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瀬長亀次郎(せなが かめじろう)、1907年6月10日 沖縄県豊見城市生まれの政治家。
アメリカ統治下で那覇市長を務め(1957年)、本土復帰後は衆議院議員として当選7回(1970年〜1990年)の国会議員を務めた、沖縄現代史における最重要人物の一人です。

その座右の銘を引用し「不屈の人」と称される瀬長亀次郎氏を追ったドキュメンタリー映画が、大きな話題となっています。
佐古忠彦監督『米軍(アメリカ)が最も恐れた男 その名は、 カメジロー』です。
東京での上映は連日立ち見、沖縄・那覇の桜坂劇場では単独で1万人を超えるという驚愕の動員記録とか。

【筑紫哲也NEWS23】で10年(1996〜2006年)に亘りサブキャスターを務め、2016年には今作の基となった『米軍が最も恐れた男 ~あなたはカメジローを知っていますか〜』(【報道の魂SP】)を制作した佐古忠彦監督は、TBSテレビ報道局【JNNドキュメンタリー ザ・フォーカス】プロデューサーです。
『米軍(アメリカ)が最も恐れた男 その名は、 カメジロー』先行上映では、佐古監督ご本人より作品を理解する上で素晴らしいトークが聞けましたので、出来うる限り完全再現させていただきます。
(2017年9月14日 名演小劇場)

何故、カメジロー?

小堀勝啓アナウンサー 何故、瀬長亀次郎さんを取り上げようと思ったんですか?

佐古忠彦監督 私も20年以上、沖縄には取材で通っているんですけど、いつの間にか瀬長亀次郎という人の存在を知って、いつの日か向き合いたいとずっと思ってたんです。沖縄の中で色んな偉人と呼ばれる人はいますが、その中でも強烈な記憶を残している人なんですよね。この人は沖縄の戦後史の主人公の一人なんです。毎日、基地問題など何かあるとニュースになりますけど、どうしても瞬間の事象を切り取るもんですから、全体像を伝え切れていないとの想いがずっとありました。辺野古の問題をやる度に、どこかで本土からは「また沖縄が反対してる」という一面だけを見た批判の声が出たりする……どうしてこういうことになるんだろうな、と思った時に、沖縄の戦後史というものは、本土の人の認識からすっぽり抜け落ちてるんだなと思ったんです。ならば、あの伝説のヒーロー亀次郎さんを通して戦後史を見れば、少しでも理解が進むのではないかという思いに至りまして。沖縄に行った時、『不屈館』という瀬長亀次郎さんの次女の(内村)千尋さん……この映画の主演女優さん(笑)が館長の資料館なんですけど、行ってみれば、まあ、出てくる、出てくる……本当に沢山の資料があるんですね。映画にもありましたが、亀次郎さんは日記を相当書かれているんです。200冊だそうで、大学ノートにびっしり、余白がないんです。他にも沢山の資料がありまして、「これは形にしなければならない」との想いに、そこで一気になりましたね。

小堀 TBSの社員でいらっしゃいますし、テレビに出たり日常の色々な仕事をしながら、終わってその足で沖縄に行って、取材して帰ってきて、また仕事……そんな繰り返しでの取材ですよね?

佐古監督 そうでした。

小堀 その不屈の精神って、カメジローと重なりますよ。僕もCBC(中部日本放送)で長くご飯を食べていて、同じ系列の局で手前味噌になっちゃいけないんですけど……やっぱり、TBSテレビ、JNN(ジャパンニュースネットワーク)は捨てたものじゃないな、と。こういうものを作って、この形で出していくのは、何か横槍が入るんじゃないかなんて思ってしまうんですけど?

佐古監督 よく同じような質問を受けるんですけど、全くありませんでした。

何故、沖縄は怒ってる?

小堀 皆さん、この作品を観て良かったですよね?どうして沖縄の人が怒っているのか(が、理解できて)……僕たちの周りにある日常が、沖縄にはまだ無いんですもんね?

