催された。
映画の字幕を担当した、アラブ政治思想・シリア文化が専門の岡崎弘樹(中部大学講師)氏が登壇し、5月19日(土)には映画に登場するシリア人作家であるイブラーヒム・サミュエル氏が、20日(日)にはアルフォーズ・タンジュール監督が、それぞれインターネット中継で発言した。
名演小劇場ではインターネットを経由しての舞台挨拶は初の試みだそうだが、今作品でのインターネット中継の舞台挨拶自体が日本初という貴重な機会であった。

以下、トークを可能な限り再現してみる。

5月19日(土)舞台挨拶より


岡崎弘樹 私が若い頃シリアに旅行した時、レストランで男性2人が喧嘩を始めたんです。何故かというと、会計の時に「俺が払う」とどっちも譲らず、最後は掴み合いの取っ組み合いまでするという……「変な国だな」というのが最初の印象でした。でも、独特の文化もあって「ここに住んでみたい」と思ったんですね。シリアは、春が一番綺麗な季節です。シリアの人たちは人懐っこい感じで、市場に行くと大体5~10くらい会話をしないと物が買えないんです(笑)。敬虔なイスラム教徒の方もいれば、世俗派の方も、クリスチャンもいます。私なんかは一緒にお酒を飲んだり、楽しい人たちと過ごしたんですけど、実はその人たちは日本では中々想像できない経験をされてるんですね。「ル・モンド誌」の一面に出てたりするこのジャーナリストは、若い頃政府を批判しただけで監獄に16年間収監されていました。このジャーナリストの妻もまた若い頃に数年間収監されました。彼女はその後、2011年からダマスカス郊外の東グータで人道活動をしていましたが、その後拉致されて行方不明です。9年くらい収監された人、16年間収監された劇作家……日本には中々ない状況が普通となっています。

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岡崎 特にこの映画で問題になった1970年代後半~80年代前半にかけては、「政治犯」と呼ばれる人だけでも17000人いました。1982年ハマの大虐殺では、市民10000~40000人が殺されたと推測されています。今の内戦で市民は誰に殺されてるのかというと、世界ではISに注目が集まっていますが、ある市民団体の統計では9割以上がアサド政権に殺されているとされています。一方的な殺戮が行われているのが実情です。

岡崎 シリアにせよ、他のアラブ諸国にせよ、市民一人ひとりの要求は政治の中に反映されにくい仕組みになっています。独裁政権自体も、国際社会に支えられています。そして、独裁政権に暴力を以て対抗する過激派と言われる人々の活動のみが目立っております。逆に、社会の内側からちょっとずつ世の中を変えていこうとする方々は、収監されたり、国を追われてしまう……そんな悪循環があります。イブラーヒム・サミュエルさんも、3年間投獄されています。その後、作家として成功されて、彼の短編小説は欧米語にも訳されていますし、日本語でも私が文学選の中で訳した作品があります。と同時に、サミュエルさんはアラビア語講師としても有名で、日本の学生だけでも恐らく50~100人くらいの方がシリアで、もしくは今お住まいになってるヨルダンのアンマンで、授業を受けたことがあるはずです。

イブラーヒム・サミュエル 今日はご来場いただき、誠にありがとうございます。こういった形でお話できることを、本当に嬉しく思います。本来私は日本に来れることは無いんですけど、SNSなど最新の技術を使って皆さんと直接的にコミュニケーション出来るということ自体に喜びを感じています。私は短編小説を書いておりまして、小説家として生計を立てております。と同時に、アラビア語の教師でもありまして、30年くらいのキャリアがあります。シリアを離れ、亡命しアンマンで暮らして5年くらいになりますが、今もアラビア語を教えています。

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サミュエル タンジュール監督の『カーキ色の記憶』は政治について語っておりますが、独裁について直接的に語るのではありません。芸術として、独裁下で暮していた人々の声で、その生活がどうであったかを描いた作品です。カーキ色というのは、独裁政治の、軍事独裁の象徴です。それは、現在まで続いている問題です。この映画はニュースのように日々のシリア情勢を伝えるのではなくて、歴史的にシリアの人々がどのように苦しんできたかを芸術的な形で伝える作品です。

岡崎 シリアでは、国民の半分以上が住んでいた家を追い出され、4分の1以上の人が国外に出なくてはならない状況です。しかし、世界はまだシリアを助けることが出来ない……まさに見棄てている状況が続いています。イブラーヒムさんは、そんな状況をどう思っていますか?

