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1967年7月23日、ミシガン州の最大都市デトロイトで大規模な暴動が発生した。
死者43人、重軽傷者1189人という大惨事に対処するため、州知事はデトロイト市警、ミシガン州警のみならず陸軍州兵を投入。沈静化までには実に5日間を要した。
「デトロイト暴動(Detroit riot)」、もしくは「12番街暴動(12th Street riot)」と呼ばれる、アメリカが今日まで抱え続けている暗部を象徴する実に痛ましい事件だ。

アカデミー賞©を受賞した世界初の女性監督として名高いキャスリン・ビグロー監督の最新作『デトロイト』は、デトロイト暴動がテーマの社会派ドラマである。
デトロイト暴動は現在でも全貌が明らかになっていないという、実に闇の深い、謂わば「アメリカの恥部」である。
しかも、ビグロー監督が描き出したのは、恥部の最奥だ。

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「デトロイト市警はイカれてる!」
アフリカ系アメリカ人の容疑者たちに暴力をふるい尋問する白人警官を目の当たりにし、半信半疑の上司に詳細を報告する警官も、また白人だ。
「よし、彼らに任せよう。人権に絡む問題に関わりたくない」
現場から速やかに離れた警察車両に書かれていたのは、「MICHIGAN STATE POLICE」の文字……彼らは、ミシガン州警からの応援なのだ。
身内からも蔑視される警官たちが容疑者を尋問しているのは、デトロイト郊外の「アルジェ・モーテル(The Algiers Motel)」。7月25日、暑く、騒がしく、長い恐怖の夜は、まだ始まったばかりだった。

『デトロイト』ストーリー

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ディスミュークス(ジョン・ボヤーガ)は、デトロイトに暮らすアフリカ系アメリカ人。警備会社に勤務しており銃火器を所持していることから、警察からの要請に応じ犯罪捜査に協力することも多い。ある夏の夜、彼はデトロイト市警と共に無許可で営業する酒場の摘発に従事する。ちょっとした不手際もあり、現場は大混乱。近隣の黒人たちが通りに集結、群れをなして押し寄せる。
クラウス(ウィル・ポールター)はデトロイト市警に勤務する捜査官。日頃から問題行動が多いレイシスト(差別主義者)で、特に黒人への憎悪は常軌を逸している。今も黒人の容疑者を射殺したことが問題となり、監査官から尋問を受けている。普通であれば、少なくとも謹慎処分は免れないだろうが、デトロイト市内で暴動が起きている現状では、彼の行動を止めるものは無いも同然だ。
ラリー(アルジー・スミス)はデトロイトのコーラスグループ「ザ・ドラマティックス」のリード・シンガーで、華やかなショービズへのデビューを夢見ている。満員のオーディエンスで膨らんだ地元ホールのステージ、トリを務めるはずのドラマティックスだったが、出番の直前に暴動による中止がアナウンスされる。群衆に取り囲まれバスは立ち往生、メンバーともはぐれた彼は友人のフレッド(ジェイコブ・ラティモア)と共にモーテルで一夜を過ごすことにするのだが――。

骨太さと繊細さがせめぎ合う

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キャサリン・ビグロー監督は、女流監督ながらアクション描写を得意としている。
しかし、ビグロー監督をオンリー・ワンたらしめているスペシャリティは、骨太なアクションの中に確りと描かれる、繊細な心の機微である。

『ハートブルー』(1991年/121分)では、CGに頼らない圧巻のカー・チェイスやサーフィンのシーンで度肝を抜いた。
だが、観客の胸を真に撃ったのは、キアヌ・リーブスとパトリック・スウェイジの愛憎やる方ない魂の交感だ。

『K-19』(2002年/138分)では、閉鎖空間で目まぐるしく展開される物語に手に汗を握った。
だが、観る者の感情を揺さぶったのは、滅亡への鍵が突如として我が手に握らされる恐怖である。

『ハート・ロッカー』(2008年/131分)では、ドキュメンタリー・タッチでリアルな戦場を作りだした。
だが、兵士たちの心理を丁寧に描いたことで、戦争映画というよりは社会派作品と呼ぶに相応しい。

『ゼロ・ダーク・サーティ』(2012年/158分)では、ビンラディン暗殺というテーマが大変な反響を呼んだ。
だが、私たちの脳髄深くに焼き付けられたのは、心が折れそうになりながらも奮闘する、1人の女性の執念だ。

骨太な活劇描写と、繊細な心理描写……キャサリン・ビグロー監督が両腕に携える強力な武器は、サンフランシスコ・アート・インスティチュートで学んだ現代アートによって身に付いたのかもしれない。

現実世界と地続きな物語

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『ハート・ロッカー』では地中に埋められた地雷、『ゼロ・ダーク・サーティ』では潜伏中の手配犯……ビグロー監督の映画では、「見えざる敵」と対峙させられることが多い。
だが、『デトロイト』では違う。登場人物たちを、感情移入した観客を、執拗に追い詰める相手とは、「目に見える悪意」である。
悪意は、目に見えるものではない……そう考える観る者の気持ちを完膚なきまでに打ち砕かんとするが如く、外見の違いが、軽蔑の、恐怖の、そして憎悪の原因となる。
そして、悪意は少なからぬ人命を奪い、ささやかな希望を踏み躙り、生き残った者の人生を粉砕する。

「特に男の子は、行儀など気にしない」
黒人の夫は静かに語り、白人の妻は押し黙る。
「その頃に――戻りたいでしょうね」
夫の肩に手を置いたのも束の間、医師は他の仕事に向かう。
廊下の先の扉にあるのは、「MORGUE」の文字……遺された者の絶望も、この上なく深い。

『デトロイト』でキャスリン・ビグロー監督が描きだしたのは、1967年……50年も前の出来事である。
だが、私たちは戦慄する……今日(こんにち)のアメリカは、如何に当時と変わっていないことか。
ザ・ルーツが歌う『It Ain't Fair』が、何と心に刺さることか。

また、今日を生きる我々は知っている。
交通革命を経験し、情報化社会となった現代、それは海の向こうの夢物語では決して無いということを。
「対岸の火事」を見物する安全地帯など、今の世界には、存在しないのだ。

そして、それはキャスリン・ビグロー監督作品と現実との関係にも似ている。
観客は知っている……ビグロー監督が創り出す世界は、絵空事では決して無いということを。
私たちが産まれ、生きて、死ぬ現実世界は、ビグロー作品と地続きなのだ。

泥水を啜り、虫螻のように蹂躙され、それでも虚しく立ち上がる……
映画『デトロイト』は、這い蹲って今を生きる、私たちの物語なのだ――。

映画『デトロイト』
1/26[金]~TOHOシネマズ 名古屋ベ­イシティ、伏見ミリオン座、ほか全国ロードショー
配給:ロングライド

『デトロイト』公式サイト

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