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『牛乳王子』(08年)『先生を流産させる会』(12年)の内藤瑛亮監督が、ミニシアターへ帰ってきた。


『パズル』(14年)、『ドロメ 男子編・女子編』(16年)、『ミスミソウ』(18年)と、商業作品へと着々とキャリアを重ねてきた、内藤監督。

再び自主映画で新作を撮ったのは、「映画作りの原点に立ち返った」からだという。


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待望の新作は、『許された子どもたち』。


実際に起きた少年事件に着想を得たオリジナルストーリーで、まさに『先生を流産させる会』を彷彿とさせる。


名古屋での上映は、7/25(土)から。

上映館はもちろん、シネマスコーレ(名古屋市中村区椿町8-12)だ。


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『許された子どもたち』ストーリー

中学1年生の市川絆星(上村 侑)、小嶋匠音(大嶋康太)、松本香弥憂(茂木拓也)、井上緑夢(住川龍珠)は、同級生の倉持樹(阿部匠晟)を日常的にいじめていた。

ある日、河川敷に樹を呼び出した4人は些細なことから衝突し、結果、絆星は樹を殺してしまう。


後日、市川家に警察が訪ねてくる。

母・真理(黒岩よし)は息子の無実を頑なに主張するが、絆星は捜査員の尋問に次第に追い詰められていく。

仲間が正直に話したことを知った絆星はついに観念し、殺害を認める。


だが、弁護士・四宮(相馬絵美)の働きにより、状況は一変。

少年たちに付いた弁護士は連携し、絆星らも供述を否認に転じ始める。

裁判所の審判は、彼らを不処分とすることを決定する。


こうして、子どもたちは許された。

だが、判決に納得しない樹の父母(地曵 豪、門田麻衣子)は、民事訴訟を起こす。

そして、主犯格と目された絆星は、世間からの激しいバッシングに晒される――。


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『許された子どもたち』では撮影前にワークショップを開催し、演技レッスンだけでなく、少年事件の資料の朗読、講師を招いての少年法の解説などの教育的アプローチが試みられたのだとか。

そして、ワークショップに参加した小学生から高校生までの16人のキャストたちにより、2017年の夏から撮影がスタート、2018年の冬、春と断続的に撮影期間が設けられたという


不快で堪らない陽炎が立つような夏の午後から、歯の根が合わなくなりそうな冬の河原へ、季節の移ろいは今作の魅力だ。

だが、それ以上の見所となっているのは、キャストたち……子どもたちの、リアルな経年変化である。


しかも、子どもたちの半年は、大人たちの半年とは重みが違う。

時間的にも体感的にも、大人の数倍の経験を積み重ねた子どもたち半年分の変化により、物語が纏った説得力は想像を絶する効果を上げている。


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主人公・絆星役の上村侑は、映画初主演。

それどころか、本格的な演技は初と言っても良いだろう。

だが、誰にも真似できない絆星を見事に演じきった。


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絆星と一緒に罪を犯す、匠音役の大嶋康太、香弥憂役の茂木拓也、緑夢役の住川龍珠。

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そして、クラスメート蒼空役の清水凌。

彼らの「半年後」にも、注目してほしい。


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そして、被害者である樹という難役をこなした、阿部匠晟。

稀有な存在感が光る、茜役の野呈安見。

兄妹を演じたふたりは、普通の高校生だという。


彼らはカメラのフレームの外で、物語に負けないくらい濃密な半年間を過ごしたのだろう。


子どもたちを演じたキャスト陣は皆、まさに綺羅星の如き輝きを放っている。


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主人公と心を交わす、桃子役の名倉雪乃。


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主人公と敵対する、池田朱那、春名柊夜、日野友和は、言わずもがな。


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津田茜。

西川ゆず。

矢口凜華。

山崎汐南。


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美輪ひまり。


そして、そして……

子どもたちに負けじと、大人たちも熱演で魅せる。


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絆星の母・市川真理は、もう一人の主人公といっても言い過ぎではない。

そんな最重要人物を、黒岩よし が元プロスイマーという経歴を活かした躍動感をもって、そして狂気をもって怪演する。


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絆星の父・市川祐司役の三原哲郎、樹の父母役の地曵豪、門田麻衣子、そして弁護士・四宮役の相馬絵美にも注目だ。

抑え気味な感情表現の中に、善悪論を超えた何か怨念めいた鬼気が籠る。


そう。

『許された子どもたち』の作品世界は、陳腐な善悪論では計り知れない奥行きを持っている。

否、内藤瑛亮監督作品すべてに貫かれる世界観と言っても良いかもしれない。


いじめを扱った作品は絶対数は多くないものの、劇中いじめの加害者が無様に描写される物語は散見される。

また、凛とした被害者を描いた物語もある。


しかし、『許された子どもたち』のように、加害側も被害側も等しく、無機質に寄り添う物語は類を見ない。


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いじめ加害者の少年の一人は、昔いじめ被害者だったのだが、そんな設定はただのマクガフィンだとでも言わんばかりに、物語は淡々と進む。


加害者は、より強い者に簡単に屈する。

被害者は、呆気なく生命を落とす。

傍観者は、フォーカスを当ててさえもらえない。


そして、傍観することができない者にも、救済は齎されない。

外野から喚く名無したちは、ひたすら醜悪だ。

正義を振りかざす者たちは、単なる加害者に成り下がる。


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私たちは、「自業自得」と言いたがる。

「因果応報」という、宗教じみた言葉を使いたがる。

では、ひょんなことで被害者になった少年は、一体どんな因果があって生命を落としたというのか。


物語は、残酷なまでに冷徹に展開する。

加害者を排除しても、いじめは終わらない。

被害者の問題点を考えてみたところで、いじめは続く。


加害者は、悪いかもしれない。

被害者にも、問題があるのかもしれない。

だが、そんなことはどうでもいい。


問題なのは、いじめという構造そのものなのだ。

問題なのは、いじめを必要悪だと許容する社会なのだ。


ならば、いじめが起きないシステムを構築しよう。

映画は、そう訴えているかのようだ。


撲滅できないのは、「いじめは必要だ」という考えがあるからではないのか?

内藤監督は、そう問いているかのようだ。


誰も、目を逸らすことはできないはずだ。

かつて、加害者なり被害者なり傍観者なり、いじめの当事者だったはずだ、あなたも――。


7/25(土)より公開開始となるシネマスコーレでは、25(土)26(日)両日、内藤瑛亮監督がリモートで舞台挨拶する予定となっている。

7/25(土)14:55〜、19:20〜、7/26(土)14:55〜、19:25〜という上映回、4回すべてリモート登壇するそうなので、是非とも御観逃しなく。


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映画『許された子どもたち』オフィシャルホームページ


©「許された子どもたち」製作委員会