2016年7月26日未明に起きた、相模原市障害者者施設殺傷事件。
死亡者19名を含む45名が殺傷されるという、発生当時「戦後最大の殺人事件」として多くの人々を震撼させた。
だが、捜査が進展し、公判が開廷されると、私たちは更なる戦慄を覚えない訳にはいかなかった。
現代、私たちの生活圏において、これほどまでの優生思想が蔓延っているというのか!
2017年に発表された辺見庸「月」は、当事件をモチーフにした小説だ。
そして、この小説を原作に制作された映画が、10月13日(金)公開となる。
石井裕也監督作品『月』である。
アニメーション作家の夫・昌平(オダギリジョー)は、表現者として尊敬する洋子のことを「師匠」と呼んでいる。
洋子が新しく見付けた職場は、暗く深い森の中にある重度障害者施設。
所長(モロ諸岡)ら職員は外面は上手く取り繕っているが、入所者への虐待が日常化している。
洋子は、生年月日が自分と同じ「きーちゃん」と呼ばれる入居者にひときわ思い入れを深くする。
洋子が職場で仲良くなった職員は、二人。
一人は、裕福だが家庭内に問題を抱える、小説家志望の坪内陽子(二階堂ふみ)。
もう一人は、「さとくん」(磯村勇斗)。
さとくんは、入所者に自作の紙芝居を読み聞かせるなど仕事熱心で明るい青年だが、同僚に疎まれていた――。
辺見庸「月」は、スターサンズの故・河村光庸プロデューサーが切に映画化を望んでいた小説だったという。
『かぞくのくに』(ヤン ヨンヒ監督)『新聞記者』(藤井道人監督)など名作を世に出し続けた名プロデューサー河村氏は、企画・エグゼクティブプロデューサーを務めた本作の撮影直前2022年6月11日に逝去した。
監督として白羽の矢が立ったのは、『舟を編む』『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』『アジアの天使』など純度の高い作家性に溢れた映画を撮り続ける、石井裕也監督。
オファーを受けた石井監督は、「逃げられない映画」として覚悟を決めたと語っている。
撮影は、『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』『茜色に焼かれる』の、鎌苅洋一氏。
照明は、『Shall we ダンス?』『舟を編む』の、長田達也氏。
録音は、『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』『映画 コンフィデンスマンJP』シリーズの、髙須賀健吾氏。
音楽は、『キネマの神様』『闇の子供たち』の、
岩代太郎氏。
集まったスタッフの布陣からも、映画『月』の本気度を感じずにはいられない。
そして、そんな制作陣渾身の作品に集った俳優たちもまた、人気、実力ともに邦画界を代表する豪華な布陣である。
堂島昌平役には、名優オダギリジョー。
宮沢りえとの夫婦役というと『湯を沸かすほど熱い愛』(中野量太監督)を思い起こさせるが、台詞に頼らずともパートナーとの関係性を観る者に理解させる「説得力」をオダギリは持っている。
坪内陽子役は、日本を代表する「憑依系」俳優・二階堂ふみ。
『ほとりの朔子』(深田晃司監督)『この国の空』(荒井晴彦監督)『ばるぼら』(手塚眞監督)と、千変万化する表現の多彩さは、本作でも健在。
父(鶴見慎吾)母(原日出子)との食事のシーンは必見だ。
物語の「もう一人の主人公」さとくん役には、磯村勇斗。
文句なし、まさに「名刺代わりの映画」として、彼のキャリアに『月』は残り続けるはずだ。
徐々に言動に違和感を帯びる「さとくん」の台詞だが、実は声色には最初から最後までそれほど変化がないことに注意してほしい。
そして、主人公・堂島洋子役には、宮沢りえ。
映画『月』には「何人もの堂島洋子」が登場するので、その一人ひとりに感情を揺さぶられ、嘆息を吐かされてほしい。
観る者は、圧巻に次ぐ圧巻としか言いようのない芝居を味わい言葉を失くす頃、『月』が退き返すことの出来ない世界となっているはずだ。
主要な登場人物は全員、脚本も自ら手掛けた石井裕也監督を投影していると言える。
小説が書けなくなった洋子、小説家志望の陽子、一人で映像作品を作り続ける昌平。
皆、作品を生みださんと足掻く人々だ。
すると、恐ろしいことに気付かざるを得ない。
石井監督が自己を投影したキャラクターには、「さとくん」も含まれるのだ。
あらゆる作者にとって、作品を生み出すことは自己表現、否、自己実現に他ならないとするならば、さとくんの行為も「作品」と言えてしまう。
『月』を観ることは、日本の、現代社会が抱え続ける暗部、禁忌に直接触れることを意味する。
そしてそれは、タブーを直視しない自身に向き合うことに他ならず、さらに言えば、私たちはいつ何時「当事者」になってもおかしくない闇の中で生活しているのだ。
断じて許されるべきではない「さとくん」の行為だが、劇中では全力で否定する姿勢は貫かれていない。
私たちが「さとくん」を否定するのは、それほどまで困難を伴うということだ。
映画『月』が、あなたにとって闇夜を照らす仄灯りになることを願う。
2016年7月26日の夜空には、やや痩せた下弦へと向かう月が浮かんでいたという――。
死亡者19名を含む45名が殺傷されるという、発生当時「戦後最大の殺人事件」として多くの人々を震撼させた。
だが、捜査が進展し、公判が開廷されると、私たちは更なる戦慄を覚えない訳にはいかなかった。
現代、私たちの生活圏において、これほどまでの優生思想が蔓延っているというのか!
