愛とミステリー、芸術とエロス、スキャンダルとオカルティズム……
禁忌(タブー)に溢れた「ばるぼら」(小学館『ビッグコミック』1973〜74年連載)は、手塚治虫のコミックの中でも異彩を放つ大人の漫画である。
昭和という時代を席捲した傑作が、稲垣吾郎、二階堂ふみというスターにより、令和の世に甦った。
メガホンを取ったのは、手塚治虫の実子である手塚眞監督だ。
【第32回東京国際映画祭】コンペティション部門正式招待をはじめ、世界各国の映画祭を巡り大きな反響を呼んだ映画『ばるぼら』が、11月20日(金)ついに日本で凱旋公開となる。
『ばるぼら』ストーリー
人気小説家として富も名声も手に入れた美倉洋介(稲垣吾郎)だが、自らの作品に満足することが出来ず、鬱々とした日々を過ごしていた。ある日、美倉は新宿駅の片隅で、酔っ払ったフーテンの少女に出会う。ばるぼら(二階堂ふみ)と名乗った少女は美倉の小説を知っていて、彼の悩みを見透かすようなことを言う。
思わず自宅に連れ帰ったばるぼらは、気ままで大酒飲み。美倉の部屋は荒れ放題になるが、不思議と創作意欲が湧き出す。そして、ばるぼらは異常性欲に悩まされる美倉を幻想世界から救い出す。
ばるぼらとは、現実の女なのか、美倉の精神が創り上げた妄想なのか?小悪魔なのか、芸術の女神「ミューズ」なのか?
いつしか美倉は、ばるぼら無しでは生きていけなくなっていくのだった――。
公開直前の11月、手塚眞監督への共同インタビューを取ることが出来た。
Q. 『ばるぼら』制作の経緯を教えてください。
手塚眞監督 5年ほど前、次に大人向けのファンタジーを作ろうと思ったんですね。少し色っぽいところもあって、少し不思議なところもある、そんな原作はないかと思っていたら、自分のところにあるな、と思い出しまして(笑)。で、改めて読み返してみたら、自分がその時やりたいと思っていた要素が全部入っていたんですね。これは良いんじゃないかと思って、すぐ企画を立てたんです。
もちろん原作自体は子供の頃から読んでまして、子供と言っても連載当時ですから僕は12歳くらいだったんですけど、大人の雑誌だったんですが家に置いてあったので、自由に読むことが出来たものですから。非常に不思議な話だと思いました。どこまでが現実で、どこまでが夢の世界か分からないような感覚なんですよね。かえってそれが魅力的な感じがして、そしてばるぼらというキャラクター自体の存在も非常に魅力的だったので、ずっと印象に残っている漫画ではあったんですね。父親の漫画は大体読んでるんですけど、「いくつか名前出して」って言われると、必ずポッと名前が出てくるくらい印象に残っている作品だったので、多分、昔から好きだったんだろうなとは思います。
『ばるぼら』という原作は、非常に多重的に色んなものが入っているんですね。テーマも複雑に入ってますし、色んなエピソードがあって、一筋縄ではいかない。これを全部映画にしようと思うと大作になってしまって、もしかしたら混乱するような映画になるとも思ったんです。ですから、逆にものすごくシンプルにやってみようかと思ったんですね。削って削って、いちばん大事な要素だけを残してみようかと思ったんですけど、何が芯になるか考えたら、結局のところ男女の話だとたどり着いて。どんな不思議なシチュエーションがあっても、やっぱりこれは「ボーイミーツガール」の典型的な話なんだと思ったので。まずそこをキチンと作って、あとは自分が子供の頃から印象に残っている面白い場面をなるべく捨てないで全部入れた感じですね。
