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「これは現実か?君にまた会えるなんて」
「鏡ってやつを見ろ。奥深さを自慢して、卑劣なやり方でひっくり返す」
南仏コート・ダジュール、かつての大スター・ジャン(ジャン=ピエール・レオー)は悩んでいた。
映画のクライマックスでの台詞に違和感を覚え、作品のテーマについても監督(ルイ=ド・ドゥ・ランクザン)と意見が噛み合わない。
共演者のハプニングにより撮影に合間が出来たのを幸いに、ジャンは二人の旧知を訪ねる。
一人は、かつての友人マリー(イザベル・ヴェンガルテン)。そして、もう一人は、死に別れた恋人ジュリエット・ド・ギャロンだ。

「撮影できるだけでいいさ」
「そんなの平凡すぎてつまらない」
子供たちは、夏休みの真っ最中。
長期休暇を利用して、映画館の映写技師フィリップ(アルチュ-ル・アラリ)指導の下、映画を撮ろうとしている。
だが、ロケハンで見付けておいた撮影現場の様子が、どうもおかしい。
苦労して探し当てた雰囲気の良い廃屋には人の気配がなかったはずなのに、誰かが暮らしているようなのだ。

70年、自問自答の果て


『パリ、ジュテーム』(2006年/120分)、『不完全なふたり』(2005年/108分)と、親仏として知られる諏訪敦彦監督の、『ユキとニナ』(2009年/93分)以来8年ぶりの新作が1月20日(土)よりロードショー公開となる。
待望の新作『ライオンは今夜死ぬ』もフランスを舞台とした作品で、直接的な繋がりはないものの『ユキとニナ』と同じ役名で同じ役者が起用されており、作品世界は地続きであることが感じられる。
南フランスの夏の空気が、家並みが、自然が、実に心地好く観る者の心を揺さぶる。
言わずと知れた“ヌーヴェルヴァーグのイコン”ジャン=ピエール・レオーが、夏休みを謳歌する子供たちと出会うのは、南仏ラ・シエタだ。

ジャンが悩んでいるのは、“死”についてである。
70を過ぎ、自身も近付いているはずなのに、未だに死と如何に直面したら良いかを自問する。
それは何時しか、若くして命を絶ったかつての恋人・ジュリエット(ポーリーヌ・エチェンヌ)へと投げかける疑問となるが、果たして得心の行く答えが返ってくる訳もない。
その姿は、まさに幻燈の中を闊歩する名優そのもののようでもあり、暗闇の中を彷徨う老人そのもののようでもある。

自問自答の末、ジャンは、全てを疑い、全てを肯定する。
人はきっと、それをこう呼ぶのだ、「La Belle Vie!」(素晴らしき人生)と。

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“死”と遊ぶな子供たち


そして、子供たちが選んだ映画ジャンルは、ホラーにバイオレンス……死に最も遠いはずの年代の彼らが興味を示すのは、明確に“死”なのだ。
近年の傑作青春映画『桐島、部活やめるってよ』(監督:吉田大八/2012年/103分)でも、顧問から「半径1mの世界」を丁寧に描くよう言われる前田(神木隆之介)たちが反発して撮り始めた映画のタイトルは、『生徒会・オブ・ザ・デッド』だった。
死を直視しているのは、いつも若者の方なのだ。

脚本を担当するジュールは、子供たちの中でも“死”への距離感が近い。
ジュールは父を亡くしていて、母(モード・ワイラー)と共に亡き父の影を引き摺っている。
そんな彼は、時折まぼろしを見ることがある。水辺に、街角に、大きな一頭の牡ライオンが現れるのだ。
それは、父の亡霊なのか、死のイメージの顕現なのか……幼いジュールのみならず、観客にも分からない。
そんな戸惑いをからかうのか、答を求めることを讃えるのか……諏訪監督の選曲は、映画に更なる昏迷を匂わす『The Lion Sleeps Tonight』。

どんなに藻掻いて、足掻いたところで、成長するとは限らない。
どれほど這い蹲ったとしても、悩みは消えずに着いてくる。
小さな一日を、ちっぽけな一歩を積み重ね、人は何となく移ろいゆく……そういうものだ。
例えば、鼻の下の絆創膏……君は恥ずかしがるかもしれないが、それこそが勲章だ。

全ての可能性を疑い、全ての可能性を肯定せよ。
いつかきっと、君はこう叫ぶのだ、「La Belle Vie!」(素晴らしき人生)と。

全てを疑い、全てを肯定する。
それは、取りも直さず、映画の本質なのであろう。
諏訪敦彦監督の視点は、どの作品でも冷徹で、いつだって温かい――。

映画『ライオンは今夜死ぬ』公式サイト

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