サミュエル バッシャール・アサド政権になったのは2000年からですけど、私はそれ以前、彼の父のハーフィズ・アサドの時代から生きてきました。一つ言えることは、シリアというのは「恐怖の王国」でした。恐怖を全て内面化しながら生きていく国でした。今は、恐怖の国から「破壊と戦争の共和国」に変わりました。今、過激派の問題がありますが、過激派とは独裁政権によって作られたものです。アメリカも、「ビン・ラディン自体は米国が作り出してしまった怪物だ」と認めたことがあります。このような政治ゲームが行われているのです。現在ではシリアの半分以上の人々が、国外に行ったり、殺されたり、家を失ったり……悲劇の渦中にいます。

Q. シリアの国内問題ではなく、アメリカとかロシアとか中国とかが介入し問題が大きくなっていると感じます。私たちが考える解決策は、第三者の考えです。当事者からしたら、何がシリアの問題を解決する糸口になり得るとお考えですか?

サミュエル 人間の体でも、どこか病気のところがあれば、悪い部分を治さなければいけません。シリアの問題の根本は、独裁政権、もしくはその体制にあると思います。従って、独裁政権を何とか倒していかない限り、体制を何とか変えていかない限り、この病気自体が治ることはありません。シリアは、アサドのものではありません。シリアの人々のものです。それを、今もう一度確認したいと思います。例えば、ドイツを「メルケルのドイツ」とは言わないですよね。シリアは「アサドのシリア」……私的所有物になっています。これを変えていくことが、解決の糸口だと考えます。

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Q. 調べてみると、バッシャール・アサド大統領は9割くらいの得票率だと知りました。これはどういうことなんでしょう?

サミュエル 実際のところ、シリアには選挙はありません。あるのは、治安機関です。大統領への信任投票といえども、YesかNoかのNoという投票自体があり得ません。Noと投票したら、そのまま治安機関に連行される……そのような現実があります。イタリアであれ、日本であれ、ドイツであれ、アメリカであれ、選挙が実施されて誰かしらの政治家が選ばれる訳ですが、シリアに関しては選挙という「枠組み」が存在するのみで、現実は何か選挙で政治家が選ばれるということはないんです。チリのピノチェト政権であれ、スペインのフランコ政権であれ、ドイツのヒトラーの時代であれ、選挙は無かった……あったとしても、実質的な機能を奪われていました。シリアは、その状態が続いているのです。

Q. 日本は、シリアの現状に対してどのように改善、貢献をすべきなんでしょうか?もしくは、干渉しないでほしいと考えられているんでしょうか?

サミュエル もちろん、あらゆる支援というものは本当にありがたいんです。ただ、政治的次元の問題において、あらゆる各国の政府は、シリア人の民主主義への取り組みに関しては、全く充分な支持をしてこなかったという現実があります。国際社会は、自由や民主主義を求めた人々の立場を支援してこなかったんです。しかし同時に、色々な人道的支援は本当にありがたい……そのような矛盾した状況があります。日本のNGO団体、もしくは政府レベルの様々な人道的支援は、人々の生活にとても重要になっていて、シリア人は本当に感謝しています。と同時に、シリア人が本当の本当に求めているのは、最後の最後は食料とかテント、毛布などの物資ではないんです。シリア人が本当に求めているのは、自由なんです。民主主義なんです。シリア人の普遍的な価値観を体現した何かなんです。それらに対する支援が何かしらあってこそ、食料なり物資の支援が活きてくると思います。

Q. 映画の中で「シリアは、ちょうど日本が敗戦した時にフランスから独立した。だが、その後の経過が全く違った」と仰られたことに驚きました。日本人の観客を意識したとも思えませんが、どんな気持ちで出た言葉だったんでしょう?

サミュエル 第二次世界大戦後、日本はこれだけの発展、ある意味「跳躍」を果たしました。(ハーフィズ・)アサド政権は1970年に設立されたので、ちょうど半世紀くらいになるんですけど、その間シリアは文明的にも文化的にも衰えていくばかりです。そんな訳で、しばしばシリア人は日本の経験を引用します。シリア人、アラブ人の中で、共有されている世論なんです。そりゃ、日本にも色々な問題はあるでしょう。でも、日本において自由や人権に関する問題は、シリアに比べれば保障されているのではないでしょうか。シリア人は「日本に見習いたい」という思いをしばしば共有しているんです。

