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新型コロナウイルス(COVID-19)のパンデミックが私たちに教えたものは、少なくない。

正しい公衆衛生の重要性であるとか、自粛の大切さであるとか、そんな疫学的な話だけではない。


今後、新型コロナウイルス(もしくは、未知なる感染症)の変異を見据えた生活が、数年のスパンで継続しそうなこと。

そして、私たちは既に「感染症恐怖症」的な心境で日々を過ごしているのを、否が応でも痛感すること。


それは、日常生活のほんの些細なことにも影を落としている。

文化、芸術面においても、大きな影響を受けていると言っていい。


映画に目を向けてみても、例えば特に恐怖を題材にした作品に触れると、コロナを暗喩しているかの如く感じてしまう自分に気付くであろう。

当たり前のことだが、制作時期からしても新型コロナウイルスに直接影響された映画が皆無であることは分かっているにも拘わらず、である。


近年のゾンビ映画の傑作、ヨン・サンホ監督の『新感染 ファイナル・エクスプレス』(17年)など、暗喩どころか直喩しているのではないかと錯覚してしまうほどだ。

実際、『新感染』(及び、アニメ作品『ソウル・ステーション パンデミック』)は、近年のゾンビ映画に多く見られるように、感染症が悲劇の原因であることが仄めかされてはいるのだが。


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今回紹介する映画は、ロマンティックで不思議な、そして素敵なラブコメディ『今宵、212号室で』。

「withコロナ」のあなたに、一体どう映るのだろう。


『今宵、212号室で』ストーリー

マリア(キアラ・マストロヤンニ)は、大学で司法・訴訟史を教えている。パリのアパルトマンで一緒に暮らしているリシャール(バンジャマン・ビオレ)と結婚して20年になるが、内緒で奔放な恋愛遍歴を重ねている。

ある夜、ケンカ別れした愛人からスマホに掛かってきた電話がきっかけで、リシャールはマリアの浮気を知ってしまう。怒りが収まらないリシャールと距離を置きたいマリアは、咄嗟に家を出る。向かった先は、アパルトマンの窓から見える真向かいのホテルだ。

ホテルの212号室からこっそりリシャールの様子を眺めているマリアの前に現れたのは、なんと20年前のリシャール(ヴァンサン・ラコスト)。それだけではなく、212号室にはマリアの元カレ達が次々に現れる。

混乱するマリアに、さらにはリシャールの初恋相手、ピアノ教師のイレーヌ(カミーユ・コッタン)までもが現れ、アパルトマンにいる夫を誘惑し始める。愛の魔法にかかった不思議な一夜、果たしてどんな幕引きと相成るのか――。


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マリアを演じるのは、『私の好きな季節』(93/アンドレ・テシネ監督)『愛のあしあと』(11/クリストフ・オノレ監督)のキアラ・マストロヤンニ。

マルチェロ・マストロヤンニを父に、カトリーヌ・ドヌーヴを母にもつキアラは、本作の熱演で第72回カンヌ国際映画祭(ある視点部門)最優秀演技賞を受賞した。


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若き日のリシャールを演じているのは、『ヒポクラテス』(14/トマ・リルティ監督)『アマンダと僕』(18/ミカエル・アース監督)の、ヴァンサン・ラコスト。

フランス映画界の若き才能は、今作でも繊細かつ大胆に躍動してみせる。


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リシャール役には、フレンチ・ポップス界の名プロデューサーで人気ミュージシャンの、バンジャマン・ビオレ。

バンジャマンとキアラ、実はかつての夫婦である。


イレーヌ役には、『マリアンヌ』(16/ロバート・ゼメキス監督)のカミーユ・コッタン。

Netflixで配信中のフランスの大人気ドラマ「エージェント物語」では主演を務めている。


監督、脚本は、『愛のうた、パリ』(07)のクリストフ・オノレ。

キアラ・マストロヤンニとは『愛のあしあと』で、ヴァンサン・ラコストとは『ソーリー・エンジェル』(18)でコンビを組んでいる。

『愛のあしあと』は、カトリーヌ・ドヌーヴとキアラ・マストロヤンニの母娘共演も話題となった。


また、音楽監督を務めるフレデリック・ジャンクアの手腕にも注目……否、傾聴してほしい。

シャルル・アズナヴール、ジャン・フェラらシャンソンの名曲の数々は、パリで繰り広げられる愛の魔法に誘う。


人生を共にした者たちの、かつての愛の遍歴と、今後の行く末とが、たった一夜を描いただけで繰り広げられる。

現代パリ版の千夜一夜物語……いや、25年分なので「万夜一夜物語」か。


ロマンティックなだけでなく、エスプリやアイロニーがピリリと効いた大人のラブストーリーだ。


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……さて、映画の解説は、以上でほぼ終わりだ。

すでに今作に興味をお持ちの方は、以下の蛇足は読まずとも、その素晴らしい直感を信じて劇場へ足を運んで大丈夫だ。


しかしながら、こんな状況ではあるが、いや、こんな状況だからこそ抱く感想について、やはり触れておきたいのだ。


『今宵、212号室で』は、実によくできたラブコメディ映画である。

だが、コロナ禍の視点で今作を観ると、以前とは違った見方をしてしまう自分に気付いてしまうのだ。


『今宵、212号室で』でユーモラスかつ幻想的に描かれるのは、長年連れ添った夫婦の愛憎劇だ。

単なる私見に少々お付き合いいただきたいのだが、浮気症の妻・マリアは感染者を、夫・リシャールは感染者の家族を、それぞれ想起させられてしまう。


もちろん、『今宵、212号室で』は新型コロナウイルスの影響下で撮られた映画ではない。

クリストフ・オノレ監督は、COVID-19に限らず、汎ゆる感染症を暗喩した訳では決してないと断言しても良いだろう。


しかし、これぞまさしく映画なのだ。

映画とは、観者の心境・心情をダイレクトに映す「鏡」であるのだから。


「映画は、観客がいて、初めて完成する」

あなたが笑って、泣いて、楽しまない限り、映画は存在しないも同然なのだ……少なくとも、あなたの世界では。


そして、パンデミックが収束したと言える日が来るのなら、是非もう一度『今宵、212号室で』を観てほしい。

断言するが、全く印象の違う作品であることに驚くであろう。


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『今宵、212号室で』は、BUNKAMURAル・シネマ、新宿シネマカリテなど首都圏では公開中。

名古屋では、6月26日(金)より伏見ミリオン座で公開される。


映画とは、いつの時代もあなたに寄り添う存在であり続けるものだ。

あなたが選ぶ作品は、今のあなたを映す鏡なのかもしれない――。


映画『今宵、212号室で』


第72回カンヌ国際映画祭ある視点部門最優秀演技賞(キアラ・マストロヤンニ)受賞


監督・脚本:クリストフ・オノレ

出演:キアラ・マストロヤンニ ヴァンサン・ラコスト 

カミーユ・コッタン バンジャマン・ビオレ キャロル・ブーケ

2019年/フランス・ルクセンブルク・ベルギー/フランス語/87分/1:1.85/原題:Chambre 212/英題:On A Magical Night

配給:ビターズ・エンド    

        

©Les Films Pelleas/Bidibul Productions/Scope Pictures/France 2 Cinema