IMG_20171019_004446
1919年ワイマール共和政権下のドイツ・クヴェードリンブルク、喪服然とした黒い外套に古風なトーク帽を重苦しげに着こなしたうら若き乙女が、共同墓地へと歩みいります。人類が初めて経験した世界大戦の爪痕により人々は未だ血涙を流し続け、春というのに町は色を失くしています。
女性は、真新しい墓の前に花を手向けます。墓碑に刻まれた銘は、「フランツ・ホフマイスター」。それは、秋には婚礼を迎えるはずだった、戦死した許婚の名前――。

『8人の女たち』(2002年)『スイミング・プール』(2003年)のフランソワ・オゾン監督が撮り上げたのは、凄まじい傑作でした。
フランスでNo.1ヒットを記録し、第73回ヴェネツィア国際映画祭でマルチェロ・マストロヤンニ賞(新人俳優賞)を獲得したその映画は、『婚約者の友人』(原題:FRANTZ)といいます。

身寄りのないアンナ(パウラ・ベーア)を、元婚約者フランツ(アントン・フォン・ラック)の父ハンス(エルンスト・ストッツナー)と母マグダ(マリエ・グルーバー)は娘同然に接し、ハンスが営む「ホフマイスター診療所」で一緒に暮らしています。美しいアンナには、求婚する友人クロイツ(ヨハン・フォン・ビューロー)もいるのですが、彼女はフランツを忘れることが出来ずにいます。

IMG_20171019_004558
アンナを演じるパウラ・ベーアは、ドイツ生まれの22歳。2010年『POLL』で映画デビューした後、『ルートヴィヒ』(2012年)『クリスマスの伝説 ―4人の若き王たち』(2015年)とキャリアを重ねますが、目立った活躍は日本には届いていませんでした。
それが、オーディションでオゾン監督に抜擢された本作で世界中が大絶賛。セザール賞有望新人女優賞にもノミネートされています。前述のヴェネツィア映画祭マストロヤンニ賞も、彼女の栄冠なのです。

ある朝、アンナはフランツの墓前で涙を流す若い男(ピエール・ニネ)を見かけます。気になって後を付けてみると、彼はなんとホフマイスター診療所を訪れるのです。彼の名は、アドリアン・リヴォワール、フランス人です。「フランスの男は皆、私の息子を殺した犯人だ」とハンスは追い返してしまうのですが、マグダは息子のフランス留学時代の友人かと考え、アンナは宿泊先のホテルを訪ね、再訪を促すメモをフロントに託します。

IMG_20171019_004635
今作のもう一人の主人公、まさしく“婚約者の友人”アドリアンを演じるピエール・ニネは、1989年フランス出身。2008年の映画デビュー以来、順調にキャリアを重ね、有望新人男優賞に複数回ノミネートされたセザール賞の常連俳優です。
日本でも大ヒットした『イヴ・サンローラン』(2014年)では伝説のデザイナーであるイヴ・サンローラン役を演じ切り、見事セザール賞を獲得したのでした。

アドリアンは診療所に再び現れ、アンナとマグダは彼を歓迎します。フランツの母の矢継ぎ早の質問に茫然自失となるアドリアンですが、彼のそんな態度がかえって真摯に映ったのか、マグダだけでなくハンスも次第に打ち解けていきます。アドリアンが語る、フランツとの思い出……ルーブル美術館でフランツと一緒に観たエドゥアール・マネの絵、パリ管弦楽団に在籍した腕でフランツに手ほどきしたヴァイオリン……両親の心は徐々に癒され、アンナは初めてフランツ以外の男性に興味を覚えていきます。

格調高くモノクロームを基調として物語が進む『婚約者の友人』ですが、時折、スクリーンは唐突に色彩を取り戻します。本作は、パートカラー作品なんです。
モノクロの世界が、一体どんな場面でカラーとなるのか、是非とも注視してください。前半と後半で、カラーの場面の印象が、ガラリと変わるはずです。
また、ほとんど劇伴(BGM)を使用しなかった作品世界で、徐々に音楽を伴った演出が増えていくのに気付くはずです。
脚本も自ら手掛けるフランソワ・オゾン監督の作家性を、存分に味わってください。

アンナとアドリアンの距離は、日増しに近付きます。アンナは、フランツが愛したポール・ヴェルレーヌの『秋の詩』についてアドリアンに語って聞かせます。
大戦前に留学したほどフランスを愛した亡きフランツの影響で、アンナはフランス語も話すことが出来ます。ドイツ語に若干の不安もあり、アドリアンにとって彼女は唯一の心の拠りどころとなっていきます。
何より、フランスにとってドイツは去年まで血で血を洗った敵国であり、ドイツ人にとってフランス人のアドリアンは不倶戴天の仇敵なのです。

ドイツでの舞台となるクヴェードリンブルクは、神聖ローマ帝国の初代皇帝オットー1世が帝都とした“ドイツの故郷”で、1994年に世界文化遺産に登録(クヴェードリンブルクの聖堂参事会教会、城と旧市街)された由緒ある古都です。
アドリアンの思い出の中で甦るパリの風景と素晴らしい対比を見せ、中世より脈々と護られてきた街の魂は、競い合うでもなく、まるで互いに補完し合っているようです。そう、大戦とは裏腹に。