Q. SNSやインターネット動画などで不確かな情報が出回っていますが、もしシリアについて間違った情報が流布されているなら、具体例を教えていただけますか?

サミュエル そもそも、真実とフェイクは紙一重です。常に繋がっているもので物凄く難しい問題なので、プロパガンダに利用されてしまうのでしょう。SNSじゃなく、普段の生活でもあるのではないでしょうか?「この人は良い人だ」と思って付き合ってみると、実は仮面を被っていた、物凄く悪い人だったということもあるでしょう。実際見ていても、仮面か素顔か見分けるのも難しい現実があります。そんなプロパガンダに長けていたのは、ハーフィズ、バッシャールというアサド親子です。真の独裁者というものは、「私、独裁者です」という顔はしません。見掛けは凄く優しくて、「自分は民主主義者で、自由を重んじて、人権を尊重して……」という顔をしています。バッシャール・アサドの妻は女優みたいで、まるで「この人が、この国に自由や民主主義を与えてくれるんじゃないか」と思わせる程です。嘘と仮面を内実とずらすような巧緻に長けているんです。

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サミュエル 「体制の素顔」について分かりやすい話をすると、例えばテロリストが欧米あるいは日本に入ってきて、何処かで爆破事件を起こしたとします。普通の国なら、政府は警察を送って対処するでしょう。ところが、シリア政府は戦闘機を導入して、爆破された街ごと全部破壊するのです。そういうことが、シリアでは行われているんです。戦闘機はテロリストではなく、市民を殺している……そんな状況があります。

Q. 映画の中で発禁本の話がありました。作家でもある先生から、読書の力というものを是非教えていただきたいです。

サミュエル もちろんシリアにも発禁本の時代がありましたが、結局のところ独裁政権は「本では社会は変わらない」ということも分かっているので、ある程度は認めて、こっそり読む行為も社会の中である程度は黙認されています。ただ、読書というものは、知性と精神を常に甦らせ、活き活きとさせる機能があるので、私は今も新しい本を様々に読んでいます。

Q. 2016年リオデジャネイロ五輪で、シリアの難民の女性、ユスラ・マルディニ選手が競泳に出場しました。プロパガンダとまでは言いませんが、彼女を一つのケーススタディにすることで、西側のシリア難民に対するパブリック・オピニオンの情報操作を感じました。難民についての報道のされ方を、シリアの方はどうお感じですか?

サミュエル メディアそのもので、完全に自由を体現したものは存在しません。それは西側であれ、アラブ諸国であれ、同じです。西側のメディアが一人をヒロインとして扱うことに疑問がない訳ではないですが、それはアラブのメディアでも全く一緒です。シリアに関して何が真実かを報道してもらうために皆さんにとって一番良い手段は、戦争の無かった時代にシリアにいた日本人で理解の深い方に話を聞くことだと思います。戦争以後に流されている情報と、戦争以前にどのような独裁政治があったのか、いかに人々が恐怖を内面化していたのか、それらを語ってくれる人にお話を聞いて、真実に近付いていってくれればと思います。

5月20日(土)舞台挨拶より

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岡崎弘樹 アルフォーズ・タンジュール監督は私と同い年で、1975年生まれです。東欧のモルドバで映画の学位を得た後、シリアに帰って短編映画などを撮っていました。その後「アルジャジーラ・ドキュメンタリー」でテレビのドキュメンタリーを撮られて、今回初めて劇場版の映画を製作したんです。そうしたら、見事昨年の「山形国際ドキュメンタリー映画祭」(YIDFF)で最優秀賞(山形市長賞)を獲得しました。今後、益々新しい作品が期待できる監督です。

アルフォーズ・タンジュール監督 今日皆様とこういう形で繋がれる、コミュニケーション出来るということを本当に幸せに思っております。『カーキ色の記憶』の制作期間は、3年半でした。元々ダマスカスにいた頃から構想を練っていたんですけど、2011年にシリア危機が始まって、私はその後ベイルートに一時退避しました。ただ、ベイルートにも長くいられなくて、結局ベイルートからヨーロッパの方に脱出、亡命し、最終的には、オーストリアに行きました。大勢のシリア難民と同じように、私も欧州に逃れたんです。その際ずっとプロデューサーのルアイ・ハッファールと協力し、ある意味私自ら難民となりながら、撮影を試みました。

