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「真夜中乙女戦争」(角川文庫刊)の著者・Fは、
「あなたは一人じゃないなんて言うつもりは全くない。「まず、あなたはこの物語と戦え」と言いたくて書きました」
と、語った。


劇場版『真夜中乙女戦争』の監督・脚本・編集を務めた二宮健は、
「観た人には、自分の中で決めつけている世界の範囲を広げてほしい」
と、言った。


『真夜中乙女戦争』は、「自分だけが一人だと思っている」人に、「今もどこかで一人でいる」人に、寄り添い、嘲り、傍観し、もう一度寄り添う、そんな作品だ。

映画『真夜中乙女戦争』ストーリー


上京したばかりの“私”(永瀬廉)は、奨学金を使ってまで通うことを選択した大学に、早くも嫌気が差している。
顔見知り(佐野晶哉)がいる程度で友達も恋人もいない私は、いつも一人。
大学の講義は退屈で、教授(渡辺真起子)に抗議してみたものの状況は悪化するばかり。
糊口を凌ぐための深夜バイトに明け暮れる日々は、そびえ立つ東京タワーが心に残るのみだ。
ある日、学内で「かくれんぼ同好会」という謎めいたサークルに興味を持った私は、クールで凜とした“先輩”(池田エライザ)に心惹かれる。
そんな中、大学の敷地内で頻発するボヤ騒ぎの現場を目撃した私は、行きがかり上犯人と行動を共にする。
人の心を一瞬で掴む悪魔めいたカリスマ性を持つ“黒服”(柄本佑)と出会ったことで、私の日常は大きく動き出すことになる――。


原作である「真夜中乙女戦争」は、「いつか別れる。でもそれは今日ではない」「20代で得た知見」(KADOKAWA刊)というエッセイ、エモ文学の著作で圧倒的支持を得る、新鋭作家・Fによる処女小説。


主人公“私”を演じるのは、 King & Princeの永瀬廉。
『うちの執事が言うことには』(19)で初主演、『弱虫ペダル』(20)で第44回日本アカデミー賞・新人俳優賞と、俳優としても着実にキャリアを積んでいる。
NHK連続テレビ小説「おかえりモネ」(21)の亮役も記憶に新しい。


ヒロインである“先輩”には、『映画 みんな!エスパーだよ!』(15)『貞子』(19)など話題作への出演だけでなく、ELAIZA名義での歌手活動、『夏、至るころ』(20)では原案・監督を務めるなど、マルチな活躍を見せる池田エライザ。


そして、物語のキーマン“黒服”には、『フィギュアなあなた』(13)『きみの鳥はうたえる』(18)『火口のふたり』(19)と、とにかく振り幅の広い確かな演技で魅せる、柄本佑。


篠原悠伸、安藤彰則、そして渡辺真起子ら、抜群の存在感を見せる名バイプレイヤーたちの名演も光る。


10代・20代といった若者から圧倒的支持を集めるFの「真夜中乙女戦争」の為に、実力派の役者陣が揃った。
指揮するのは、『SLUM-POLIS』(15)『とんかつDJアゲ太郎』(20)など、自主から商業へとキャリアを着実に積み重ね、それ以上の支持を集め続ける鬼才・二宮健監督だ。
主要人物に名前が与えられていないという、極めて匿名性の高い物語は、二宮監督により極めて純度の高い映画的マジックを帯び、類い稀な個性を発揮する作品となった。


“先輩”を演じる池田エライザは、闇の中で足掻く主人公を照らす唯一の光で、まさに「ヒロインの鏡」とでも呼びたい熱演を見せる。
彼女が「Misty」を歌う場面は、『真夜中乙女戦争』でも屈指の名シーン。
演技、歌唱……先輩の台詞を借りるなら、惚れてしまうこと請け合いだ。


対して、“黒服”は、漆黒の闇そのものだ。
柄本佑は、流石の名演……否、「匠演」とでも呼びたい演技で、ともすれば現実離れした黒服という存在を、見事に実体化して見せた。
この役は、彼でなければ成立しなかっただろう。


そんな黒服と、「TEAM常連」たち(篠原悠伸、安藤彰則、成河)との関係性には、まさに二宮健監督が仕掛けた映画マジックが溢れている。


黒服の手足となり「革命」を支える彼らだが、常連のメンバーと黒服が一対一で直接会話している画面は、一つもない。
原作では主人公と黒服の特別な関係性について表現が希薄だったように感じたが、映画では黒服と主人公との絆めいた関係性がしっかりと描かれている印象だ。


そんな黒服と唯一無二の関係を結ぶ主人公だが、取りも直さず永瀬廉の存在があってのことだ。


永瀬廉の演じる主人公は、映画の冒頭ではただだた無気力で、表情にも立ち居振る舞いにも、何の魅力も感じない。
まさに、絵に書いたような冴えない学生そのものだ。


それが、“先輩”と邂逅した辺りから、俄然魅力を増してくる。
面構えに意志が宿り、眼に力が灯る。走る姿に、躍動感が漲る。
クライマックスに至る頃には、黒服が主人公を「選んだ」理由すら納得できる。


映画の王道ジャンルに、ロードムービーがある。
ロードムービーを「旅の中で登場人物が自己発見する映画」と定義するなら、映画『真夜中乙女戦争』は「閉鎖空間でのロードムービー」である。
相反する言葉であることは百も承知であるが、主人公の成長をそれほどまでに感じるのだ。


金も、覇気も、希望も、何も無い主人公は、魅力溢れる青年に成長した。
だが、物語は、終わる。
映画は、終わる。小説は、終わる。
“私”は、もうどこにも行けない。


だから、物語の続きは、観た者が、読んだ者が紡ぐのだ。
二宮健の、Fの、そんな声が聴こえてくる。


どこにも行けない世界をぶち破るのは、私たちなのだ――。


映画『真夜中乙女戦争』


1月21日(金)
ミッドランドスクエアシネマほか


©2022「真夜中乙女戦争」製作委員会