
平成30年3月21日、愛知県は雨……しかも、土砂降りであった。



そんな生憎の空模様ではあったが、牛頭山 宝寿院(愛知県津島市神明町)では、3月20・21日の2日間「弘法様まつり」が開催された。

「最初に、私たちで「御詠歌」を唄います。私なんかは、「仏教版賛美歌」って言ってるんですけど(笑)。自分の信仰の歓びだとか、仏様への想いだとか、そういうことを歌にした仏教音楽です」
10時より執り行われた正御影供(しょうみえく)法要に先だち、落合宥貴 副住職の法話が始まった。
大師堂の中では大勢の人が肩を寄せ合い、激しい雨音を物ともせず耳に届く、宥貴師の玉のような声を傾聴していた。

「唱え奉る……」
宥貴さんの口上に続き、宝寿院御詠歌の会の御詠歌が堂内に響き、雨の音はすっかり一同の耳から消されていった。
真言宗智山派の作法に則り、法具が振るわれ、経典が詠まれ、大師堂の空気は益々研ぎ澄んだ物へと変容していく。
堂内の全員の声を合わせた般若心経が響きわたる頃、大音響で震える空気はその音量と反比例し、一層の静謐な境地が大師堂を満たしていくのであった。

「お大師様は1200年前、平安時代の初め頃の方なんですが、仏教の中でもインドから中国へ伝わった密教という教えを、日本から遣唐使の船に乗って学びに行った方です。めちゃくちゃ天才であったものだから、2年そこそこで教えを全部持って帰って、日本で真言宗という密教の集大成を作られたんですね。密教の教えが大成したのは中国ではなく、東の果ての日本で結実したんです。なので、私たちは本当にラッキーなんです。インドでも、中国でも、密教の教えというのは不完全なまま伝わっていたものが、日本では仏教の旧い礎(いしずえ)となっているんですから。今も高野山に登って、お参りされる方が後を絶ちません」

宝寿院では「弘法様まつり」の期間内、年に一度の「寺宝展」が催された。
津島神社の神宮寺であった頃から寺院に伝わる宝物類が一同に展示されるとあって、会場の光明殿はこちらも多くの人で賑わっていた。





「三千佛」の絵画はその御影の数が圧巻だったが、各々の仏様に目を凝らしていくと、一体一体御顔の異なる御姿が印象的だった。
御影仏のひとつひとつが、一心に仏道を究めんとした修行僧の思いを映しているかのようだ。


「お大師様の教えは、死んだ後のことではなく、今なんです。私たちに「幸せにならんで、どうするの?」という、今を頑張って生きる為の教えなんじゃないかと思います。私たちが生きている現代にフィットするような教えが沢山あるんです」
副住職の法話を噛み締め外に出てみると、土砂降りだった雨脚は小止みとなり、暗く立ち込めていた雲の隙間からは薄っすらと春の日が差していた。



弘法大師・空海は承和2(835)年3月21日、62(満60)歳で逝去したとされるが、多くの真言宗の信者によると高野山奥の院の霊廟において今も大師は禅定を続けていると言う。

3月21日は、新(グレゴリオ)暦では4月22日に当たる。
春真っ盛りの今時期は、空海上人の入定に想いを馳せるに、相応しい季節なのだ。

有難や 尾張津島の 宮寺に

南無大師遍照金剛

元神宮寺 真言宗 智山派
牛頭山 宝寿院
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