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1980(昭和55)年、近田春夫のアルバム『星くず兄弟の伝説』が発売された。
近田にとってソロ名義2枚目のアルバムとなった当盤のコンセプトは、“架空のロックミュージカルのサウンドトラック”。
このアルバム、後に『星くず兄弟の伝説』(1985(昭和60)年/100分)として映像化されることになる。
ロックスター・近田春夫が描くエキセントリックでサイケデリックな世界観を映画化した手塚眞監督は、なんと当時23歳、今作が商業映画デビューであった。

伝説的カルトムービーとなった『星くず兄弟の伝説』から33年、ニューカルトムービー『星くず兄弟の新たな伝説』としてカンとシンゴが帰ってきた。

「この舞台挨拶を決めたのが、ほんの数日前だったんですよね。でも、こんなに沢山の皆さんに集まっていただいて、本当に嬉しいです」

2018年1月27日(土)、シネマスコーレ(名古屋市中村区)公開初日に登壇した手塚眞監督は、そういって笑顔を見せた。

『星くず兄弟の新たな伝説』ストーリー

時は“明成”27年、昭和の時代は遥か遠く――
昔々のバブル時代に「スターダスト・ブラザーズ」として一斉を風靡したシンゴ(久保田慎吾)は、下町のバー「CAMERA」のマスター。過去の栄光を忘れられず、元コンビであるDJ・カン(高木完)を強引に連れ、「リ・エイジングスタジオ」を訪ねる。怪しげな医師(ラサール石井)の実験台にされ、若返ったシンゴ(武田航平)とカン(三浦涼介)は、スターダスト・ブラザーズの再結成を目指す。
シンゴとカンは再びスターになるべく月に降り立つが、月世界は地球で宣伝されているようなパラダイスではなかった。月面都市・ムサシで口の悪い少女(荒川ちか)に案内された芸能プロダクション「アストロ・プロモーション」も、どうしようもないダメ事務所。社長のアストロ南北(井上順)は自称・元ロックスターだが、所属タレントはチェリー喜美雄(藤谷慶太朗)とウサコ……先程の口の悪い少女の二人だけという。
前途多難な新生スターダスト・ブラザーズだが、酔っぱらいの老人(内田裕也)の「スターになりたかったら“ロックの魂”を探せ」という言葉に、藁にもすがる思いで希望を見出す。月の芸能界を牛耳る「フラッシュバブル」の社長・ベタール卑美子(夏木マリ)と腹心・チェザーレ伊東(ISSAY)らの妨害を躱し、星くず兄弟はスターになることができるのか――。

なるべくしてなったカルトムービー

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手塚眞監督 ご存知の通り、この映画は33年前に作った『星くず兄弟の伝説』の、続編と言いますか、新作と言いますか……そんな作品です。お話は繋がっていないので、前の作品をご覧になってなくても、今回の作品そのままでも楽しめるかと思います。ただ、前の作品をご覧になってない方に注意を申し上げますと……ちょっと普通の映画とスタイルが変わっております。色んな映画が世の中にあるんですけど、この『星くず』はどのジャンルにも属さない映画です。東京では1週間前に上映が始まってるんですけども、けっこう「どういうジャンルの映画ですか?」って聞かれても、答えにくくて……「ロックミュージカルです」と単純に答えてるんですけど、ミュージカルだけでなく色んな要素があります。「結局これは、“星くず”ってジャンルの映画ですね」って結論に達しました(笑)。それが故に、最初ちょっと戸惑われる方もいらっしゃるかもしれませんけれど、そもそもそういう映画が後々“カルトムービー”と言われる作品になるんです。33年前に作った『星くず兄弟の伝説』も、今となってはカルトムービーなどと言われています。実は当時、近田春夫と私とでその映画を作る時、「よし、カルトムービー作るぞ!」って作ったんですね。でも、そもそもカルトムービーっていうのは、自分たちで言うものじゃないんですよね……お客さんが「これは、カルトムービーだ!」って言うのであって。カルトムービーを目指して作るなんて、そもそも本当はいけないんですけどね(笑)。でも、自分たちで「これは何十年か経ったら、絶対カルトムービーになってるよ」って言ってたのがその通りになったという訳で、今回の作品も何十年か経ってから「これ、カルトムービーですね」って言われたいという気持ちで作りました。大阪で観た人が「凄く面白かったんですけど、どの辺りがオカルトですか?」なんて言われましたが(場内笑)。

『星くず兄弟の伝説』誕生秘話

MC. 前作『星くず兄弟の伝説』は、2月10日(土)から上映します。(シネマスコーレスタッフ 大浦奈都子)
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手塚監督 まだご覧になってない方、33年前に観たけど忘れちゃった方は、また観ることが出来ます。しかも、なんとフィルムで上映されるんですよね!

