大手の資本に依らず、1人もしくは数人の映画人を中心としたプロダクションのことを、独立プロと呼ぶ。
アメリカでは、第二次大戦後いくつかの独立プロが立ち上がり、多くの良作、怪作を産み出した。
フランスのように、ほとんどの映画を独立プロ方式で制作する国もある。
日本では、昭和初期にスター俳優を中心とした独立プロ作品が排出されたが、やがて興行の問題から、大資本を持つ大手映画会社の配給に移行する。
ところが戦後になって、多くの映画人たちが映画会社を飛び出し、数多の独立プロが生まれた。
石原裕次郎や勝新太郎、監督では大島渚や若松孝二らが産み出した独立プロ映画は社会現象にもなった。
映画監督・神山征二郎は、そんな独立プロの気風を今に伝える名匠である。
現在、神山征二郎監督の記念すべき第30回監督作品が公開され、話題を呼んでいる。
タイトルを、『時の行路』という。
名古屋では8/15(土)より、名演小劇場(名古屋市東区東桜2丁目23−7)で公開される。
『時の行路』ストーリー
五味洋介(石黒賢)は、静岡県三島市にあるミカド自動車で旋盤工を務めていた。
妻・夏美(中山忍)、長男・涼一(松尾潤)、長女・綾香(村田さくら)ら家族は、青森県八戸市に暮らす義父(綿引勝彦)の家に身を寄せ、派遣社員である五味は派遣会社が用意した単身寮に住んでいる。
少ない給料から精一杯の仕送りを続ける五味だが、涼一の大学進学が決まり、近々の正社員登用も打診され、家族は少しずつ幸せに邁進していた。
しかし、2008年11月に起きたリーマンショックで、五味の生活は一変する。
ベテラン工員として職場での信頼も篤かったはずの五味だが、雇い主の自動車メーカーは期間工、派遣社員の一斉リストラを断行する。
頼みの派遣会社の対応も冷たく、次の派遣先が決まらないばかりか、寮の立ち退きを迫られる。
理不尽な仕打ちに抗う術もない五味ら非正規雇用者に手を差し伸べるのは、労働組合だけだった。
一縷の望みを持って労働争議に身を投じる五味だが、弁護士・角野(川上麻衣子)らの尽力にも拘らず、企業も裁判所も冷酷であった。
そんな折、夏美が倒れたという急報が入り、五味は故郷へ向かう――。
そして、理不尽な社会の犠牲となった弱者に寄り添う、社会派ドラマである。
原作者の田島一は2008年に社会現象とまでなった「年越し派遣村」を目の当たりにしたことを執筆の切っ掛けとして挙げているが、映画『時の行路』でも実際の記録映像を交えながら、市井に生きる者たちへの生々しくも温かい視線が随所に溢れている。
作品を流れるのは、理不尽なものに対する怒りである。
思えば、神山監督作品の『郡上一揆』(2000年)『草の乱』(2004)、そして『ラストゲーム 最後の早慶戦』(2008)でも、根底に流れるのは理不尽極まりない社会への大いなる怒りであった。
だが、神山征二郎監督の映画は、それを感じさせないのだ。
『郡上一揆』では、農民たちの生き様に驚かされる。
『草の乱』では、蜂起の武力だけではない戦術に感心されられる。
『ラストゲーム』では、ただただ熱い涙を流させられる。
それは取りも直さず、作品に寄り添う神山監督の視点に依るところが大きい。
登場人物だけではない。
舞台となった時代に、社会に、そして物語に、真摯に注がれる緻密な視点である。
『時の行路』は、家族への、仲間への、隣人への愛を問う物語である。
そして、拝金主義の冷酷さを、労働組合の意義を、人間の尊厳を鋭く突きつける社会派ドラマである。
見事に両立した映画として成り立っているのは、神山征二郎監督の真骨頂と言う外はない。
考えてみれば、神山征二郎が師事した、新藤兼人、吉村幸三郎、今井正という映画人の監督作品にも共通する。
映画の根底を流れるのは、時に無様にも写る愛と、折れない心の持つ気高さだ。
バブル崩壊の後も日本経済を支え続けた工業は、リーマンショックと東日本大震災で大きく揺らいだ。
そして今、新型コロナウイルス(COVID-19)による災禍により、ふたたび社会が揺らいでいる。
『時の行路』はまさに、いま観るべき映画なのだ。
悲しいかな、いつの世も人は、理不尽なものに振り回される。
だからこそ、抗い続けるのだ、映画は――。
映画『時の行路』
8/15(土)公開@名演小劇場
石黒 賢
中山 忍
松尾 潤(新人) 村田さくら(新人)
渡辺 大 安藤一夫 綿引勝彦 川上麻衣子
日色ともゑ(ナレーション)
監督:神山征二郎
共同監督:土肥拓郎
原作:田島一「時の行路」「続・時の行路」「争議生活者」(新日本出版社刊)より
脚本:土屋保文 神山征二郎
音楽監督:池辺晋一郎
撮影監督:加藤雄大
配給:「時の行路」映画製作・上映有限責任事業組合
©「時の行路」製作委員会
『時の行路』公式サイト
コメント