映画を愛する生活を続けていると、何年かに1本の割り合いで「是非、生涯ベストに入れなければ」と思わせられる作品に出会う。
考えてみると、出会う確率は1,000本に1本くらいなので、そんな映画のことを勝手に「パーミル・ムービー(permil movie)」と呼んでいる。
「生涯ベスト」などと大仰な言い方をしたが、パーミル・ムービーでベスト10を組もうとするならば確率的には10,000本を鑑賞する必要がある訳で、足繁く劇場へ通う破目になるのだ。
筆者が出会った最後のパーミル・ムービーは、『サウダーヂ』(監督:富田克也/2011年/167分)であった。
まるで袋小路のように閉じた世界だと思い込んでいた社会が如何に広く、ちっぽけだと決めつけていた人間という存在が如何に影響を与え得るかをまざまざと観せつけられ、劇場を一歩出て目に映る景色が(本当に!)文字通り一変した戦慄は、生涯忘れないだろう。
『サウダーヂ』と同じ時期、筆者には夢中になった作品がもう1本あった。
何処へも辿り着けない夢の、青春の道程を、とびきりのアイロニーを込めたライム(rhyme)で高らかに歌い上げた青春映画の新たな金字塔『SR サイタマノラッパー』シリーズ……所謂「北関東三部作」の3作目、『SR サイタマノラッパー ロードサイドの逃亡者』(2012年/110分)であった。
『SR』シリーズの後、その手腕が大いに評価された入江悠監督は、作品規模の大きなメジャー映画を次々と手掛けた。『ジョーカー・ゲーム』(2015年/108分)『22年目の告白 私が殺人犯です』(2017年/117分)などヒット作にも恵まれ、『SR』シリーズのテレビドラマ版(『SRサイタマノラッパー 〜マイクの細道〜』)も演出した入江監督は、映画ファンだけでなくその名を広く世に知らしめることになった。
そんな入江悠監督が、一部の資金をクラウド・ファンディングで調達する自主映画を撮った。脚本も監督自ら手掛けるオリジナル・ストーリーで、これは劇場版『SR』シリーズから5年ぶりのことである。
快哉を叫んだのは、筆者だけではない。メジャー作品がいけない訳でないが、入江悠監督が自主映画に帰ってきたのだ……期待しないという方が無理であろう。
今までメジャー映画を撮ったのは、ひょっとしたら今作品を撮るためだったのではないか……そんな妄想を逞しくしたシネフィルは、筆者だけではないであろう。
膨らみに膨らませた期待を以て鑑賞に臨むのは、決して好ましいこととはいえない。
だが、そんな自戒の言葉は、映画を観た途端、霧消した。
12月9日より全国ロードショーとなる『ビジランテ』は、そんな作品である。
『ビジランテ』ストーリー
大型ショッピングモールの誘致が正念場を迎え、埼玉県の地方都市・渡市の人々は喧噪の中で日々を過ごしていた。
二郎(鈴木浩介)は、神藤家の二男。地元の名士であった父・武雄(菅田俊)の地盤を受け嗣ぎ、市議会議員に就いている。岸(嶋田久作)ら党の領袖議員からはショッピングモールの誘致に関する無理難題を押し付けられるが、妻・美希(篠田麻里子)と子の為、そして逃れ得ぬ亡父の呪縛の為、日々汗を流している。
神藤家の三男・三郎(桐谷健太)は、デリヘル店の雇われ店長。暴力団の下部人員として法に囚われぬ仕事をこなし、店で働く亜矢(岡村いずみ)達からも頼りにされている。組員・大迫(般若)によるとショッピングモールの建設に絡む利権は地方の暴力団にとって生命線であり、兄・二郎とは違う環境で故郷と係わっている。
そんな兄弟の元へ、長男・一郎(大森南朋)が突然姿を現す。彼は幼い頃、父の横暴に耐えかね、母の死を切っ掛けに失踪していたのだ。一郎は公正証書を作成しており、亡き父が暮らしていた家の相続を主張する。旧神藤家は、ショッピングモールの建設予定地の一部に建っているのだ――。
三兄弟が象徴するもの
人間とは、等しく「業(ごう)」の塊りである。
もし業なるものを紐解くとしたら、「出身地」・「人間関係」・「血縁」が大きな要素であるといえる。
人間の運命とは、「地脈」・「人脈」・「血脈」という3つの脈絡によって形作られているのだ。
父と同じく代議士の道を選んだ二郎は、「出身地」「地脈」の象徴である。
二郎を演じるのは、鈴木浩介。
テレビドラマへの出演が相次いでいる売れっ子だが、正直これほどスクリーン映えするとは思っていなかった。ほんの僅かな目の動き、眉の上げ下げ、瞼の痙攣で心情を雄弁に演じることのできる魔法の眼の持ち主だ。
二郎の男泣きに、魂を震わせてほしい。(あれは、誰が何と言おうが、「男泣き」なのだ!)
