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イタリアの巨人であり映画界の至宝、フェデリコ・フェリーニ。“ネオレアリズモの後継者”と呼ばれているが、フェリーニ監督が代表作『甘い生活』(原題:La Dolce Vita/1960年/174分)で描きだした映像は、私たちに衝撃の鑑賞体験を齎してくれた。
『甘い生活』の中でマルチェロ・マストロヤンニが演じる主人公・マルチェロは、ローマで働くゴシップ記者。上流階級の人々との交流を深めつつ、彼らの退廃的な暮らしを自らも享受している。日ごと夜ごとカフェや高級クラブに出入りし、アメリカのスター女優とスキャンダラスな一夜を過ごすような、華やかな毎日。だが、マルチェロは一方でそんな“甘い生活”に、嫌悪感を覚えてもいた――。
物語を紐解くまでもない屈指の名作だが、『甘い生活』の真骨頂は、登場人物との感情移入を超えた同一感を覚えさせてしまうところにある。
フェリーニ監督がマストロヤンニを通して174分もの長きに亘って映しだした“甘い生活”を味わううち、観客は自堕落な生活を忌み嫌いながら抜け出せずにいる主人公マルチェロとシンクロしてしまうのだ。退廃的な生活を3時間も享受した観客の耳は、もう“天使の声”を聴くことは叶わないのである。

そんな名作中の名作『甘い生活』に引けを取らない……否、勝るとも劣らない新たなる名作が、「第三期黄金時代」を今まさに迎えているフィリピン映画界から届いた。
ラヴ・ディアス監督『立ち去った女』(原題:Ang Babaeng Humayo/2016年/228分)である。

怪物的映画作家 ラヴ・ディアス


ラヴ・ディアス監督は「怪物的映画作家」と呼ばれ、世界中の映画祭から招待が絶えない巨匠であるが、一般的な知名度は驚くほど低い。その理由は、ディアス監督独特の映画文法にあり、その傾向は2001年以降特に顕著となっている。
東京国際映画祭で大評判となった『昔のはじまり』(2014年)の上映時間は5時間38分、ベルリン国際映画祭で銀熊賞を獲得した『痛ましき謎への子守唄』(2016年)は8時間9分……ディアス監督はとにかく長尺、平均でも5~6時間、長い作品は11時間超という極端に上映時間の長い映画を好んで撮るのである。
11時間は言わずもがなだが、上映時間が5時間ともなると日本国内での一般的な興行として(即ち、所謂ロードショーとして)の上映は、不可能と言って良い。斯くしてディアス監督は、「映画祭でしか観ることのできない映画作家」となったのだ。

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そんな“幻の巨匠”ラヴ・ディアスが、遂に「一般興行サイズ」の映画を撮った(それでも、3時間48分なのだが)。各国で上映が始まっている今、世界中の映画ファンが快哉を叫んでいるのも納得だ。
そして何より、ディアス監督としては“異例の短編”である『立ち去った女』、これがまた傑作なのだ。第73回ベネチア国際映画祭では金獅子賞(最高賞)を獲得し、審査員を務めたサム・メンデス監督の拍手喝采を浴びたという。

『立ち去った女』ストーリー


殺人という重罪で無期懲役の判決が下ったホラシア(チャロ・サントス・コンシオ)は、30年という途方もない時間を刑務所で過ごしている。服役前に教師だった彼女は、自由時間には受刑者たちに読み書きなどの初等教育を施して毎日を暮らしている。
ある日、刑務所長よりホラシアに釈放が告げられる。ずっと認められなかった彼女の無実が、真犯人の自供により明らかになったのだ。そして、当時ホラシアの結婚を快く思っていなかった元恋人・ロドリゴにより冤罪が企てられたことを告白し、殺人の実行犯・ペトラは自らの生命を絶った。ホラシアとペトラは、同じ受刑者として心を通わせる親友であった。
晴れて出所したものの、30年の月日は外の様子を一変させていた。ホラシアにとっては移動すら困難な作業で、家に着く頃には疲労困憊であった。だが、彼女はあまりにも悲しい家族の現状を聞くことになる。絶望に打ちひしがれる中、ホラシアは心に一つの灯りが点るのを覚えた。それは、冤罪の黒幕・ロドリゴへの復讐という、青黒く燃えさかる炎だ。

