「夢を追う」という生き方には、二通りある。
その一つは、明確な目標、未来のヴィジョンが見えていて、それに邁進する生き方だ。
目指していたゴールめいたものは、往々にして変化する。
さらなる高みを目指すことになることもあれば、たどり着けないことを理解して挫折することもある。
しかし、どんなルートを辿ろうが、心の声に従って夢を追った者は、自分の人生を満ちたりた気持ちで思い返す。
問題なのは、もう一つの夢の追い方だ。
人は時として、思い通りにならない環境を変えたいがために、「夢」を語ることがある。
それは夢を追っているのではなく、単なる逃避に過ぎないのだが、そのことに気付く頃には、時すでに遅し。
心の声に背を向け、夢を追うふりをして逃げてきた者は、自分の人生を後悔をもって振り返る。
熊切和嘉監督最新作『658km、陽子の旅』の主人公は、まさにそんな人物である。
『658km、陽子の 旅』ストーリー
東京で一人暮らしする陽子(菊地凛子)は、42歳。就職氷河期に夢を追って故郷を離れたものの、それから20年フリーター生活を続けており、今では半ば世捨て人となっている。
そんな陽子を、ある日従兄の茂(竹原ピストル)が訪ねてくる。
反対を押し切って家を飛び出して以來音信不通になっていた父が、亡くなったという。
茂に言われ渋々葬儀に向かうことにした陽子だが、引きこもりのような生活をしていることもあり、車中で茂の妻子に打ち解けることも出来ず居心地が悪い。
そして、突発的な事故により、所持金も連絡機器も持たぬままサービスエリアに置き去りにされてしまう。
仕方なくヒッチハイクすることにした陽子は、父の葬儀に間に合うのだろうか?
出棺は明日の正午、故郷は遠い弘前だ――。
主人公・陽子には、『バベル』(06)、『パシフィック・リム』シリーズの、菊地凛子。
国際派女優としてハリウッド映画など海外作品に出演し続ける菊地だが、意外なことに日本映画では本作が初めての単独主演となる。
孤独という殻に閉じこもったような陽子の眼差しは、観る者の心を深く抉る。
終始一貫主人公の視点で描かれる『658km、陽子の旅』は、だからこそ陽子に関わる共演陣の存在感が光る。
黒沢あすか演じる久美子は、良くも悪くも自分本意な優しさを見せる。
見上愛が扮するリサは、人懐っこいが距離感を測れないところがある。
浜野謙太は自称ライターの若宮役で、打算的で胡散臭い人間関係を示す。
吉澤健と風吹ジュンは復興半ばの被災地の夫婦を演じ、温かみで銀幕を覆う。
そして、物語の幕開けと幕引き、その両方を竹原ピストルがしっかりと務めあげ、オダギリジョーが全編を通し作品を引き締める。
物語の原案、脚本(浪子想との共同脚本)を務めたのは、室井孝介。
2度目のTCP(ツタヤクリエイターズプログラム)応募で見事TCP2019脚本部門で審査員特別賞を獲得し、映像化を射止めた。
監督を務めたのは、『海炭市叙景』『私の男』『#マンホール』の熊切和嘉。
熊切監督と菊地凛子(当時:菊地百合子)は、『空の穴』以來20年ぶりのタッグとなる。
『658km、陽子の旅』は、ロードムービーである。
だが、ロードムービーに必要不可欠な要素の一つが「主人公の成長」とするならば、本作は定義に外れた映画だ。
東京から弘前までの道すがら、陽子は大いに藻掻き、袖擦り合う人々の温情に触れる。
しかし、物語の冒頭とラストで陽子が成長を遂げたのかと言われれば、そうでもない。
陽子は、ただ単に、自ら閉ざしていた心根に気付き、自らが拒み続けていた係わりを認めたに過ぎない。
間に合う、間に合わないと、考え、焦るのは止そう。
生きてる限り、「not too late」。
人生とは、そういうものだ――。
映画『658km 、陽子の旅』
7月28日 (金)ユーロスペース
テアトル新宿
センチュリーシネマ
ほか全国順次公開
TSUTAYA CREATORS' PROGRAM FILM 2019 脚本部門 審査員特別賞受賞作品
©2022「658km、陽子の旅」製作委員会
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