2017年に発表された辺見庸「月」は、当事件をモチーフにした小説だ。
そして、この小説を原作に制作された映画が、10月13日(金)公開となる。
石井裕也監督作品『月』である。
映画『月』ストーリー
堂島洋子(宮沢りえ)は、デビュー作がヒットしたものの、次作を書くことが出来ないでいる小説家。アニメーション作家の夫・昌平(オダギリジョー)は、表現者として尊敬する洋子のことを「師匠」と呼んでいる。
洋子が新しく見付けた職場は、暗く深い森の中にある重度障害者施設。
所長(モロ諸岡)ら職員は外面は上手く取り繕っているが、入所者への虐待が日常化している。
洋子は、生年月日が自分と同じ「きーちゃん」と呼ばれる入居者にひときわ思い入れを深くする。
洋子が職場で仲良くなった職員は、二人。
一人は、裕福だが家庭内に問題を抱える、小説家志望の坪内陽子(二階堂ふみ)。
もう一人は、「さとくん」(磯村勇斗)。
さとくんは、入所者に自作の紙芝居を読み聞かせるなど仕事熱心で明るい青年だが、同僚に疎まれていた――。
辺見庸「月」は、スターサンズの故・河村光庸プロデューサーが切に映画化を望んでいた小説だったという。
『かぞくのくに』(ヤン ヨンヒ監督)『新聞記者』(藤井道人監督)など名作を世に出し続けた名プロデューサー河村氏は、企画・エグゼクティブプロデューサーを務めた本作の撮影直前2022年6月11日に逝去した。
監督として白羽の矢が立ったのは、『舟を編む』『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』『アジアの天使』など純度の高い作家性に溢れた映画を撮り続ける、石井裕也監督。
オファーを受けた石井監督は、「逃げられない映画」として覚悟を決めたと語っている。
撮影は、『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』『茜色に焼かれる』の、鎌苅洋一氏。
照明は、『Shall we ダンス?』『舟を編む』の、長田達也氏。
録音は、『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』『映画 コンフィデンスマンJP』シリーズの、髙須賀健吾氏。
音楽は、『キネマの神様』『闇の子供たち』の、
岩代太郎氏。
集まったスタッフの布陣からも、映画『月』の本気度を感じずにはいられない。
そして、そんな制作陣渾身の作品に集った俳優たちもまた、人気、実力ともに邦画界を代表する豪華な布陣である。
堂島昌平役には、名優オダギリジョー。
宮沢りえとの夫婦役というと『湯を沸かすほど熱い愛』(中野量太監督)を思い起こさせるが、台詞に頼らずともパートナーとの関係性を観る者に理解させる「説得力」をオダギリは持っている。
坪内陽子役は、日本を代表する「憑依系」俳優・二階堂ふみ。
『ほとりの朔子』(深田晃司監督)『この国の空』(荒井晴彦監督)『ばるぼら』(手塚眞監督)と、千変万化する表現の多彩さは、本作でも健在。
父(鶴見慎吾)母(原日出子)との食事のシーンは必見だ。
物語の「もう一人の主人公」さとくん役には、磯村勇斗。
文句なし、まさに「名刺代わりの映画」として、彼のキャリアに『月』は残り続けるはずだ。
徐々に言動に違和感を帯びる「さとくん」の台詞だが、実は声色には最初から最後までそれほど変化がないことに注意してほしい。
そして、主人公・堂島洋子役には、宮沢りえ。
映画『月』には「何人もの堂島洋子」が登場するので、その一人ひとりに感情を揺さぶられ、嘆息を吐かされてほしい。
観る者は、圧巻に次ぐ圧巻としか言いようのない芝居を味わい言葉を失くす頃、『月』が退き返すことの出来ない世界となっているはずだ。
主要な登場人物は全員、脚本も自ら手掛けた石井裕也監督を投影していると言える。
小説が書けなくなった洋子、小説家志望の陽子、一人で映像作品を作り続ける昌平。
皆、作品を生みださんと足掻く人々だ。
すると、恐ろしいことに気付かざるを得ない。
石井監督が自己を投影したキャラクターには、「さとくん」も含まれるのだ。
あらゆる作者にとって、作品を生み出すことは自己表現、否、自己実現に他ならないとするならば、さとくんの行為も「作品」と言えてしまう。
『月』を観ることは、日本の、現代社会が抱え続ける暗部、禁忌に直接触れることを意味する。
そしてそれは、タブーを直視しない自身に向き合うことに他ならず、さらに言えば、私たちはいつ何時「当事者」になってもおかしくない闇の中で生活しているのだ。
断じて許されるべきではない「さとくん」の行為だが、劇中では全力で否定する姿勢は貫かれていない。
私たちが「さとくん」を否定するのは、それほどまで困難を伴うということだ。
映画『月』が、あなたにとって闇夜を照らす仄灯りになることを願う。
2016年7月26日の夜空には、やや痩せた下弦へと向かう月が浮かんでいたという――。
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