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朝靄に包まれるバージニア州の森、鳥のさえずりと可憐な歌声が交差する。
か細いハミングに耳をそばだてると、チェックのロングワンピースを着た女の子が姿を現す。
少女は左手でキノコを摘み採り、右ひじにぶら下げたバスケットに入れる。
1864年……南北戦争は、3年目に突入していた。
遠雷のように低く響く地響きは、砲撃の音なのだ――。

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2017年カンヌ国際映画祭の監督賞を獲得した『The Beguiled/ビガイルド 欲望のめざめ』は、こうして幕を開ける。
『マリー・アントワネット』(2006年/123分)『ロスト・イン・トランスレーション』(2003年/102分)のソフィア・コッポラ監督が長編6作目に選んだのは、トーマス・カリナンの小説『The Beguiled』であった。

ドン・シーゲル版『The Beguiled』とは?


実はこの作品、同名の劇場公開映画として、かつて一度映像化されている。(邦題『白い肌の異常な夜』1971年/105分)

南北戦争末期、脚に深手を負い南軍勢力下の森で取り残された北軍の兵士ジョン・マクバニー伍長は、民間人に救助される。森の中の女学院では、戦火を逃れた女教師や女生徒たちが自給自足で生活していた。
手厚い看護によりマクバニーが松葉杖で動けるようになると、男子禁制の生活を強いられてきた女性たちは次第に欲望を露わにしていく。恋情、愛欲、虚栄心、嫉妬、そして憎悪……。怪我が癒え敵軍に引き渡されることを恐れていたマクバニーの心境も、変化を見せていく――。

『白い肌の異常な夜』は、こんなあらすじの物語だ。
主演のマクバニーを演じたのはクリント・イーストウッド、メガホンを取ったのはドン・シーゲル監督……そう、あの『ダーティハリー』(1971年/102分)を世に送り出した名コンビである。
ドン・シーゲルは職人気質の職業監督といったイメージがあるが、監督自身この映画が大層お気入りの作品だったと言われている。

ソフィア・コッポラ版『The Beguiled』とは?

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では、ソフィア・コッポラ監督の『The Beguiled/ビガイルド 欲望のめざめ』はどうなのか。
まず特筆すべきは、19世紀の南部バージニアの空気を湛えた、画面の質感である。
撮影を担当したフィリップ・ル・スールは、フィルム撮影、しかもヴィンテージもののレンズを使うことにより南北戦争当時の雰囲気を画的に表現した。
女性だけの集団に相応しく物資不足の中での最大限のお洒落を再現した衣装、19世紀半ばに建造された実在のメイドウッド・プランテーション・ハウスでの撮影など、格調高いヨーロッパ・ビスタ(アスペクト比 1.66:1)のスクリーンには尋常ではない拘りが詰まっている。

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だが、実は配役の一部やキャスト名に違いがあるものの、あらすじとしては『白い肌の異常な夜』とそれほどの相違は無い。
クリント・イーストウッドが演じたマクバニー伍長を、コリン・ファレル(『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅』監督:デビッド・イェーツ/2016年/133分)
ジェラルディン・ペイジが演じたマーサ校長を、ニコール・キッドマン(『LION/ライオン ~25年目のただいま~』監督:ガース・デイビス/2016年/119分)
ジョー・アン・ハリスが演じたキャロルは、役名をアリシアに変更し、エル・ファニング(『ネオン・デーモン』監督:ニコラス・ウィンディング・レフン/2016年/118分)
エリザベス・ハートマンが演じた教師エドウィナは、キルスティン・ダンスト(『マリー・アントワネット』)
それぞれ身のこなしやダンス、古風なペンによる筆記など時間を掛けた緻密な役作りをして、新たなキャスト像を作り出しているものの、前作と比べて目を見張るほどの変更点は無い。

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そもそも、『白い肌の異常な夜』は興行成績こそ振るわなかったものの、スピーディな展開、巧みな心理描写、閉鎖空間での緊迫感、(申し訳程度ではあるものの)官能シーンによるサービス精神など、エンターテイメントとして一級品のサスペンス・スリラーである。
そんな作品と比べるのも野暮というものだが、上出した特記事項にソフィア・コッポラ版『The Beguiled』が勝る要素は無い。

では、『The Beguiled/ビガイルド 欲望のめざめ』とは、つまらなく、凡庸な映画なのだろうか?
否、なのだ。
むしろ、是非ともお薦めしたい作品なのだ。

ソフィア・コッポラ監督が描いたもの


『The Beguiled/ビガイルド 欲望のめざめ』でソフィア・コッポラ監督が描いたものは、主客転倒の瞬間である。
それまで被害者だったものが、加害者に。愛すべき対象が、嫌悪の対象に。信頼が、恐怖に。
不図したことで容易く変貌する心理の危うさを、その切っ掛けとなる(時として、些細な)出来事を、冷徹なカメラが淡々と銀幕に焼き付ける。
しかも、被害者は加害者に、博愛は嫌悪に、主客は次々と転倒する。

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これは、即ちどういうことか。
コッポラ監督が『The Beguiled』で描いたのは、“戦争が生まれる瞬間”なのだ。
平穏に暮していた隣人同士、ひょんなことから諍いが生まれ、やがては決定的な断裂となる。
挙句の果て、血で血を洗う殺し合いにまで発展する……そう、戦闘状態である。
そして、それは他人事ではない――私たちは、いつでも戦争の当事者となりうるのだ。

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同じ文化圏に暮らし、遠くない価値観を共有し、あまつさえ同一の言語でコミュニケーションを取る。
そんな隣人が、戦争に突入する――『The Beguiled』は、アメリカの南北戦争当時の物語だが……すぐ近くに、今まさに、よく似た話があるとは思わないか。
戦争の原因は、些細なものなのだ――後になって勝利の意義を探そうが、敗北の言い訳を探そうが、詮無きものでしかないのだ。
戦争に大儀など在りはしない……後に残るのは、累々たる死屍の山と、世代を越える憎悪だけなのだ。
ソフィア・コッポラがラストシーンに込めた、壮大な虚無的アイロニーを篤と網膜に焼き付けるがいい。

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物語冒頭アメリア(ウーナ・ローレンス)が口にしていたメロディは、『Lorena』という曲。
戦前に作られたラブソングだが、南北戦争では両軍で歌われ、特に南軍の軍歌として知られている。
こんな美しい旋律、こんな詩的な歌詞を口ずさみながら、人間は殺し合いが出来るのだ。
オープニングで聴き漏らした方、エンドロールで掛かるので、胸に沁みこませ反芻してほしい。

A hundred months have passed, Lorena
百月の往ぬる、ロリーナ
Since last I held thy hand in mine
汝が手、終(つひ)に握りしより


『The Beguiled/ビガイルド 欲望のめざめ』

2/23(土)~
@TOHOシネマズ 名古屋ベイシティ/センチュリーシネマ他

提供:東北新社
配給:アスミック・エース STAR CHANNEL MOVIES

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