枯れ木に銃弾4

2026年5月9日(土)〜シネマスコーレ(名古屋市中村区椿町8-12 アートビル1F)にて公開される

映画『枯れ木に銃弾』

本作は、75歳にして長編映画監督デビューを果たした司慎一郎が、現代社会から「不必要な存在」としてパージされる高齢者の悲哀と怒りを凄惨なバイオレンスの形式で描き出した意欲作だ。

50年の空白を経て開花した「映画狂」の執念

本作を語る上で欠かせないのが、司慎一郎監督の数奇な歩みである。

1950年北海道生まれの司監督は、早稲田大学在学中に監督した『ゼロの手記』が、あの寺山修司に激賞されるほどの才能を見せながらも、家庭の事情で一度は映画の道を断念した。
その後、実業家として成功を収めたが、人生の終盤に差し掛かり「本当にやり残したことはないか」と自問。
50年の時を経て再びメガホンを取り、自身の人生観を投影した「シニア・ノワール」という新ジャンルを打ち立てた。

司監督の演出は、サム・ペキンパーやマカロニウエスタンへの愛に裏打ちされている。
CGを排したリアルな血飛沫や、自身の原体験である「電車の音」へのこだわり等、63分という凝縮された上映時間に圧倒的なリアリズムと熱量が叩きつけられている。

「枯れ木」の身体性と、逆転した夫婦の絆

この物語を支えるのは、メインキャストふたりの圧巻の存在感だ。

枯れ木に銃弾2

鷲田五郎(山西喜一郎 役)は『夜を走る』『僕らはみーんな生きている』などに出演する実力派。
本作では「気が弱く正直な人間が、不条理な社会に追い詰められて一線を越えてしまう」という難役を、多層的な悲哀を込めて演じきった。

田所ちさ(山西あかね役)は、元幼稚園教諭という異色の経歴を持つ。
マーティン・スコセッシや北野武といった巨匠の作品にも名を連ねる実力派である田所は、夫と共に地獄へ堕ちる覚悟を決めた妻の強靭な生命力を体現した。

枯れ木に銃弾3

撮影中の象徴的なエピソードとして、自転車での逃走シーンがある。
当初は喜一郎(鷲田)が運転する予定だったが、本番直前に鷲田が「自転車に乗れない」と告白したため、急遽あかね(田所)が運転する形に変更されたという。
このアクシデントが、「追い詰められた極限状態で夫を支え、自らペダルを漕ぐ妻」という力強い構図を生み出し、作品に予期せぬ深みを与えている。

枯れ木に銃弾1

賛否両論を呼ぶ「不条理の暴力」とその真価

本作に対する評価は極めて鮮明に分かれている。
主人公夫婦が「罪のない民間人」を無差別に殺害する展開や、あまりにも高齢者に対して冷酷すぎる周囲の人物(上司、レジ店員、警察官)のキャラ造形違、そして脚本の倫理的整合性の欠如を指摘する声も少なくない。

一方で、それら「歪さ」こそが不条理の集約であり、デジタル化や効率至上主義から零れ落ちた者たちの「魂の叫び」であるとする支持も熱い。
「おらたちの今日は みんなの明日だ」
という劇中の台詞が示す通り、老いと尊厳の問題が自分事として突き刺さるという共感が広がっている。

枯れ木に銃弾5

インディーズ映画の聖地「シネマスコーレ」での邂逅

本作が名古屋のシネマスコーレで上映されることには、極めて重い批評的意味がある。

1983年、映画監督・若松孝二が「上映の場を奪われた若い才能のため」に創設したこの劇場は、長年「燃えよインディーズ」を掲げて戦ってきた。

若松監督が遺した「作りたいという意志があれば映画は映画だ」という信念は、75歳で夢を掴んだ司慎一郎の生き様と完璧に共鳴する。
支配人・坪井篤史による「映画そのものを最優先する」情熱的な運営スタイルも含め、シネマスコーレという空間そのものが、本作が描く「社会への反旗と尊厳」を増幅させる舞台装置となっている。

目撃してほしいのは、その「熱量」

映画『枯れ木に銃弾』は、決して心地よいだけの物語ではない。
しかし、半世紀の沈黙を破った老監督と俳優たちがスクリーンに刻みつけた「歴史の真実」は、観る者の倫理観を激しく揺さぶるだろう。

5月9日(金)公開初日には、司慎一郎監督、鷲田五郎田所ちさがシネマスコーレへ舞台挨拶に駆け付けるという。
「シニア・ノワール」の中核を成す三人は濃密な空間で何を語り、観客はどんな「銃弾」を浴びせられるのか?
75歳の新人が放つ、弾丸よりも鋭い「言葉」と「熱」を、ぜひ劇場で体験してほしい――。

『枯れ木に銃弾』公式サイト

https://kareki-jyuudan.com/
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