一人の白人男性が、問う。
「なぜ黒人は悲観する?黒人の市長も生まれたし、スポーツ界や政界にも進出している。黒人を使ったCMもあるじゃないか。これだけ世が変わっても、希望はない?」
発言主は、ディック・キャヴェット――1960年代のキャスターで、『ディック・キャヴェット・ショー』なる自身の名を冠した番組のホスト役を務める程度には一廉の人物だ。
黒人男性は、これに答える。
「希望はないと思っています、問題をすり替えている限りね。これは黒人の問題ではありません。一番の問題は、この国そのものです」
明朗かつ毅然と言い放った彼こそが、『私はあなたのニグロではない』の原作者であり、主人公――小説家、劇作家であり公民権運動家、ジェームズ・アーサー・ボールドウィンその人である。
この僅か数分にも満たない会話を目の当たりにして、思わない人はいないだろう……「ひょっとすると、白人って馬鹿なんじゃないか?」と。
それはまさしく、『私はあなたのニグロではない』監督のラウル・ペック(『マルクス・エンゲルス』2017年/118分 公開中)の言わんとぞするところである。
『私はあなたのニグロではない』は、作家ジェームズ・ボールドウィン未完の遺作『Remember this House』の足跡を辿ることから始まる。
ボールドウィンは生まれ故郷を離れ、フランス・パリで執筆活動をしていたが、黒人として初めてシャーロットのハイスクールに入学する少女ドロシー・カウンツの写真に衝撃を受ける。
「パリで議論している場合ではない。われわれの仲間は皆責任を果たしている」
人種差別の最も激しいアメリカ南部へ旅立つボールドウィン――それはまさしく、3人の公民権運動の指導者と直面することを意味していた。
即ち、メドガー・エヴァース、マルコム X、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアである。
メドガー・エヴァースは、ミシシッピ州出身。
NAACP(黒人地位向上委員会)として活動し、ミシシッピの黒人の指導者的立場であった。
マルコム Xは、ネブラスカ州出身。
ブラック・ムスリム運動を切っ掛けに、アフリカ系アメリカ人統一機構を設立した、急進的公民権運動家であった。
マーティン・ルーサー・キング・ジュニアは、ジョージア州出身。
キング牧師の名で知られ、非暴力主義を標榜しつつ、卓越した戦略眼を持つ稀代の演説家であった。
ボールドウィン自身が“盟友”について多くを語り、肉声が残っていない文書は名優サミュエル・L・ジャクソンが声を当てている。
何れにせよ、全てはボールドウィン自身によって彼らの生き様が……死に様が、明かされる。
メドガー・エヴァース、マルコム X、キング牧師は、1963~68年という僅か5年の間に、全員が暗殺されてしまうのだ。
貴重な映像がふんだんにコラージュされ、観る者を少なからぬショック状態に叩き込む。
当時のフッテージは、ニュース映像に留まらない。
同様にボールドウィン自身が語る問題提起は、芸術論にも及ぶ。
特に、数々の映画作品からの引用に注視してほしい。
そして、ボールドウィンの解説に耳を傾けてほしい。
目から鱗とは、まさにこのこと……上映時間93分の中での、ほんの一部に過ぎないが、ここを観るだけでも入場料を払う価値がある。
モノクロームの銀幕に目が慣れてきた観客は、やがて色を取り戻したスクリーンを観て戦慄するであろう。
かつてのアメリカの闇を観ていたつもりであった私たちは、気付いてしまうのだ……今も尚、闇の真っ只中にいることに!
警官による暴力、銃乱射事件、公民権運動に逆行する政権の台頭……
「ひょっとすると、人間って馬鹿なんじゃないか?」と、観る者はペシミスティックな絶望に陥らざるを得ない。
だが、これはスタートラインであるとも言えるのだ。
遥か2400年前を越えて遺る、偉大なる言葉を思い返すと良い……ソクラテスが曰った、「無知の知」を。
私たちは、極めて愚かだ。だが、愚かであることを知るならば……
それは、未だ成し遂げる術の端緒さえも分からない“Cosmopolitan(世界市民)”への大いなる一歩となるやも知れないのだから――。
映画『私はあなたのニグロではない』
●5/12~ヒューマントラストシネマ有楽町ほか
●5/19~名演小劇場
【配給】マジックアワー
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