MC. そうです、35mmフィルム上映なんです。

手塚監督 要は、35mmフィルムしか残ってないんですけどね(笑)。デジタルにしてないんです。スタンダードという、今では珍しい昔のTVのサイズなんです。私のデビュー作と言われてるんですけど、当時23歳まだ大学生でした。

MC. 前作が作られた経緯を教えていただけますか?

手塚監督 僕が大学に入って、最初8mmフィルムで『MOMENT』(1981年/73分)という映画を作ったんです。学生映画の中では割りと「面白い」と言われたんですが、テレビ局の人が面白がって夜中の情報番組で紹介してくれたんです。僕がゲストで出たんですけど、その時の司会者が近田春夫さんと山本コータローさんだったんです。映画を観てくださって、近田春夫さんが目茶苦茶気に入ってくださって。「実は自分が作りたいと思ってる映画があるんだけど、監督をやってもらえませんか?」みたいなことを言われて……だから僕は、近田春夫さんに雇われて作ったんですよ。

MC. 元々、サウンドトラックが先に作られてたんですよね?

手塚監督 そうなんですよ。近田春夫さんが先にサウンドトラックを作っていて、「その音楽を使って、何か映画を作ってくれ」というお話で、後は自由にやってくれっていう感じだったんで、自由な脚本を書きまして、自由に演出しまして。当時はちょうどバブルの時代、若い人がやる新しいことに企業がお金を出してくれる時代だったもんですから、割りと自由にお金が使えて好き放題やって作ったんです。「面白い」と思ってくれた方も沢山いらっしゃるし、「なんだ、こりゃ?」って馬鹿にされたりすることもありました。僕は初めてプロのスタッフと一緒に作って、また、出演者が俳優ではなくミュージシャンということで、出来上がってみたら確かに芝居が下手だと思いショックを受けて、自分でもずっと観てなかったフィルムなんです。でも、そういう作品でも何十年も経てば、渋みが出ると言いますか……

MC. 本当に、伝説になったんですね。

手塚監督 カルトムービーみたいに言われて、若い人がまたそれを観てくれて「面白いじゃないですか、これ!」って言ってくれたんで……僕も単純なんで、若い人に「いいですね」って言われると「そうかな、悪くないかな」って思い始めて(笑)。

そして、『新たな伝説』へ

手塚監督 前作からちょうど30年経った時に、昔の仲間が集まって来たんです。「30年経ったし、記念に何かやろうよ!」という話になり、最初にライブをやったんです。そうしたら、誰ともなく「また映画を」って話になって。その内の一人が「お金を集めてくるから、手塚君やってよ」って……これまた、僕はミュージシャンたちに雇われる形になったんですね。でも、作り始めたら、最初の言い出しっぺが「ごめん、スポンサー消えちゃった!」って……

MC. えぇ!?ゼロに戻ったんですか?

手塚監督 ゼロに戻っちゃったんですよ。それでプロデューサーと「1円ずつでも集めるか」って話になったんですけど、結局やってる内にプロデューサーも一人逃げ二人逃げ、気が付いたら僕一人残されてたんです。でも、凄く豪華な出演者のスケジュールはもう押さえちゃっていて、脚本もケラリーノ・サンドロヴィッチさんに頼んで……ここまでやって、お金が集まらなかったら恥ずかしいなということになって、仕方がないから少しでも僕がと金策に回ったんです。

MC. 集まってくれた久保田(慎吾)さんや高木(完)さんは、ノリノリだったんですか?

手塚監督 そうなんです。彼らは「30年経って、またやれるんだ。嬉しい!」って、顔を見てたらやっぱり止める訳にはいかなくなっちゃって(笑)。新しい若い出演者も、皆凄く仲良くなってしまって、「星くずファミリーだね」なんて言って。ファミリー感が半端なく強まっちゃって、何かある毎に皆集まってます。

MC. 新しいキャスト、武田(航平)さんと三浦(涼介)さんは、どんな風にキャスティングされたんですか?

手塚監督 オーディションなんですよ。別にライダー(『仮面ライダーキバ』(2008年)『仮面ライダーオーズ/OOO』(2010年))で売れてるからとか全然考えないで、選んだ二人が偶々仮面ライダーに出てたんです。

MC. 前作は演技経験のないミュージシャンの方たちでしたけど、今作は役者さんをキャスティングされたんですね?