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ホラシアは、ロドリゴを探す旅に出る。彼の現住所を調べ上げ、動向を探る。根気よく張り込みを続け、スケジュールを把握する。場所を変え、身なりを変え、情報を得る。時には暴力も駆使し、懐柔し、遂には武器を手に入れる。
復讐の道すがら、ホラシアは様々な人々に出会う。生まれつきの病いのため疎まれながら、それでも教会へ通う女性。夜の裏通りでバロット(アヒルの卵)の売り子をし、微々たる稼ぎで大家族を養う初老の男性。身も心も傷付いた挙げ句にホラシアに助けられる、身体も境遇も訳ありの踊り子・ホランダ(ジョン・ロイド・クルズ)。
長い旅の果てに、ホラシアは何処へ辿り着くのか。また、何処へ辿り着けないのか。何を手にし、何を手放すのか。彼女の辿る道は、失われた30年を取り戻す道程と成り得たのか――。

繊細な黒と、暴力的な白


先に挙げた『甘い生活』はモノクロ作品だが、匂い立つようなローマの街が豪華絢爛にスクリーンに蘇ったかと錯覚させられるほど、色鮮やかな印象の映画だった。
流石はフェデリコ・フェリーニ、映像の魔術師による作品である。
『立ち去った女』もまた、228分全編がモノクロームで撮影されているのだが、面白いことに全くニュアンスの違うモノクロ作品に仕上がっているのだ。
陰影を極端なまでに強調した色味が生みだす映像は、場面によって黒が様々な表情を持つのに対し、鮮やかな白は乱暴にすら映る。繊細なグラデーションを見せる黒が迷い移ろいゆく感情を、目にも眩しいハイライトの白が復讐や暴力という衝動を、それぞれ銀幕に映しているかのようだ。

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『甘い生活』では退廃的な色の洪水の中に埋没する心情がモノクロームで大胆に表現されているのに対し、『立ち去った女』では感情と衝動の狭間で放蕩う人間の機微がモノクロームで繊細に表わされているのだ。
色々な意味で、コントラスト(対比)の妙が冴えわたる。

登場人物との同調、そして……


また、『甘い生活』の鑑賞の果てに覚える、登場人物と同調するかのような心の動き(倦怠感、と言い換えても良いかもしれない)について述べた。
『立ち去った女』は如何かといえば、やはりホラシアの復讐の旅を体験させられるような錯覚を得られる。だが、こちらはそれだけでは終わらない。
ラヴ・ディアス監督独特の長回しを多用したカットの一つ一つは、観る者に問いかけてくるのだ。「この長い復讐劇は、失われた月日と釣り合うものなのか?」と。
観客は、ほとんど描かれてはいない、ホラシアが刑務所で味わった30年に思いを馳せることとなる。

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そして、更に悪魔的なことなのだが……『立ち去った女』は、まだ終わらない……許してくれない。
ディアス監督が、スクリーンの向こうから問いかけてくるのだ。「では、お前の人生は、どうなのか?」と。
観客は、図らずも自分の人生を反芻することとなる。

例えば……虐められた少年時代、でも映画館に逃げ込んだからこそ、暗闇に光を見出せた。
例えば……家族の我儘で置かれた境遇、でも結果的に、巡り合えた仕事がある。
例えば……幸せとは程遠い人生、でもだからこそ、30年の時を隔ててあの人の幸福を願うことができる。

結局のところ、また気付かされてしまうのだ。
人生、捨てたものじゃない、と。
映画とは、本質的にポジティブなものだから。

女は、立ち去った……別の場所へ、向かったのだ――。

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『立ち去った女』
11月4日(土)~@名演小劇場(名古屋市東区)
【配給】マジックアワー

映画『立ち去った女』公式サイト