Q. 撮影監督をクリストファー・ドイルさんに決めた経緯は?また、どんなやりとりがあって、あの美しい映像は作られたのですか?
手塚監督 この作品を撮るにあたって、「街」が凄く大事になると思ったんです。『ばるぼら』は新宿が舞台で、新宿を撮った映画は散々自分でも観てきたんですが、魅力的に感じるのが中々なかったんです。もっと違う感覚で新宿を捉えてほしいと考えた時に、多分日本人じゃ駄目なんじゃないかと思ったんですね。街を綺麗に撮るだけでなくセクシーに撮ってほしいと思ったら、すぐに彼の名前が浮かんだんです。駄目で元々と思ってお願いしたんですけど、すぐに「やりたい」という返事が返ってきました。
彼が撮った映画は大体観てますし、非常に美しく撮る人なんで、あれこれ口を挟むよりも任せておけば大丈夫だと思ったんです。それでも、本人は「監督の意向を知りたい」ということで、随分ディスカッションしたんです。普通僕が日本人のカメラマンとやるよりも数倍のディスカッションをして、撮影中も常にディスカッションが起こる感じでした。結果的に彼が撮ってくれる映像は僕の求めているものなので、彼はディスカッションを楽しんでるんだと思うんです。彼がコラボレーションとして作っていく楽しさを味わいたいと思っているからこそ、僕の意見も大事にしてくれていると思いました。ただ、先程「美しい」と仰っていただいてありがたいんですが、僕自身が自分の映画を美しい映像と思って作ってきて、彼は彼で非常にスタイリッシュなので、その掛け合わせなんで美しくなり過ぎたかな、とはちょっと思っています(場内笑)。
Q. 稲垣吾郎さんと二階堂ふみさんをキャスティングした経緯を教えてください。
手塚監督 主人公たちは内面に色々抱えてそうなので、綺麗なだけではなくキチンとした芝居が出来る、力を持った俳優さんが良いと思ったんです。最初何人かの俳優さんに当たったら、皆さんに断られました。やはり理由は、内容が非常にハードだと。「手塚治虫の原作は非常に魅力的だし、演ってみたいけど、自信がありません」という人ばかりだったんです。
二階堂さんは、僕は良いと思っていたんですが、企画を考えた5年以上前は彼女はまだ未成年だったんです。それでこちらから逆に遠慮していたんですが、企画に時間が掛かっているうちに彼女が二十歳を越えてある程度セクシーな役も演るようになったので、思い切って声を掛けてみたら、すぐ「興味がある」と返事が返ってきました。ただ、この映画に出る条件として、相手役は誰でも良いという訳にはいかないので、慎重に考えさせていただきたい、と。誰が良いか二人でずっと討議したんです。そして最終的に二人から名前が挙がったのが、稲垣吾郎さんだったんですよ。
僕は以前から稲垣さんとやりたいと思っていたんですが、非常にお忙しい方ですし、文字通りスター的な存在なので難しいんじゃないかと、こちらも駄目で元々でお声をお掛けしたら「興味がある」というお返事で。しばらく経って稲垣さんから「演らせていただきます」と連絡が来たので、僕はもう最高の組み合わせが出来たと思いました。
Q. 監督は、お二人のどんなところが美しいと思いますか?
手塚監督 気品があるんですね。かなり過激な場面もあるんですけど、それをあの二人はドギツくなく演ってもらえるんですね。日本映画独特の雰囲気というか、ベッドシーンにしても暴力描写にしてもベタベタした感じに上がることが多くて、僕自身がそういうの苦手なので、そうじゃない雰囲気で演ってほしいと思っていたんです。お二人ともどんなに激しい場面でも、最低限の品性は保ってくれるんですね。多分それは、演技というより本人の資質なんだと思うんですよ。そういうのは、映画にいちばん反映するんです。ドイルさんもそういうところは非常にセンシティブに撮りますから。これは狙って作ったことではないので、奇跡的に要素が揃って凄く良かったと思います。逆に、二人が決まるまでの数年間は、二人が揃う為の数年間だったんだなと思ってますよね。機会があったら、この二人とまたやってみたいと思わせる俳優さんですね。
