その起源はアヘン戦争まで遡る、日本最大のチャイナタウン「横浜中華街」。
中国語を話せない華僑四世が、ずっと背けてきた目を中国に向けた時、「ふたつの中国」に揺れた横浜中華街を知ることになる。
「中国嫌いだった」という林隆太(37)が、父が中国人であることを知ったのは、15歳の頃だった。
時は流れ、隆太は「台湾解放」のスローガンを掲げデモ行進する紅衛兵の写真を見つける。
そこに写っていたのは、少年時代の父・学文であった――。
1952年、横浜中華学校で、毛沢東主義に傾向しているとして、横浜中華学校の教師が罷免された。
後に「学校事件」と呼ばれたこの事件は、横浜中華街を大陸系と台湾系に分断する大問題の切っ掛けとなった。
待望の上映2日目10月31日(日)、名古屋シネマテーク(名古屋市千種区今池1丁目6−13 スタービル 2F)に、『華のスミカ』がデビュー作となる林隆太監督が舞台挨拶に駆けつけた。
自分語りを聞いていたはずが、いつしか普遍的なトピックに足を踏み入れた――
林隆太監督の舞台挨拶に対する感想は、そのまま『華のスミカ』に対するそれと同じものであった。
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