ルーマニアの首都ブカレストにあるナイトクラブ「コレクティブ」で、パフォーマンス中に火災が起きた。
場内は阿鼻叫喚の様相となり、死者27名、負傷者180名の大惨事となった。
だが、事態はこれで治まらなかった。
搬送された国内の入院先で死亡する負傷者が続出、なんと最終的に死者数は64名を数えた。
時の政府は最新の医療施設で適切な医療行為が施されたことを発表するも、被害者の遺族たちは納得できない。
政府や病院関係者の対応を不審に思ったのはジャーナリストも同様で、タブロイド紙「ガゼタ・スポルトゥリロル」の編集長カタリン・トロンタンもその一人。
彼は、大学病院の麻酔医カメリア・ロイウの内部告発を受け、ルーマニア国内の病院が熱傷患者の受け入れが出来る体制が整っていないことを突き止める。
ガゼタ・スポルトゥリロルの取材チームにより、病院経営者と政府関係者の癒着が明るみに出る。
そして、消毒薬を巡る不正にメスが入ると、製薬会社の社長が謎の死を遂げる。
国民の怒りにより内閣は総辞職にまで追い込まれ、医療ネットワークを手掛けた銀行家ヴラド・ヴォイクレスクが新たに保健相に就くのだが――。
断っておくが、これは大戦中の出来事でもなければ、冷戦下の事件でもない。
もちろん、チャウシェスク政権における汚点などではない。
現代、それも2015年というごく最近のニュースなのだ。
ルーマニア映画『コレクティブ 国家の嘘』は、事件の顛末を詳らかに描いたドキュメンタリー。
世界中の映画界を席捲し、
タイム誌 2020ベスト10 第3位
ローリングストーン誌 2020ベスト20 第1位
インディ・ワイアー 2020ベストムービー 第3位
ヴァニティ・フェア 2020ベストムービー 第3位
メタクリティック TOP10 第2位
と、絶賛に次ぐ絶賛が沸き起こっている。
そして、2021年10月2日(土)、日本でも待望のロードショー公開が始まる。
監督は、アレクサンダー・ナナウ。
ドイツ系ルーマニア人のナナウ監督は、1979年生まれ。
ベルリンで演出など撮影技術を学んだ彼は、早くからドキュメンタリー作品を手掛けて注目された。
2014年に撮った『トトとふたりの姉』は欧州アカデミー賞にノミネートされ、日本国内でも公開され話題を呼んだ。
『トトとふたりの姉』は、ナナウ監督が携えた(と、思われる)カメラとは別に、被写体となった3姉弟の次女アンドレアの視点で撮られた映像が実に効果的だった。
飽くまで客観的に家族を俯瞰するナナウ監督のカメラと、極めて主観的に姉弟の生活を切り撮るアンドレアのカメラ。
2つのレンズが写した現代ルーマニアの日常は、スリリングで、遣る瀬なく、堪らなく愛おしかった。
アレクサンダー・ナナウ監督が撮るドキュメンタリー作品は、劇映画を凌駕する瞬間が入り交じる。
時にそれは、フィクションをも凌ぐエンターテインメント性を帯び、観客の心を釘付けにする。
……否、「エンタメ」と表現してしまうには、余りにも苛烈な現実が付き纏うのがドキュメンタリーだ。
ここは、「サプライズ」とでも置き換えることとする。
『コレクティブ 国家の嘘』も、例外ではない。
トロンタン編集長を中心とした「ガゼタ・スポルトゥリロル」チームの活躍により、次々と暗渠が露わになる。
愛する家族を亡くしたナルチス・ホジャら遺族たちの悲しみに、心が揺さぶられる。
事故当時の実際の映像にショックを受け、火災から生還したテディ・ウルスレァヌの活動が、胸を熱くする。
ナナウ監督の映像は、インタビューもなければ、ナレーションもない。
テロップすら最低限に抑えられた、ミニマルなドキュメントが続く。
だが、かえってそれが観る者の心を捉えて離さない。
映画に没入する観客が、彼らと共に巨悪を糺弾せんと躍起になる頃、カメラは唐突に切り替わる。
新たな被写体は、内閣総辞職により職を解かれた前大臣に替わり保健相に就いた、ヴラド・ヴォイクレスク氏だ。
なんとナナウ監督のカメラは、行政府の中枢へ潜り込んだのだ。
ジャーナリストの信念により、暴かれる巨悪。
使命感あふれるリーダーにより、刷新される腐敗。
……敢えて言おう――ザッツ・エンターテインメント!