Q. 音楽は、橋本一子さんにお願いしたから、ジャズになったんですか?
手塚監督 最初からジャズでいこうと思っていたんです。現代を舞台にしようとは思っていたんですけど、原作が持っている奇妙なレトロ感も捨てがたかったので。あと新宿の雑踏に合う音は何かと思って、今風のテクノとかじゃなく、むしろ50〜60年代くらいのジャズの音が良いな、と。大人のファンタジーに合うと思ったんです。
橋本さんとは30年近い友達で、今までも随分色んな映画の音楽を作ってもらってるんですけど、よく考えたら彼女の十八番のジャズを一度も使ってないと気が付いたので(笑)、これは橋本さんにお願いするしかないと思いました。演奏してる人達も橋本さんのお仲間で、僕も昔から知ってるベテランのアーティストなんです。いつも僕の映画を手伝ってもらう割りには、ストレートなジャズを一度も演奏させてなかったので、今回は心ゆくまで演奏してもらいました。
僕の映画では、音楽は僕が直接音楽家さんに発注します。どこに付けるか大体考えて発注するんですけど、音楽家の方に映像は滅多に見せないんですよ。普通は編集した映像を見せて音楽を合わせるのですけど、僕は逆に音楽に合わせて編集するんです。時には音楽のインスピレーションでシーンを作っちゃうこともあるんです。映像は編集も全部自分でやってるんで、0.1秒まで厳密に音楽と合わせるようにしています。音楽家さんを信頼していないと出来ないことなんですけど、橋本さんとは気心もしれてますから、今回も本当にやりやすかったです。
Q. 二階堂ふみさんが傘を差して新宿を歩くシーンが、凄く素敵でした。
手塚監督 あそこは完全にアドリブなんですよ。そういうシーンが欲しかったんですが、具体的に説明すると面白くないと思って、僕はドイルさんに「二階堂さんを一日貸すので、好きに撮ってください」とお願いしたんです。ところが生憎その日に雨が降ってしまい、撮影場所の歌舞伎町も許可が下りなかったり、色々と撮影が限定されてしまったんですね。最終的に撮ったものはあまり良い雰囲気じゃなかったので、せっかく一日時間を取ったけど無駄になったかと思って、夕方になって諦めて一回解散したんです。その後に、多分僕と同じ気持ちだったんだと思いますけど、ドイルさんがいきなり「ちょっと待って、二階堂さん戻ってきて!ちょっと、そこ歩いて!」って、帰りかけてた二階堂さんを無理やり戻したんですね。いきなりカメラを持って撮り始めた画なんですよ。
それから10分くらい、彼は好きに撮って。二階堂さんは何も指示されないまま、戸惑いつつただ歩いていたんです。それが素晴らしくて、これぞクリストファー・ドイルの画だと思いました。また、橋本一子さんの音楽がピッタリで。あと足りない要素が何か考えたら、稲垣さんの存在がここに無いと気付いて(場内笑)。後で稲垣さんに詩を読んでもらった声を録ったんです。
Q. 石橋静河さん、美波さんも凄く素敵でした。
手塚監督 原作の中では単なる役割って感じで出てきたキャラクターなんですけど、やっぱり俳優さんが演るとなるとちゃんと人間になってほしいので。
石橋さんは、最初脚本の時に考えてた年齢よりずっと若かったんです。ばるぼらに比べて年上の女性を想像していたんですが、石橋静河さんと二階堂さんはほぼ同じ歳なんですよ。でもオーディションでお会いしたら石橋さんは大人っぽい雰囲気のある方で、何とも言えない不思議な魅力があったので、脚本も演出も彼女の方に合わせました。出てくる全員が奇怪な人ばかりな中で、石橋さんはいちばん普通の人間なんですね。この映画の中の、安心材料なんじゃないかと思ってますよ(笑)。
美波さんは、実は手塚治虫原作の『人間昆虫記』のドラマ版で主役を演っていて、その時にお会いしてるんです。今回は主役ではないんだけど、むしろ良い感じで演ってもらえたかと思ってます。
あと、片山萌美さん。本当にマネキンみたいになって(笑)。もちろんメーキャップや衣装のせいでもあるんですけど、撮影現場で本当のマネキンが歩いてるみたいで吃驚しました。「こんなスタイルの良い女優さんがいるのか!?」って、本当に映画の中の人間になり切ってもらいました。
そして、当然もう一人忘れちゃいけないのが、渡辺えりさん。ばるぼらのお母さんの役ですが、あんなにそっくりになるものなんだって、僕も現場でいちばんの驚きでした(場内笑)。これはもう全体の衣装とメイクをやってくれた柘植伊佐夫さんのアイデアの賜物なんですけど、頭が本当に原作とそっくりなんですが、ドングリで出来たカツラなんです。そういう不思議な遊びをするんですね。原作では凄く太った女性ですので、場合によっては必要かと特殊メイクのスタッフも用意していたんですが、衣装を着けてドングリをかぶった瞬間キャラクターそのものだったので、むしろ特殊なメイクなんてしない方が良いだろう、と。体だけは大きくしたんですけど、あとは演技力、彼女の演技力で役になり切ってたので、本当に吃驚しました。
良い人達が揃った実感はありましたね。この映画に相応しい人達だったと思います。
コメント
コメント一覧 (2)
コメントありがとうございます!
そんな「割り切れない感覚」は、ひょっとすると全ての表現者の想いと繋がっているのかもしれない…そんな妄想を、私も抱きます。
二階堂ふみさんと、稲垣吾郎さんと、橋本一子さんと、クリストファー・ドイルさんと、そして、手塚眞監督と、手塚治虫先生と…。