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日本における防疫を語る上で、日本が島嶼国である事実から目を背けて語ることはできない。

地政学上、などと大仰に論を進めるまでもなく、21世紀しかも元号が刷新されて久しい現代においてすら、新型ウイルスなどの疫禍に直面するにあたり、いまだに「水際」などという言の葉が乱れ飛ぶのが現状だ。

まして……想像していただきたい。
明治末期というから今から120年前の日本で、未知の感染症、しかも(当時)不治の病が蔓延した時、大日本帝國政府はどんな対策を打ったのか。

病の名を、「らい(癩)病」という。
現在では、「ハンセン病」と呼ばれている。

ハンセン病対策の法律は、「癩予防ニ関スル件」(1907(明治40)年制定)、「癩予防法」(1931(昭和6)年制定)、「らい予防法」(1953年(昭和28)年制定)があるが、一貫して終身強制隔離、患者絶滅政策という誤った社会防衛が採られた。

ハンセン病は極めて感染力の低い疫病であることが明らかになっても、更には特効薬(プロミン)の発見を経た上でも尚この基本的思想は見直されることはなく、1996(平成8年)年3月にようやく同法が廃止されるまで続いた。

1930年(昭和5年)、日本初の国立療養所として発足した「長島愛生園」も、そんな隔離施設の一つ。
岡山県瀬戸内市に所在する長島は、らい病の診療所が建設されて以来、村有地や民有地の殆どが政府に買収され、従来からの島民は居なくなった。

本土への移動手段は舟しかなかった(当時)長島は、らい病患者と診療所の職員だけが暮らす離島となった。
日本という「島嶼」の中で、らい病患者は「島」に隔離されたのである。

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そんな長島愛生園で8年もの長きにわたり撮られたのが、ドキュメンタリー映画『かづゑ的』である。

長島愛生園を語る上で、時代的背景を考慮するとしても、当時の日本政府の、そして初代園長である光田健輔医師の過誤を論じない訳にはいかない。

しかし、『かづゑ的』監督の熊谷博子氏は、敢えて政府や園の失策に(必要以上の)時間を割くことをせず、一人の入所者の生活をつぶさに追うことによって私たちが今も抱える問題を鮮やかに浮かび上がらせた。

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『かづゑ的』の主人公は、映画のタイトルにもなった宮﨑かづゑさん。
療養所に入居して以来80年あまり、かづゑさんは今も長島で暮らしている。

病気の影響で手の指、右足を切断したかづゑさんは、視力も失いつつあるという。
だが、日々乗用カートを駆り、買い物をこなし、自炊し、パソコンを操る。

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10歳で入所したかづゑさんは、他の患者からいじめに遭い、つらい少女時代を過ごした。
だが、かづゑさんは過去を悲観したりしない。

つらい日々を乗り越えられたのは、世間の目を気にすることなく面会に来てくれた家族の愛情や、図書館で出会ったたくさんの愛読書だという。
夫・孝行さんとも、読書好き同士の縁で出会ったとか。

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78歳でパソコンを覚えたかづゑさんは、84歳でエッセイ『長い道』を初出版。
『長い道』は重版されるほどの評判となり、愛読者との思わぬ邂逅がかづゑさんの人生を彩る。

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困難な境遇、不自由な環境、誰しも運命を呪いたくなる状況に身をおくかづゑさんだが、実に生き生きと、そして自身を飾ることなく、自然と共に暮らす。
そう、「かづゑ的」としか呼びようのない、掛け替えのない生き方を見せる。

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「らい政策の問題点」を、「ハンセン病患者の現状」を、この目に焼きつけようと身構えていた私たちは、面食らうことになる。
誤解を恐れずに言うなら、『かづゑ的』は「世界一あかるいハンセン病患者ドキュメンタリー」だ。

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宮﨑かづゑさんの生き方が、かづゑさんに8年間寄り添い続けた
熊谷博子監督の視線が観せてくれるのは、残酷な過去だけでは、過酷な現在だけではない。
もっともっと人として知らねばならぬ、大きく貴い「人間の尊厳」そのものだ。

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あらゆる差別は、人間の尊厳を奪う行為に他ならない。
それは即ち、人類が自ら未来の可能性を閉ざす行為に他ならない。

長島愛生園の入居者は「ハンセン病完治者」であるにも拘らず、いまだに故郷に帰ることも適わず、離島で暮らし続けねばならないことを忘れてはいけない。
あまつさえ、宮﨑かづゑさんですらその一人なのだ。
かづゑさんが島を離れる場面は、慟哭を禁じえなかった。

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現代でも蔓延る差別が、無知や無理解を原因とするならば、映画は極めて優秀な啓蒙の先陣となりうるはずだ。
「かづゑ的」に生きる宮﨑かづゑさんが、
熊谷博子監督の視点が、
ドキュメンタリー映画『かづゑ的』が、
文字通り闇に光をもたらす。

映画館の暗闇でスクリーンの光を浴びた私たちは、もう気づいてしまった。
残酷な過去を、過酷な現在を越えて、少しでも明るい未来を築くのだ――。

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©︎Office Kumagai 2023

映画『かづゑ的』公式サイト

https://www.beingkazue.com/