面倒なルールに抗い、束縛を嫌うアウトロー・三郎は、「人間関係」「人脈」の象徴である。
三郎を演じるのは、桐谷健太。
人間とは、自他の複合体として存在する。好きな人と嫌いな人、仲間と敵、役に立つ人と立たない人……人々の間柄があって、初めて「人間」を成すのだ。
様々な人の狭間で藻掻く三郎は、自由だからこその不自由さを憂い、闇の中でいつも吠えている。
そして、忌み嫌ったとしても生涯付いてまわる「血縁」「血脈」……一郎が象徴するのは、人間が背負う業そのものだ。
一郎を演じるのは、大森南朋。
『アウトレイジ 最終章』(監督:北野武/2017年/104分)への出演が大変話題となったが、今作で一郎が体現するのは、もっと圧倒的な暴力、もっと絶対的な狂気である。
大森の抑えに抑えた演技は、身体の、血の、DNAの奥底から否応なく湧き出す黒い感情を喚び起こし、銀幕を、劇場を覆い尽くす。
三兄弟が象徴するもの、それは、人間が太古より抗い続ける「柵(しがらみ)」そのものだ。
脇を固めるプロフェッショナルたち
そんな柵から抜け出せないのに、否、抜け出せないからこそ、人間は尚、自分を護ろうとする。
作品のタイトルである『ビジランテ(vigilante)』とは、英語で「自警団」を表す。
そんな愚かな人間の「vigilante」を体現するのが、新世代のホープ・吉村界人である。
『獣道』(監督:内田英治/2017年/94分)で主人公を食いかねない存在感を見せた彼は、今作でもベテラン俳優陣を翻弄せんばかりの強烈な印象を残す。
強烈な印象といえば、元AKB48の篠田麻里子にも驚かされた。
『リアル鬼ごっこ』(監督:園子温/2015年/85分)で主役の一人を務めたにも拘らず評価されたとは言い難い彼女だが、今作で開眼した感がある。女優・篠田麻里子の名刺代わりの一作となったのは間違いない。
驚かされたといえば、もう一人。フリースタイルバトルでお馴染みのヒップホップアーティスト・般若(はんにゃ)の演技は凄まじかった。
『Zアイランド』(監督:品川ヒロシ/2015年/108分)で俳優デビューを飾った彼であるが、本格的な役者としてのデビューは今作といえよう。今後、俳優業でも引く手数多となるのは間違いない。
また、嶋田久作が、菅田俊が、閉塞感に満ちた地方都市が醸し出す「妖気」めいた空気で観客を痺れさす。
そして、間宮夕貴が、岡村いずみが、殺伐とした銀幕に華を添える。彼女らは“ロマンポルノ・リブート・プロジェクト”で主人公を務めている。
入江悠監督のディレクションの真髄は、役者の演技を極限まで引き出すことにあるのかも知れない。
それほどまでに、主演陣の、脇役の、端役の、とにかくスクリーンの隅々までもが生命を帯び、一瞬たりとも目が離せない。
居眠りどころか瞬きも禁止したくなるほどの熱量に溢れた映画なので、是非とも体調を整えて劇場へ足を運んでほしい。
もっとも、居眠りするような隙きを与えてくれるような作品ではないが――。
『ビジランテ』
2017年12月9日(土)より テアトル新宿ほか全国ロードショー
©2017「ビジランテ」製作委員会
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