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タンジュール監督 私は映像作家で、ジャーナリストではありません。だから、シリアの状況を、映画を通じて伝えようとしました。2011年以降、世界はシリアで何が起こっているかを注視してきました。それまでシリアに注目してなかった国でも、毎日のようにシリアのニュースが流れるようになりました。報道は、日々の戦火の中で、子供が死に、街が破壊され、人々が逃げ惑うような状況を伝えてきました。そのような映像が流れる中で「自分は、映画として何が作れるのか?」と、向き合わざるを得ませんでした。その中で私は、そのようなニュースとは別のやり方で、映画を作ろうと試みました。その時に選んだのは、やはり自分の経験に基づいて、自分の友人との関係を起点にして物語を生み出すという手法でした。そうすることによって、ニュースとはまた違う、より真実味を持った作品に近付けるのではないかと考えたんです。この映画で取り組んだテーマは、「記憶」です。現在のシリア危機が、何故起こったのか、その原因を探るという意味で、この映画では「記憶」に拘りました。またこの映画を作る上で特に重要視したのは、ある意味「詩的な表現」に拘ることです。シンボルを使ったり、色を使ったり、語りを入れたり……ニュースとは異なる、何かしら芸術的な形で仕上げていくことを試みました。

Q. アルジャジーラが今回の作品のように映画制作に携わることは、一般的なことなんですか?

タンジュール監督 「アルジャジーラ・ドキュメンタリー」は、これまで劇場映画の製作には関わってきませんでした。基本的には、「アルジャジーラ・ドキュメンタリー」のチャンネルで放映する作品を作ってきたんです。私自身、2008年くらいからこのテレビチャンネルの番組を撮っていました。実はこの『カーキ色の記憶』は、アルジャジーラ・ドキュメンタリーが初めて作った劇場映画なんです。ちょうどアルジャジーラ・ドキュメンタリーの経営陣に「そろそろ劇場映画も作ってみたい」という思いがたまたまありまして、そこに私の企画が合致して偶然できた、最初の、ある種「お試し」の劇場用映画なんです。もう一つ重要なのは、同時にアルジャジーラ・ドキュメンタリーはお金は出すんですけど、監督がどのようなものを、どうやって作るかという点には介入しないという条件だったんです。そんな訳で、本当に自由に作らせてもらいました。

Q. アンドレイ・タルコフスキー監督の『ノスタルジア』が印象的に使われていましたが、これは難民のイメージからの引用でしょうか?

タンジュール監督 私は旧ソビエトのモルドバで映画を学んだので、若い頃ソビエト映画のスクールに属していました。仰るようにタルコフスキーは亡命経験を描いていて、またタルコフスキーは時の経過や記憶というものも扱っているので、今回自分が創りたい作品に合致したんです。さまざまな情景をどのように映像として表現するかということも、彼に影響を受けています。

Q. タルコフスキーの出身地であるロシアは、アサド政権を支援しています。シリアを巡る国際社会について、思うところは多いのでは?

タンジュール監督 シリアと国際情勢との関係は、確かに複雑なんですが……私はジャーナリストではなく映像作家なので、やはり私が焦点を当てたいのは、人々の日々の生活なんです。政治ではなく、人々の生活、そして生活の意識というものに焦点を当て、間接的に政治を語るということがあれば良いと思っています。そこが第一の目的なので、諸国の思惑の詳細については、そもそも映像作家として直接的に描く気はありません。