手塚監督 そうなんです。前作であんまりミュージシャンの方の演技が下手だったので(場内笑)、今度はちゃんと芝居が出来る方を集めようと思いまして(笑)。と言いながら、僕の癖で、中には新人の方とか、俳優じゃないモデルの方、ミュージシャンの方も交ざって……混成チームになってます。

MC. 豪華キャストといえば、内田裕也さんは凄かったですね。

手塚監督 実は、近田さんは元々内田裕也ファミリーで、裕也さんのバンドでキーボード弾いてた方なんですね。前の映画の時は、近田さんがいるから裕也さんに声かけられないなと思ったんですけど、今回の映画では近田さんは現場にはいらっしゃらなかったんで。今回は、僕が近田さんを雇ったんですよ、音楽をお願いして。そんな訳で、今回は裕也さんに出てもらっても良いかなと思って、役の説明をしたら、「そりゃ、俺じゃねえと出来ねえな」って話になりまして(笑)。撮影は3年前だったんですが、裕也さんは凄く忙しい時期で、1日しか時間が空かなかったんです。裕也さんの出演シーンは全て1日で撮ったんですが、それが撮影初日だったんですね。もう、スタッフの緊張感たるや、最高潮に達して……

MC. 最初からクライマックスですね(笑)?

手塚監督 そうなんです。でも、それが最初だったおかげで、その後のノリが良くて。スルスルと問題なく撮影は順調に行ったんです。楽しかったですね。

MC. 浅野忠信さんとは『白痴』(監督・脚色:手塚眞/1999年/146分)以来ですか?
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手塚監督 そうですね。もちろん時々会うことはあったんですが、仕事はもう20年ぶりくらいになります。ハリウッド作品にも出演する国際スターをこんな使い方をして良いのか?って感じなんですけど……凄く気さくに引き受けてくれて。偶々アメリカから帰ってきててスケジュールが空いてて、脚本を読んでもらったら「良いですね」って。共演者の説明をしたら、「出ます、出ます」って。けっこうノリノリで、本人から衣装プランの写真が送られてきたりしました。浅野さんは自分でバンドをやっていて歌もギターも出来るので、ロックミュージカルにピッタリだと思って。20年前『白痴』でご一緒した当時は、自分のカラーや存在感でやれる人で、お芝居を上手くやるタイプではなかったんです。でも、近年はお芝居も上手くなって、色んな役を演れるようになって、彼自身の役の幅が凄く広がったんですね。今回も、彼の味を出しつつ、ちゃんとお芝居してくれてます。その上で、割りと楽しんでやってくれたかという感じはします。内田裕也さん、浅野忠信さんだけじゃなく、夏木マリさん、井上順さん……錚々たる顔ぶれが出てくださっています。皆さん特別出演だと思われるんですけど、そうではなく、ちゃんと役があってしっかり芝居をしてますので、それぞれの方に見所があります。脚本外で出てくれた方も、沢山いらっしゃいます。ほとんどは僕の友だちですが、豪華な方々がカメオ出演してくださっています。探しても、顔も分からない人も中にはいますが。

MC. 声で分かる方もいらっしゃいますね。

手塚監督 少しだけネタを明かすと……『シン・ゴジラ』を作った庵野(秀明)監督。犬童一心監督。山本政志監督。石井岳龍監督。吉村元希監督。そして、なんと黒沢清監督がアドリブで色々お喋りするシーンがありますので、黒沢さんだと分かったら、良く耳を傾けて何を喋ってるか楽しみにしていただければと思います。

MC. 最後に、一言お願いします。

手塚監督 若い人に観せたんですけど、「振り回されて、振り回されて……最後、振り落とされました」って言われました(笑)。

MC. 良いことですよね、それ(笑)?

手塚監督 僕は、良い言葉だと思ってます。少し眺めの映画ですが、観ていると全然時間を感じないと思います。皆さんも、シートベルトを確り締めて(場内笑)、振り落とされないようにご覧になっていただければと思います。

『星くず兄弟の新たな伝説』は、瞬き禁止、目まい禁止のジェットコースター・ロックミュージカル……最も新らしいカルトムービーだ。
目と、耳と、心に、シートベルトを確り締めて……いざ行かん、月へ、未来へ、伝説へ――。

映画『星くず兄弟の新たな伝説』公式サイト