『コレクティブ 国家の嘘』は、アレクサンダー・ナナウ監督のドキュメンタリーは、客観性に満ちている。
観察に徹した映像は、カメラの、ナナウ監督の気配を完全に消し去り、まるでドラマを観ているかのような錯覚に陥るほどだ。
ともすると、そんな感覚は監督の恣意が顕現しているからだ、と評する人もいるかもしれない。
即ち、ナナウ監督がドキュメンタリーの中心に据えるのは、腐敗した癒着構造に異議を唱える側の人間だけだ。
古き既得権益を守らんとする者の声も汲み取らないと、客観的とは言えないとする意見は、なるほど至極真っ当なものにも思える。
しかし、考えてみてほしいのだ。
古き悪習に塗れた者たちが、日常的なカメラの追随を許可するだろうか?
ドキュメンタリー、劇映画を分かたず、映画界がリベラルな思想となるのは当然のことなのだ。
現状を打破せんとする者だけが、カメラの前で声を挙げるのだ。
ドキュメンタリー、ドラマに限ったことではない話を、もう一つ。
映画というのは、完成して終わりではない。
誰かが鑑賞して、初めて映画として成立するものだ。
そして、観た者の人生に影響を及ぼすなら、それは紛うことなく良い映画だ。
『コレクティブ 国家の嘘』は、映画館で観てほしい。
自宅で片手間に見ても、「対岸の火事」「隣の芝生」くらいが関の山だろう。
映画館で没入してこそ、心に点る灯りがある。
薫陶を受けるとは、そういうことだ――。
10月2日(土) 〜
シアター・イメージフォーラム
ヒューマントラストシネマ有楽町
伏見ミリオン座
ほか全国ロードショー
【配給】トランスフォーマー
©Alexander Nanau Production, HBO Europe, Samsa Film 2019
ルーマニアの首都ブカレストにあるナイトクラブ「コレクティブ」で、パフォーマンス中に火災が起きた。
場内は阿鼻叫喚の様相となり、死者27名、負傷者180名の大惨事となった。
だが、事態はこれで治まらなかった。
搬送された国内の入院先で死亡する負傷者が続出、なんと最終的に死者数は64名を数えた。
時の政府は最新の医療施設で適切な医療行為が施されたことを発表するも、被害者の遺族たちは納得できない。
政府や病院関係者の対応を不審に思ったのはジャーナリストも同様で、タブロイド紙「ガゼタ・スポルトゥリロル」の編集長カタリン・トロンタンもその一人。
彼は、大学病院の麻酔医カメリア・ロイウの内部告発を受け、ルーマニア国内の病院が熱傷患者の受け入れが出来る体制が整っていないことを突き止める。
ガゼタ・スポルトゥリロルの取材チームにより、病院経営者と政府関係者の癒着が明るみに出る。
そして、消毒薬を巡る不正にメスが入ると、製薬会社の社長が謎の死を遂げる。
国民の怒りにより内閣は総辞職にまで追い込まれ、医療ネットワークを手掛けた銀行家ヴラド・ヴォイクレスクが新たに保健相に就くのだが――。
断っておくが、これは大戦中の出来事でもなければ、冷戦下の事件でもない。
もちろん、チャウシェスク政権における汚点などではない。
現代、それも2015年というごく最近のニュースなのだ。
ルーマニア映画『コレクティブ 国家の嘘』は、事件の顛末を詳らかに描いたドキュメンタリー。
世界中の映画界を席捲し、
タイム誌 2020ベスト10 第3位
ローリングストーン誌 2020ベスト20 第1位
インディ・ワイアー 2020ベストムービー 第3位
ヴァニティ・フェア 2020ベストムービー 第3位
メタクリティック TOP10 第2位
と、絶賛に次ぐ絶賛が沸き起こっている。
そして、2021年10月2日(土)、日本でも待望のロードショー公開が始まる。
監督は、アレクサンダー・ナナウ。
ドイツ系ルーマニア人のナナウ監督は、1979年生まれ。
ベルリンで演出など撮影技術を学んだ彼は、早くからドキュメンタリー作品を手掛けて注目された。