Q. 日本はほとんど難民を受け入れていません。尚且つ、入国管理局の非人道的な対応が問題になっています。日本の観客に何かメッセージはありますか?

タンジュール監督 シリア難民自体、世界で政治的な道具になっているという問題があります。そもそも各国は難民を怖がっていますが、特にシリア難民を怖がっています。どの社会でも「右派勢力」というのは自分らが選挙戦で勝つために、そんな恐怖心を煽って利用します。欧州の場合は、更にイスラム過激派に対する恐怖心もプロパガンダの中で使われています。シリア人たる自らの経験からも明らかなのですが、そもそも誰も難民にはなりたくないんです。シリアという国は観光資源や天然資源にも恵まれ、農業も盛んで、そもそも飢餓すらも起こりようもないない国だったんです。しかし2011年、人々が通りで自由や民主主義を求めたことに対して、体制側は銃を以て弾圧しました。混乱が混乱を呼ぶ中で、多くの国民は自らの土地を離れざるを得なくなりました。難民を受け入れていないのは日本だけでなく、例えば同じアラブ諸国である湾岸諸国も同様です。欧州でも、ある種のエリート層(の難民)は受け入れながらも、そうじゃない人は受け入れなかったり……色々な差別があるのです。こういう状況に対して、私は特に映画を通して抵抗していきたいと思っています。

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Q. 「シリアがフランスから独立した年と、日本の終戦は同じ年」といった表現があったり、「津波のような光景だった」との表現があったりしました。日本を例えに出したのは、何か理由があるんですか?

タンジュール監督 シリア人も、今住んでいるオーストリアの人々も、日本を美化しているところがあります。とてもシステムが確りしていて、皆仕事熱心で……そういうイメージがあります。イメージだけでなく、実際そういうところがあると私は感じています。去年、山形国際ドキュメンタリー祭に、その後東京の上映会に参加した際、今まで自分が参加した上映会の中でも、本当に類例を見ないくらい凄く満足した時間を味わいました。良い意味での集団主義というか、チームワークというか、そういうものを感じました。ある種のグローバリズムの中で、良いものを維持しているのではないかと感じています。実際、私が使う撮影カメラや編集機材のかなりの部分が日本製で、私自身良いイメージを持っています。そのようなイメージは、シリア人はじめアラブ諸国でも普通に言及されています。津波に関しては、シリアで起こっている人道的悲劇と同じ2011年に起きた震災ということで、そんな二つの悲劇が重なったことでイブラーヒムさんは比喩として使ったのではないかと思います。

Q. 監督は、アサド体制に対する各国の対応をどう思いますか?

タンジュール監督 アサド政権はロシアなどに支持されていますが、長きに亘って「世俗主義の擁護者」や「少数派の保護者」といった、国際社会から支援されるように色々なイメージ像を広め、浸透させることに成功しました。自国民を弾圧する一方で、「イスラエルに敵対する国家」ということでイランの支援を得たりして、アサド政権の存続は今後もある程度見込まれるでしょう。しかしシリア国民自身はアサド政権を信じていないし、国際社会も信じていません。2011年にデモに出て自由や民主主義を求めたんですけど、今は夢を失っている状態です。そして、世界に対する信用を失っているのが現状です。

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タンジュール監督 次また新しい映画も取り組んでいますので、新しい映画が出来た際には昨年と同じように日本に来て、またお客様の目の前で直接お話できる機会があればと思います。本当に、今日はどうもありがとうございます。

益々混迷、緊迫の様相を見せる中東情勢、その最前線たるシリアを理解するために絶好の3作品が、名演小劇場で一気に公開されている。
『ラッカは静かに虐殺されている』は、5/25(金)までの上映。
『ラジオ・コバニ』は、6/1(金)まで。(6/1からの上映は、未定)
そして、『カーキ色の記憶』は、6/1(金)まで、連日19:10からの上映時間にて公開されている。
シリアの、「現在」、「未来」、そして「過去」に触れられるまたとない機会……是非とも、劇場へ足を運んでほしい。

映画『カーキ色の記憶』

2017年度山形国際ドキュメンタリー映画祭最優秀賞(山形市長賞)

監督・シナリオ・編集:アルフォーズ・タンジュール
製作総指揮:ルアイ・ハッファール
制作指揮:イヤード・シハーブ
撮影監督:アフマド・ダクルーブ
音楽:キナーン・アズメ
ドラマトゥルク:アリー・クルディー
美術補助:アラシュ・T・ライハーニー、リンダ・ザハラ
製作:アルジャジーラ・ドキュメンタリー(カタール)
撮影国:シリア、レバノン、ヨルダン、ギリシア、フランス、フィンランド
2016|108分|アラビア語
日本語字幕:額賀深雪、岡崎弘樹
配給:アップリンク
配給協力:『カーキ色の記憶』日本上映委員会

公式サイト:http://www.memory-khaki.com