パレスチナとは、ご存じの通り地中海東岸のシャーム(歴史的シリア)地方にある地域を指す。
地名の由来は、紀元前13世紀頃に栄えたとされるペリシテ文明から取ったとする説が有力だという。
そして、パレスチナ問題とは、一般的にはパレスチナにおけるユダヤ人とパレスチナ人による紛争を指す。
第一次世界大戦当時のイギリス政府による所謂「三枚舌外交」を端緒とする向きもあるが、そもそもユダヤ民族によるシオニズムは19世紀から存在した。
長らく祖国を持てなかったユダヤ人にとっては、イスラエル建国は積年の悲願であった。
そして、その願った星霜が長くなればなるほど、それまでパレスチナで暮らしてきた人々にとっては、故郷への思い入れが深化したのも当然だったのだ。
パレスチナ問題は当事者だけでなく、世界中の人々にとっての関心事である。
当然、映画でもパレスチナ問題をテーマにした作品も多い。
ハニ・アブ・アサド監督の、『パラダイス・ナウ』(2005年)。
モハメド・アルダラジー監督の、『バビロンの陽光』(2010年)。
ハニ・アブ・アサド監督の、『オマールの壁』(2013年)。
当サイトでもレビューした、タルザン&アラブ・ナサール監督『ガザの美容室』(2015年)。
サメフ・ゾアビ監督の『テルアビブ・オン・ファイア』(2018年)は、広くパレスチナ問題を知ってほしい意図でコメディ映画としたそうだ。
今回紹介するエリア・スレイマン監督は、イスラエル人の名匠である。
1948年のイスラエル建国により、住民であったアラブ系パレスチナ人は、故郷から逃げて難民となるか、その地に留まるかの二択を迫られた。
故郷に留まった者には、好むと好まざるとに拘わらずイスラエル国籍が与えられることになった。
エリア・スレイマンは、イエスの生地であるナザレ生まれの「パレスチナ系イスラエル人」なのだ。
エリア・スレイマン監督は、1960年7月28日生まれ。
1981~93年までニューヨークで暮らし、短編2作品を監督し、映画キャリアをスタートする。
1994年にはエルサレムに移り、1996年には長編デビュー作『消えゆく者たちの年代記』(「Chronicle of a Disappearance」)でベネチア国際映画祭の最優秀初長編作品賞を受賞。
2002年『D.I.』(ディー・アイ)でカンヌ国際映画祭で審査員賞と国際批評家連盟賞をW受賞。
この2作品は、どちらもパレスチナ問題を扱っている。
スレイマン監督の特徴は、ある種の皮相的なユーモアに満ちた作風にある。
自身が出演することも相まって、「現代のチャップリン」とも呼ばれている。
そんな「喜劇王」エリア・スレイマン監督10年ぶりの新作が届いた。
1月29日(金)よりロードショー、『天国にちがいない』(原題:It Must Be Heaven)である。
『天国にちがいない』ストーリー
「ES」(エリア・スレイマン)は、ナザレに住む映画監督。庭木の手入れをすると称して果実をくすねていく隣人。ガラの悪いクレーマーに冷静な対応を見せるウェイター。蛇の恩返しの話を聞かせる猟師。林道で水を運ぶベドウィンの女性。パレスチナの日常は、どこか風変わりだ。
ESは映画の企画を売り込みに、パリを訪ねる。オープンカフェでお洒落な若者に見とれるのも束の間、この街もどこか不穏だ。誰もいない通りを走る警官たち。教会の炊き出しに並ぶ人々の群れ。広場を疾走する戦車。肝心の映画は、「パレスチナ色が弱い」と断られてしまう。
次にESが訪ねたのは、ニューヨーク。着いて早々、イエロー・キャブのドライバーにUMA扱いされる。買い物する市民も、子供を学校へ送る親たちも、誰も彼も武装している。公園に現れた天使は、警官に取り押さえられ消えてしまう。ESは友人である俳優のベルナル(ガエル・ガルシア・ベルナル)に付き添われ、映画プロデューサーと会うものの、鼻で笑われる始末。
失意のES、次の行き先は――。
前述したように、パレスチナ問題を扱った映画は多い。
上質なドキュメンタリー作品も見るも良し、上に紹介した劇映画を観た上でご自身で学ぶのもなお良しである。
では、ES(エリア・スレイマン監督)作品にもそれが当てはまるか、と言うと少々事情が違うのだ。
すなわち、ES映画がパレスチナ問題を掘り下げる為に良質なテキストとなり得るか、と問われれば安易に諾と言いかねるのだ。
エリア・スレイマン監督の映画は、コメディだ。
パレスチナ(民族問題としても、地政学的な意味でも)が抱えている難題を、むしろ笑い飛ばさんとする確固たる決意が感じとれる。
現状の課題を浮き彫りにして、座り込んで熟考しようとするのではない。
難局を一笑に付して、無理にでも立ち上がろうというのだ。
そんな姿勢は、『消えゆく者たちの年代記』、『D.I.』と、新しい映画を撮る度に色濃くなり、『天国にちがいない』でいよいよ真価を発揮している感がある。
本作では、ステレオタイプなエスニックジョークの振りをしながら、隠喩(metaphor)ではなく直喩(simile)に近い表現をぶつけてくる。
観光地のベンチを決して他人に譲ろうとしない“超”個人主義なフランス人。
平和そのものの顔を見せつつ戦争をちらつかせるパリの街。
(ちなみに、フランスとイスラエルは戦闘機などの兵器面で密接に関係している)
平時なのに戦時より強力な銃火器で武装するアメリカ国民。
天使のように無垢な魂を滅多打ちにするニューヨークの集団ヒステリー。
世界中の人々は、言う。
「パレスチナは、今でも第三次中東戦争が継続中。悲惨ですね」
ESは、世界の人々に問う。
「貴方たちが住む街は、国は、歓喜に溢れているとでも?」
(ESの舌鋒は、日本にも向く。確かに、私たちのコミュニケーション能力は、悲惨そのものだ)
生きる上での拠り所たる宗教をも笑い飛ばす得体の知れないパワーは、まさにエリア・スレイマン監督の真骨頂だ。
映画の冒頭のシーンは、ムスリム、イェフディ、そしてクリスチャンそれぞれの聖地たるナザレで生を受けたESだからこそ許される表現と言えるだろう。
戦争する為に笑うことはあっても(人はそれを狂気と呼ぶ)、
笑い合いながら闘うことは出来ない。
社会とは、世界とは、人間とは、意外とシンプルなのかもしれぬ。
そんなメッセージが、タイトルに込められているのであろう。
「天国にちがいない」
“It must be heaven”
映画『天国にちがいない』
1月29日(金)〜ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館
2月6日(土)〜名演小劇場
ほか全国公開
監督・脚本・主演:エリア・スレイマン『D.I』
出演:ガエル・ガルシア・ベルナル、タリク・コプティ、アリ・スレイマン
2019年/フランス・カタール・ドイツ・カナダ・トルコ・パレスチナ/102分/シネスコ/5.1ch
言語:英語、フランス語、スペイン語、アラビア語/原題:It Must Be Heaven /日本語字幕:堀池 明
提供:ニューセレクト・クロックワークス
配給:アルバトロス・フィルム/クロックワークス
© 2019 RECTANGLE PRODUCTIONS – PALLAS FILM – POSSIBLES MEDIA II – ZEYNO FILM – ZDF – TURKISH RADIO TELEVISION CORPORATION
『天国にちがいない』公式サイト
https://tengoku-chigainai.com/
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