IMG_20171019_004912


憎っくきフランス人であるアドリアンが街に滞在していることは、瞬く間に市民の知るところとなります。好奇を通り越した憎悪の視線は、アドリアン本人だけでなく、彼と親交を深めているアンナやホフマイスター家にも及びます。
しかし、ハンスは敢然と言い放つのです。
「息子たちを戦地へ送ったのは誰だ。我々は連中の息子たちを何千人も殺して、ビールで祝杯を挙げる。連中は我々の息子たちを殺して、ワインで祝杯を挙げる。息子を犠牲に酒を飲むのが父親だ」

実はこの場面、名匠エルンスト・ルビッチ監督がモーリス・ロスタンの戯曲を1932年に映画化した『Broken Lullaby(原題)』のオマージュです。
ご存知の通り、ルビッチ監督はコメディの大家として名高い巨匠です。
その手腕が軽妙洒脱な演出として発揮されていますが、実は『Broken Lullaby』はルビッチ作品としては異色なシリアスな映画として評価されています。

アンナはある夜、アドリアンの嘘を知ってしまいます。フランツに係わる重要な秘密を隠していたことをアンナは許すことが出来ず、二人の心は決別したままアドリアンは帰国の途に着くのです。
アドリアンがフランスへ帰った後も、アンナは独り煩悶します。そんな自分の懊悩を考えると、ハンスとマグダには真実を告げられずにいたのです。
嘘を吐き続けることに耐え切れなくなったアンナは、神に祈ります。懺悔を聞いた神父は、アンナに告げるのです。
「嘘は罪には違いないが、純粋な想いによる嘘は赦される」

このシーンもまた、『Broken Lullaby』が思い起こされる場面です。ただし、懺悔する者も、告白の内容も、神父の返答も、そして展開の順序も、何もかも趣向が変えられています。
先述した息子を亡くした父親たちのシーンがほぼ『Broken Lullaby』をなぞっていたことと、好対照を成しているのです。
モーリス・ロスタンの戯曲という同じモチーフを持つ『婚約者の友人』と『Broken Lullaby』は、全く違った切り口で反戦映画として成立している作品といえます。
例えば、身寄りのないアンナは戦争孤児と明言されている訳ではありません。でも、彼女の育った年代を考えると、オットー・フォン・ビスマルクの鉄血政治体制が頓挫したプロイセン王国の最末期です。普仏戦争に勝利してヨーロッパでの影響力を増大させたプロイセンがもたらしたのは、取りも直さず第一次世界大戦への道に外なりません。
キャラクタの設定一つを取ってみても、そこかしこに戦争が影を落としていることが見てとれます。

IMG_20171019_005021


程なく、フランスからアドリアンの手紙が届きます。思い悩んだ挙句に返事を書いたアンナですが、宛先不明で戻ってきてしまいます。
アンナは、アドリアンに近付くため、自分の気持ちを確かめるため、単身フランスへ乗り込みます。
フランツが愛したフランスは、人類が初めて経験した世界大戦を終えたばかりで、パリにすら瓦礫が手付かずで残る始末です。どこへ行こうとも「ドイツ人」というだけで人々は皆悪意をあからさまにし、国家の合唱に、隠しようのない傷痍を抱えた帰還兵に、アンナの心は苛まれ続けます。

フランツから聞かされていた花の都・パリですが、戦争の爪痕は夥しく、戦勝国ですら色彩のない世界を強いられているようです。
ドイツでアドリアンが味わった思いを、はからずもアンナはフランスで追体験させられることとなります。

アドリアンの手掛かりを掴もうとオペラ座へ行くも、パリ管弦楽団のヴァイオリン奏者の中に彼の姿はありません。ルーブル美術館へ行くも、アドリアンがフランツと観たという「若者が仰向けになっているマネの絵」を探しあてると、その絵のタイトルは何と『LE SUICIDÉ』。病院でようやく見つけたA・リヴォワールの名前も、住所は「Cimetière de Vassy」(ヴァッシー墓地)。

エドゥアール・マネ『LE SUICIDÉ』は、現在E.G.ビューレー・コレクション財団の所蔵となっています。
ちなみに、アンナが病院で閲覧した患者リストに記された「ヴァッシー墓地」とは、即ち居住地ではなく埋葬地のことです。
アドリアンを探す旅は、不吉な影を追う道程めいた重苦しい空気を濃く漂わせます。フランツが憧れた自由の国フランスは、フランツが命を落とした死の国でもあるのです。

アドリアンを追うアンナが辿り着いたのは、ブルゴーニュ地方のオータン。サン・ラザール大聖堂で名高い小都市です。
旅路の果て、アンナは何を見、何を聞き、何を思うのでしょう――。

IMG_20171019_005110


極上のミステリーにして、格別のラブロマンス、そして、一級のヒューマンドラマにして、至高の反戦映画。映画『婚約者の友人』は、世界がいつになく騒がしい今だからこそ観たい時代性と、時空を越えて愛され続けうる魅力に溢れた普遍性とを併せもった、稀有なる傑作です。
フランソワ・オゾン監督の最新作にして、代表作となった逸品を、是非とも劇場で。

映画『婚約者の友人』
2016年/フランス・ドイツ/仏語・独語/113分/シネマスコープ/モノクロ・カラー/5.1ch/原題:FRANTZ
10.21(土)シネスイッチ銀座 伏見ミリオン座 ほか全国順次公開

© 2015 MANDARIN PRODUCTION – X FILME – MARS FILMS – FRANCE 2 CINEMA - FOZ-JEAN-CLAUDE MOIREAU

© Mandarin Production – FOZ – X FILME Creative Pool GmbH – Mars Films – France 2 Cinéma – Films Distribution