2014年に撮った『トトとふたりの姉』は欧州アカデミー賞にノミネートされ、日本国内でも公開され話題を呼んだ。
『トトとふたりの姉』は、ナナウ監督が携えた(と、思われる)カメラとは別に、被写体となった3姉弟の次女アンドレアの視点で撮られた映像が実に効果的だった。
飽くまで客観的に家族を俯瞰するナナウ監督のカメラと、極めて主観的に姉弟の生活を切り撮るアンドレアのカメラ。
2つのレンズが写した現代ルーマニアの日常は、スリリングで、遣る瀬なく、堪らなく愛おしかった。
アレクサンダー・ナナウ監督が撮るドキュメンタリー作品は、劇映画を凌駕する瞬間が入り交じる。
時にそれは、フィクションをも凌ぐエンターテインメント性を帯び、観客の心を釘付けにする。
……否、「エンタメ」と表現してしまうには、余りにも苛烈な現実が付き纏うのがドキュメンタリーだ。
ここは、「サプライズ」とでも置き換えることとする。
『コレクティブ 国家の嘘』も、例外ではない。
トロンタン編集長を中心とした「ガゼタ・スポルトゥリロル」チームの活躍により、次々と暗渠が露わになる。
愛する家族を亡くしたナルチス・ホジャら遺族たちの悲しみに、心が揺さぶられる。
事故当時の実際の映像にショックを受け、火災から生還したテディ・ウルスレァヌの活動が、胸を熱くする。
ナナウ監督の映像は、インタビューもなければ、ナレーションもない。
テロップすら最低限に抑えられた、ミニマルなドキュメントが続く。
だが、かえってそれが観る者の心を捉えて離さない。
映画に没入する観客が、彼らと共に巨悪を糺弾せんと躍起になる頃、カメラは唐突に切り替わる。
新たな被写体は、内閣総辞職により職を解かれた前大臣に替わり保健相に就いた、ヴラド・ヴォイクレスク氏だ。
なんとナナウ監督のカメラは、行政府の中枢へ潜り込んだのだ。
ジャーナリストの信念により、暴かれる巨悪。
使命感あふれるリーダーにより、刷新される腐敗。
……敢えて言おう――ザッツ・エンターテインメント!
『コレクティブ 国家の嘘』は、アレクサンダー・ナナウ監督のドキュメンタリーは、客観性に満ちている。
観察に徹した映像は、カメラの、ナナウ監督の気配を完全に消し去り、まるでドラマを観ているかのような錯覚に陥るほどだ。
ともすると、そんな感覚は監督の恣意が顕現しているからだ、と評する人もいるかもしれない。
即ち、ナナウ監督がドキュメンタリーの中心に据えるのは、腐敗した癒着構造に異議を唱える側の人間だけだ。
古き既得権益を守らんとする者の声も汲み取らないと、客観的とは言えないとする意見は、なるほど至極真っ当なものにも思える。
しかし、考えてみてほしいのだ。
古き悪習に塗れた者たちが、日常的なカメラの追随を許可するだろうか?
ドキュメンタリー、劇映画を分かたず、映画界がリベラルな思想となるのは当然のことなのだ。
現状を打破せんとする者だけが、カメラの前で声を挙げるのだ。
ドキュメンタリー、ドラマに限ったことではない話を、もう一つ。
映画というのは、完成して終わりではない。
誰かが鑑賞して、初めて映画として成立するものだ。
そして、観た者の人生に影響を及ぼすなら、それは紛うことなく良い映画だ。
『コレクティブ 国家の嘘』は、映画館で観てほしい。
自宅で片手間に見ても、「対岸の火事」「隣の芝生」くらいが関の山だろう。
映画館で没入してこそ、心に点る灯りがある。
薫陶を受けるとは、そういうことだ――。
映画『コレクティ ブ 国家の嘘』
10月2日(土) 〜
シアター・イメージフォーラム
ヒューマントラストシネマ有楽町
伏見ミリオン座
ほか全国ロードショー
【配給】トランスフォーマー
©Alexander Nanau Production, HBO Europe, Samsa Film 2019
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