宮崎県南部に位置する西都(さいと)市は、東米良村など数々の旧町村が併さった古都である。
実際、市内には西都原古墳群という日本一の古墳遺跡を有し、陵墓の数は319基を数えるという。
そんな神話の匂いを今に残す西都市に、銀鏡という集落がある。
この地には、ニニギノミコト(瓊瓊杵尊)とコノハナサクヤヒメ(木花咲耶姫)の伝説が残っている。
高天原から降臨したニニギノミコトは美しい女性に出会い、結婚を申し入れた。
カムアタツヒメ(または、コノハナサクヤヒメ)と名乗った女性は、「わが父・オオヤマツミにお聞きください」と答えた。
ニニギはオオヤマツミノカミに尋ねたところ大いに喜ばれ、コノハナだけでなく、沢山の宝物、そして長姉であるイワナガヒメを差し出された。
ところが、ニニギはコノハナだけを后とし、イワナガが返されたので、オオヤマツミは嘆き、言った。
「イワナガも召されれば、貴方は岩のように永遠の生命となったのに、コノハナだけを召されたので、花のように儚い命になるだろう」
送り返されたイワナガは、鏡に映った自分を嘆き悲しんだが、次第に鏡が憎くなり投げ捨ててしまった。
放り出された鏡は遠く龍房山の頂の大杉に掛かり、麓の村を明るく照らしたので、この地は白見と呼ばれた。
鏡は後に村人たちによって降ろされ、銀の鏡だったため、白見(しろみ)村は表記を「銀鏡」と変えたという。
西都市銀鏡492番地に鎮座する「銀鏡神社(しろみじんじゃ)」は、磐長比売命(いわながひめのみこと)、大山衹命(おおやまつみのみこと)を御祭神とし、御神体として古代の白銅鏡が祀られていると伝わる。
ちなみに、ニニギノミコトが高天原から降臨した高千穂から西都までは、裕に100kmを越える距離がある。
宮崎県は、広いのだ。

そんな銀鏡で暮らす人々の一年を丹念に追ったドキュメンタリー映画が公開され、大変な評判を呼んでいる。
赤阪友昭監督『銀鏡 SHIROMI』は、神々と語らうドキュメンタリーである。
「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり」
と、言う。能『敦盛』にある有名な詞だ。
「人の世の50年など、天界においては取るに足らない時間に過ぎない」
くらいの意味であるが、「人間五十年」が誤解され、定着してしまった感もある。
(ここで言う「天」は仏教用語なので神道とは少々ニュアンスを異にするのだが、その点はご容赦を)
「取るに足らない時間」の更に1/50、たった1年だが、人の世では様々なことがある。
限界集落と呼ばれる銀鏡では高齢化が進んでいるが、短いはずの1年間にも色々な出来事があり、人々は右往左往する。
銀鏡の人々は、諸々の幸不幸を乗り越えて、神々への想いを繋いでいるのだ。
映画『銀鏡 SHIROMI』で集落の1年を体験すると、人々が「銀鏡神楽(しろみかぐら)」を伝承してきた幾星霜が見えてくる。
かの「星の神楽」は500年以上前より伝わると由緒に聞くが、実際はその数倍の伝統があることは想像に難くない。
舞い手を替え、時代を越え、古から未来へと神々との語らいを繋ぎ続けている人々の営みの一端を、是非とも知ってほしい。

銀鏡では、地場産業として特産品の柚子(ユズ)を生産・加工する会社を立ち上げている。
銀鏡神社を守り、神楽を絶やさないためだ。
また、山村留学を積極的に受け入れ、学校を廃校の危機から救わんとしている。
人を育て、集落を絶やさないためだ。
自然災害に襲われ、命を落とす者もいるが、それでも祭りの日は巡りくる。
12月、三十三の神楽が、三日間にわたって舞い続けられる。
星の軌跡と、人の軌跡が、一年に一度、重なり合う。
冒頭で紹介した、ニニギノミコトの神話が思い起こされる。
ニニギ、コノハナ、そしてイワナガの伝説は、美人であるコノハナサクヤヒメと、不美人だったイワナガヒメという構図で語られることが多い。
だが、こんな解釈が出来ないだろうか。
ニニギノミコトは、イワナガとコノハナ、ふたりを娶ることを好しとせず、愛するコノハナサクヤヒメと生きていくことを選んだ。
永遠の命を失うことになろうとも、愛するものと生き死にを共にすることを望んだ。
瓊瓊杵の子孫たちは今も、磐長比売命への深謝を忘れず、愛する者たちと一緒に生きる喜びを星々に感謝し続けているのだ。
限りある生命が尽きるまで、子々孫々へと想いを引き継がんとしているのだ。
私たちは星に住まう芥の欠片に過ぎないが、塵には塵の魂がある。
映画『銀鏡 SHIROMI』は、劇場の暗闇に魂の交歓を映し出すのだ――。

映画『銀鏡 S HIROMI』
2022年3月25日(金)~ 名演小劇場
【配給】映画「銀鏡 SHIROMI」製作委員会事務局
©映画「銀鏡SHIROMI」製作委員会
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