広島港、呉港とフェリーや高速船で連絡する、江田島(えたじま)。
元々は別の島だった能美島と地続きで、Y字型の形状はさながらハサミを振り上げる海老のようだ。
江田島は、海老の右腕の位置になる。
広島湾に限らず、大小多くの島々(なんと、700以上という!)が浮かぶ瀬戸内海の風景は、古くから日本人の目を、幕末期からはヨーロッパをはじめとする外つ国の人々の目を奪い続けている。
波も穏やかな瀬戸内に浮かぶ島々の風光明媚な景観を、人々は「多島美」(たとうび)と呼び愛している。
だが、美しい自然が時として残酷な牙を剥くことも、私たちは悲しいことに知っている。
2018年初夏の西日本豪雨では、広島県でも土砂崩れ、浸水が相次ぎ、死者108名、行方不明者6名という甚大な被害を齎した。
広島でCMや短編映画を手掛ける宮川博至監督も、西日本豪雨を体験した一人。
2018年といえば、監督作『テロルンとルンルン』が国内外の映画祭で絶賛されていた時期と重なる。
2023年1月6日(金)より全国ロードショーとなる『とべない風船』は、広島県呉市や江田島市など「多島美」の地でオールロケを敢行した、宮川博至監督の最新作。
宮川監督にとって初長編となる今作には、災害の記憶を風化させまいとするメッセージも込められている。
『とべない風船』ストーリー
瀬戸内海のとある島に、教師を辞めて休職中の凛子(三浦透子)がやってくる。
数年前から亡き母(原日出子)と島に移り住んでいる繁三(小林薫)は、一人娘の凛子に何かと世話を焼くが、疎遠になっていた父娘はなかなか心が通わない。
到着した日の晩、真っ暗闇の中獲れた魚を届けにきた漁師の憲二(東出昌大)に、凛子は腰を抜かす。
ろくに言葉も発さない憲二は、繁三の顔馴染・マキ(浅田美代子)が営む居酒屋でも、漁師仲間(笠原秀幸、中川晴樹、遠山雄、柿辰丸)らとも打ち解けない様子で、凛子は気味が悪い。
だが、憲二も以前はこんな風ではなかったと少しずつ分かってくる。
憲二は数年前の豪雨災害で起きた土砂崩れで、愛する家族を亡くしていたのだ――。
家族を亡くし絶望の淵から抜け出せないでいる主人公・憲二役を、『桐島、部活やめるってよ』『スパイの妻』などの東出昌大が、文句なしの熱演を見せる。
哀しみの底を舐め続けるかのような絶望を感じさせる、圧倒的な無表情に注目してほしい。
そして、そんな虚無の仮面から時折ほんの少しだけ覗く感情の機微を、見逃さないでほしい。
もう一人の主人公、人生に希望を見出だせないでいる凛子には、『ドライブ・マイ・カー』『スパゲティコード・ラブ』など実力を見せつけ続ける三浦透子。
過去のトラウマを感じさせるような、陰のある繊細な演技は、さすがの一言。
絶望に沈む二人に、実力派揃いのキャスト陣がしっかりと脇を固める。
小林薫が演じる繁三は、教師を定年まで勤め上げ、島では「先生」と呼ばれている。
不器用な父として、先輩教師として、凛子の幸せを常に願い続ける。
浅田美代子の演じるマキは、疎遠だった頃の父母のことを、凛子に諭すように教える。
原日出子が演じる凛子の母さわは、既に亡くなっているにも拘わらず、凛子の、そして憲二の、人生の師となる。
堀部圭亮が演じた憲二の義父・宇志は、厳しくも人間臭く憲二と対峙する。
そう、『とべない風船』の主人公たちの周りには「教師」が溢れている。
だが、ステレオタイプな、絶望に沈む主人公の復活譚、成長譚ではないところが、今作の最大の特徴である。
『とべない風船』は、人生の滋味を識り尽くしたような先人が、賢し気に若者を導き諭すような映画ではないのだ。
憲二の周囲を見てみると、過疎化や漁業の先細り、医師不足など、災害だけでなく、日々の生活も問題点に溢れている。
逆に、凛子の立場から見ると、この物語は「バカンス映画」と捉えることも出来る。
そして何より、『とべない風船』には、そこかしこにユーモアが、コミカルな演出が顔を覗かせる。
物語のコメディリリーフとして、笠原秀幸が演じる潤と、遠山雄が演じるデクの存在を忘れる訳にはいかない。
帽子がタモに入るシーンは、映画のマジックを感じた。
悲しみがあるから、喜びがある――
絶望が深いほど、歓喜は増す――
人生とは、世界とは、そんな悲喜がコントラストを成す、分かりやすいものなのだろうか。
断じて違う、と声を大にしたい。
喜びの隣には悲しみがあり、歓喜と絶望は地続きだ。
自然災害など、まさしくそうではないか。
平凡な日々とは、奇跡の連続なのだ。
そして、それを知ることは、とても大切なことなのだ……平凡に生きる者にも、絶望を行く者にも。
瀬戸内海の青が反射した空の中、
黄色い風船は微笑んでいるように見えた――。
映画『とべない風船』
2023年1月6日(金)より
新宿ピカデリー、ヒューマントラストシネマ渋谷、 伏見ミリオン座
ほか全国順次ロードショー
監督・脚本: 宮川博至
出演:
東出昌大、三浦透子
小林薫、浅田美代子
原日出子、堀部圭亮、笠原秀幸、有香、中川晴樹
柿辰丸、根矢涼香、遠山雄、なかむらさち
プロデューサー:奥野友輝
協力プロデューサー:鈴木剛
助監督:濱本敏治
撮影:亀井義紀
照明:太刀掛進
美術監督:部谷京子
録音:古谷正志
音楽:菊地智敦
製作:buzzCrow Inc.
配給:マジックアワー
2022年/日本/カラー/1.85:1/5.1ch/DCP/100分
『とべない風船』公式サイト
舞台挨拶情報
2023年1月8日(日) 10:00の回
会場:伏見ミリオン座(名古屋市中区錦2丁目15−5)
登壇予定:宮川博至監督、東出昌大さん
コメント