DSC_0432佐古監督 そういうことになりますよね。戦後、本土は平和憲法が出来て、経済的にもどんどん復興して、今私たちが暮している社会に近付いていく……いい国になっていった訳ですよね。ところが、一方の沖縄で何があったかと言うと、ご覧いただいたように、本土と真逆のことがずっと起き続けていて。どんどん本土が幸せになっていく過程で、沖縄の色々なことが分からなくて当然のように過ごしてきた訳ですよね。ここを知らないのに、「沖縄がまた反対してる」とどうして言えるんだろうと、今になって思う訳ですよ。そこに想いを致すか致さないかで物の見方って変わってくると思いますし、分断だとか溝だとかを無くしたいなって本当に思うんですよね。未だに地位協定の中には、不平等条約めいたところがあります。例えば交通事故が起きた時、賠償額は日本政府がアメリカに提示して、しかも最後はアメリカが額を決めるんです。民事裁判に訴えるとしても、判決で出た金額と実際にアメリカが払うと決めた額が違う場合、差額は日本政府が税金で埋め合わせをするんですよ。これは、沖縄だけじゃないですよ。基地がある街は本土にもありますから、そこでもしアメリカ兵、もしくはアメリカ軍関係者との間でそういった事件、事故が起きたとしたら、同じような経過を辿ることもあり得る訳なんですよね。

痛快で真っ当なドキュメンタリー

小堀 ただ、僕は胸が熱くなったんですが、カメジローは何か愛嬌があるんですよね。国会で佐藤栄作首相がしきりと見得を切るような論戦を演じてる時に、「あんた、本当に分かってるのか?」と……有無を言わさぬ痛快さがカメジローにはありますね。

佐古監督 佐藤首相も、かなりタジタジになっちゃってますよね。だけど、皆さんあれを観て色んな感じ方があったと思うんですけど、私はタジタジになりながらも、お互いの立場の違いを認めた上で誠実に答えようとしていると感じたんですよね。それから46年経ってるんですけど、今の政治の姿はどうだろうかと思うんです(場内拍手)。資料映像と言われるんですけど、色々なものが見えてくるんですよね。

小堀 佐古さんは「もう少しエンターテインメントとか入れた方が、観やすいドキュメンタリーになりましたかね?」と、監督としての悩みを仰ったんですが、全然そんなことは無かったです。真っ当に作られたドキュメンタリーで、退屈するどころの騒ぎじゃなかったと思います(場内拍手)。カメジローが投獄された時のエピソードも、凄く印象的でした。

佐古監督 亀次郎さんは逮捕され、投獄されてしまうんですけれど、実は刑務所に入った時、囚人たちからも歓迎を受けるんです(場内笑)。刑務所内にあるバケツやらを打ち鳴らして、大歓迎だったとか。出獄する直前、刑務官に感想を書くよう求められたんだそうです。その中に、囚人たちの待遇の改善で実現できていない要求を書いて、更に「囚人たちの環境を良くする為には、それを管理する刑務官の待遇も良くしないといけない」と訴えたということなんですよね(場内拍手)。千尋さんも仰ってましたが、写真を見る限り、(出所を)送り出す側の人間も何となく微笑んでいるような……そんな人物だったんですよね。

小堀 このカメジローのDNAが、今でも沖縄の人たちに不屈の気持ちとしてあるんですね。僕の持論なんですが、歴史は過去から習うんじゃなく、今日のことから始めないと駄目ですよ。だって、カメジローが言っていたことは、今沖縄で起こっていることですもんね。

佐古監督 昔話のようでいて、全然昔話じゃない……“いま”なんですよね。今何故こういうことになっているか、必ず理由があるし、歴史があるからなんです。それを振り返ってみると、一つ一つ点にはなってるんですけど、それを結ぶ作業をすると一本の線で結べて、「あ、今こうあるのは、あれがあったからだ!」って分かるんですよね。ですから、今何故(沖縄)県民大会をやり続けなければならないのか、何故沖縄の人が声を挙げ続けなければならないのか、辿っていくと亀次郎さんに行き当たるんですよね。戦後なかなか物が言えない時代に、亀次郎さん含めて様々な演説会が行われた。「今日はカメジローがあるよ!」と言って、家族揃って早めに晩御飯を食べて演説会に出掛けたというのは、恐らく県民大会に家族揃って出掛けるのと同じ姿だと思うんですよ。あの時代に原点があるし、あそこに希望を託す、自らの表現をするという県民たちの政治参加を始めた時代だった。それが今も続いているというのが、一本の線で結べる現象なんじゃないかという気がするんですよね。8月12日に沖縄でこの映画を先行公開したんです。その時、大行列を作っていただいて。並んでいた皆さんの表情を見ると、「カメジローに会いに来た」って顔をしてるんです。知らない者同士が並んでるんですけど、知らない者同士でカメジローの思い出話や、今の基地を巡るワジワジーした気持ち……これ、沖縄の言葉なんですけど……そういう気持ちを皆で共有して、分かち合い、そして話が盛り上がった、とある方が仰ってました。恐らく、50年前、60年前の演説会ってそういう雰囲気だったんじゃないかな、という感じすらしました。当時の再現を見たという想いと、今も変わらないという気持ちを感じましたね。

おしえてよ、カメジロー!

