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私たちは、見知らぬものに、ふと「既視感」(デジャヴ)を覚える瞬間がある。
見知らぬ風景、初対面の人、初めて聞くはずの楽曲……
一瞬、脳髄が混乱し、いつもの日常が揺らぐ。

同じように、見慣れたものに、ふと「未視感」(ジャメヴ)を覚える瞬間がある。
見慣れた人、書き馴れた文字、ルーティンな行動……
一たび違和感を覚えたが最後、肌に馴染んでいたはずの日常が瓦解するかのような感覚に支配される。

そして、ふとアイデンティティが消失する。

全国ロードショー公開中の映画『たまらん坂』は、そんな作品だ。

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『たまらん坂』ストーリー

大学生のひな子(渡辺雛子)は、秋の日に傘を差し墓地を歩いている。
一つの墓の前で僧職の読経を聞くひな子に、携帯電話が鳴る。
電話の主である父・圭一(古舘寛治)は、空港で足止めされていることを告げる。
ひな子は、祥月命日である母の墓に、新しいコスモスが供えられていることに気付く――。

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監督は、デビュー作『LINE』から、『ドキュメンタリー映画 100万回生きたねこ』『フリーダ・カーロの遺品 石内都、織るように』など国内外で注目を浴び続ける、小谷忠典監督。
「たまらん坂」をはじめ黒井千次の短編小説を原作に作られた物語は、まさに小谷監督の独創的作家性の真骨頂とも言うべき映画に昇華した。
武蔵野大学、武蔵野文学館の協力の元、4年という歳月を掛けて生み出された86分のモノクローム世界を、是非とも味わってほしい。

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主人公・ひな子を演じるのは、新人の渡邊雛子。
武蔵野大学在学中に抜擢され映画初出演を果たした本作に続き、短編映画やミュージックビデオへの出演も相次ぐ新星だ。
ひな子は、ひょんなことから覚えた「未視感」に捉われ、徐々に自分自身をも見失いそうになる難役である。
渡邊雛子は、熱演でも好演でもなく、自然体の演技、言うなれば「平演」でひな子を表現してみせた。

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そんなひな子の彷徨を、名優たちが文字通り脇を固める。
古舘寛治は、ひな子にとってまさに主観と客観の狭間を埋めるような重要な役どころ。特に、声を傾聴してほしい。
その登場で物語が一気に展開(転回)するのは、小沢まゆ。ひな子に掛ける言葉は、いつしか観る者への問いかけとなる。

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そして、渡辺真起子が流石の存在感をみせる。
『眠り姫』の七里圭監督も出演しているので、お見逃しなきよう。

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また、大寳ひとみのアニメーションが静謐な世界観に広がりをもたらし、松本佳奈の歌が物語に華を添える。
さらに、RCサクセションの名曲が、映画のキーとなる。

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劇中で用いられるナレーションが、『たまらん坂』の大きな魅力となっている。
小説の朗読で始まったかと思うや、いつしか主人公の行動をも内包するようになり、やがて登場人物のモノローグのようにも聞こえてくる。
この辺りのアイデンティティの揺らぎは、まさに映画の主題にも関わるので、一文一語を噛みしめて聴いてほしい。

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『たまらん坂』は、マルセイユ国際映画祭、シンガポール国際アートフェスティバルなど、世界各国の映画祭で高い評価を受けた作品だ。

日本語は、仮名、漢字を併用する多文化言語で、しかも漢字に音訓読みが存在し、音便には特殊なルールがある。
同音異義語が極めて多く、オノマトペも多彩だ。
『たまらん坂』は、そんな日本語特有の言語感覚が物語の大きな特徴になっているので、海外の観客がどんな感想を抱いたのか、とても興味深い。

名古屋では、5月21日(土)からシネマスコーレ(名古屋市中村区椿町8−12 アートビル 1F)で上映が始まる、『たまらん坂』。
初日には渡辺雛子と小沢まゆ両氏が舞台挨拶に登壇する予定なので、どんなお話が聞けるのか楽しみにしている。

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映画『たまらん坂』

渡邊雛子
古舘寛治 小沢まゆ
渡辺真起子 七里圭 黒井千次

監督:小谷忠典

脚本:土屋忍 小谷忠典
脚本協力:大鋸一正
撮影:倉本光佑 小谷忠典
録音:柴田隆之 永濱まどか
助監督:溝口道勇 老山綾乃
制作:梅地亮 大野秀美 小川侑真 刑部真央 加賀見悠太
黒澤雄大 小亀舞 小松俊哉 高瀬志織 田中美和 野本理沙
橋野杏菜 畠山遥奈 平林武留 松井優香 山路敦史 山本裕子
整音:小川武
編集:小谷忠典
子守唄:松本佳奈
音楽:磯端伸一(ギター・磯端伸一 ピアノ・薬子尚代)
使用楽曲:「ロックン・ロール・ショー」「多摩蘭坂」RCサクセション
アニメーション:大寳ひとみ
タイトルデザイン:hase
企画・プロデューサー:土屋忍
製作:武蔵野文学館
原作:武蔵野短篇集「たまらん坂」黒井千次
宣伝デザイン:tobufune

配給・宣伝:イハフィルムズ

2019/日本/モノクロ/16:9/DCP/5.1ch/86分

『たまらん坂』公式サイト