DSC_0433小堀 冒頭で流れるネーネーズのカメジローの歌は、知名定男さんが作った曲ですね。

佐古監督 知名さんとお話した時に仰ってたのは、この歌を作ったのは2005年頃、小泉(純一郎)政権の時に紆余曲折した普天間基地の移設先がブーメランのように辺野古に戻ってきたような時期で、相当な混乱が生まれていたんです。知名さんが辺野古のゲートの前に車で走らせていたら、皆が「頑張ろう!」と手を上げている。これだけ郷土愛に包まれて頑張っている人たちに、どうやって自分は応えたら良いだろうか、と思いながら前を通り過ぎた時、ふとカメジローが浮かんだんですって。そこで出てきたのが「おしえてよ亀次郎」で、カメジローに教えを乞うたけれども、一方で「現代にカメジローは居るのか?」という、人々への突きつけという想いだったそうです。

小堀 沖縄の人は、「亀次郎さん」とか、神格化して「亀次郎様」とかでなく、「カメジロー」と呼び捨てにしてる……自分たちのものなんですね、カメジローは?

佐古監督 なんか、「瀬長さん」とか「亀次郎さん」じゃないんですって。「カメジロー」っていうのが一番ぴったり来ると、知名さんも言ってました。民衆との距離感の近さであるとか、両者の信頼関係の厚さとか……今の政治家と国民との間には、どういう関係があるのかということすら思わせられますね。

これまで、そして、これから

小堀 せっかく今のように何を言っても自由な時代なのに、皆が何も言えないような雰囲気になってる僕たちは、カメジローの一撃をもらったような気がします。

佐古監督 沖縄でも東京でも多くの方にお越しいただいてるんですけど、「基地問題の原点を探そう」「沖縄の人たちの姿の理由は何だろうか?」という想いは私もこの映画に込めた想いですし、そこを観ていただいているとは思うんですが……物を言い難くなったといわれる時代に、これだけスパッと物を言える人を求める気持ちでご覧になってる方も多いのではないかと、最近ちょっとしてきてるんです。

小堀 夜の早い名古屋では、深夜どころか午前様に近い時間(ちなみに、21:40頃)となりました(場内笑)。最後に一言お願いします。

佐古監督 歴史があるから、今があるという想いで作って参りました。これは、実は私たちの問題なんです。本土にあまり伝えられていなかった歴史をきちんと見ることが、とても必要なことなんじゃないかという気がしています。色んな疑問が解ける部分もあろうかと思います。一つ一つの事実を積み上げると、やっぱり見えてくる物があると思うんです。

小堀 9月23日、24日の土日、この名演小劇場で再び佐古忠彦監督と、主演女優の内村千尋さん、お二人のトークがあるんですよね。19時10分の上映回の上映終了後ですから、21時頃からですか……

佐古監督 ……また“深夜”なんですね(場内笑)。


「ムシルヌ アヤヌ トゥーイ アッチュンドー」
幼い頃母から掛けられた言葉は、瀬長亀次郎の人生に大きな影響を与えたといいます。
この琉球言葉の意味は、
「筵(むしろ)の綾のように正直に真っ直ぐに生きろ」。

“正直に真っ直ぐに生きる”はじめの一歩は、真実に目を向ける真摯な視点なのかもしれません。

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「亀さんの背中に乗って、祖国の岸に渡ろう」 アメリカ統治下の沖縄で、亀次郎氏の演説会に出席した者は、本土復帰への道程をこんな風に表現したそうです。
瀬長亀次郎という巨人には手が届かずとも、私たちも“子カメジロー”“孫カメジロー”くらいならなれるやもしれません。
そして、そんな小さな力も、集結することができるなら、大いなる未来を目指す“ミズガーミ”(ウミガメ)と化すことだってできるはずです。

カメジローの言葉を借りるなら、
「沖縄の90万人民が声をそろえて叫んだならば、太平洋の荒波を越えてワシントン政府を動かすことができる」 ように――。

映画『米軍(アメリカ)が最も恐れた男 その名は、 カメジロー』オフィシャルサイト