I see a movie.
I watch a movie.
どちらも、「私は映画を観る」と訳すことが出来る。
では、どう違うのだろう?
“see”は、「眺める」「目に入る」という意味で使われる。
“watch”はと言うと、「注視する」「じっと見る」というイメージだ。
だから、“watch a movie”という言い回しの方が汎用性が高いのだ。
“see a movie”と言うと、(非英語圏の者にとっては)同じ「映画を観る」でも、もっと限定的な意味合いを帯びるという。
映画を観る場合の“see”は、映画館で観る時に限り使われる。
なぜなら、視界いっぱいの大スクリーンは自然と目に映るものであるから。
“I see a movie.”とは、
「私は(映画館で)映画を観る」という意味なのだ。
あと少しで、映画館が還ってくる。
「映画を浴びる」「映画の一部になる」感覚を、リハビリしておこう。
【家で観る映画】は、映画館に行きたくなる映画である。
それは、このvol.7の10作品も、同様だ。
『あの手この手』
市川崑監督
(Amazonプライム TSUTAYAオンラインなどで視聴可能)
おうち時間が増えている今、ツィッター上では相関図を作るのが流行っているそうです。本田翼や石原さとみが「私」、佐藤健が「会社の同期。私のことが好き」、竹野内豊が「会社の上司。私のことが好き」とかなんとか、カワイイ私を取り巻く恋の相関図を作成してしまう皆さんの気持ち、よくわかります。私も丑三つ時になると、トニー・レオン、マッツ・ミケルセン、山本昌、「伊達ちゃんを見つめる時のサンドウィッチマン富澤」ら、自分の好きなイケオジ選手で打線を組むことを定期的に妄想していました。しかし四番バッターだけは不動。それが最強打者モリマサこと名優・森雅之でした。
モリマサといえば成瀬巳喜男監督の傑作『浮雲』。色気ダダ漏れ、下半身ゆるゆるの史上最低クソヒモ男役で知られています。しかし私が推したいのは女殺しの二枚目ではなく、うだつの上がらない三枚目のモリマサ。その魅力を堪能できるのが、市川崑監督のコメディ作『あの手この手』です。
戦後復興に邁進する50年代初頭の関西を舞台に、学者夫婦の元に転がり込んだ姪っ子アコちゃんが巻き起こす珍騒動を描きます。進歩的な女学校講師の奥さんに頭が上がらず、おてんば娘のアコちゃんに振り回される大学助教授・鳥羽をモリマサが好演します。ひそかに小説家を目指すインテリなのですが、「へ、へっくしょん!」とクシャミをかまし「ふわわ~」とあくびばかりして、どこが間が抜けている。もう最高に愛嬌があるのぉ~!
倦怠期を迎えた中年夫婦が、姪っ子というトリックスターの登場で、互いの大切さを再認識する。本作はドタバタ喜劇でありながら、家父長制から逸脱した鳥羽夫妻の対等な関係を、軽妙かつ丁寧に描いています。妻の生き方を尊重し、対話しようとする鳥羽は、今の世の男性よりもよっぽど現代的です。70年近くも前の作品ですが全然古臭くない。水戸光子扮する妻・近子の凛とした佇まい、久我美子扮するアコちゃんの小悪魔的キュートさ、隣人夫妻役の伊藤雄之助、望月優子の掛け合いも超最高! ぜひ見てみてください。「へへへ~」と気の抜けた表情をしつつも、ついつい、うなじから色香が漏れ出てしまうモリマサにも注目です。
ピストン藤井(藤井聡子)
富山在住のライター。富山のユニークな人や場所を紹介するミニコミ『文藝逡巡 別冊 郷土愛バカ一代!』の発刊人。2019年10月に本名名義で初のエッセー『どこにでもあるどこかになる前に。~富山見聞逡巡記~』(里山社)を刊行。
『パリの恋人』
スタンリー・ドーネン監督
(TSUTAYAオンラインなどで視聴可能)
女性の持つ多様な美しさとドレスを愛する私としては外すことのできない映画が『パリの恋人』です。
オードリー・ヘプバーンの魅力は語らずもがな
画面に溢れるカラフルな色彩、それでいて強すぎない自然色が多用されていて
出演者たちの歌とダンスとともに、ウキウキと楽しい気分にさせてくれます。
序盤に出て来るファッション雑誌の編集部に勤める女性達のファッションは50年代らしいキュッと引き締まったウエストになだらかなショルダーラインなど
女性の肉感を感じさせるものばかり。
対して本屋で働くオードリー演じるジョーのファッションは直線的で中性的。
「ファッションとは要するに自己欺瞞です」と最初に語るジョーがモデルとして美しいファッションを身にまとい、恋をして
ヘアメイクをしてカメラの前に立っていくごとに自信に満ちて輝いた女性に変身していきます。
女性がヘアメイクや身にまとうもので内側から輝くような美しさが出て、驚く程変身することは仕事柄日々実感していますが
それをこんなにもわかりやすく説明してくれる映画があるでしょうか。
劇中でカメラマン役のフレッド・アステアがジョーに対して
「愛らしいそのファニーフェイス/美しさ以上の君の魅力/それは個性の輝かしさ」と歌うシーンがあるのですが
当時の一般的な美しさの概念を一新したオードリーの魅力は
現代女性に対して”決められた美しさではなく、自分自身の持つ個性をいかして、いきいきとしていることほど美しいものはない”
ということを教えてくれているように感じます。
ジバンシィが手がけた衣装はどれも魅力的で見応えがありますが
教会の裏でウェディングドレスを着て踊るシーンは本当に詩的で夢のような美しいシーン。ため息がでます。
教会の鐘が鳴り、賛美歌を歌う子供達の赤いドレスと背景に咲く赤いお花、修道女の青いドレスのコントラストがとても好きです。
数年前にフランスを旅したときにも赤いアネモネがたくさん自生していたのを思い出して、
世の中が落ち着いたらまた旅に出たいなぁという気分にもさせてくれました。
内にこもりがちなこの時期に身も心も開放的な気分にさせてくれる映画です。
木谷さやか
(きだにさやか/ウェディングドレスデザイナー)
石川県金沢市でオーダー・レンタルのウェディングドレスのアトリエを主宰。
『俺たちは天使じゃない』
ニール・ジョーダン監督
(Amazonプライム TSUTAYAプレミアムなどで視聴可能)
ロバートデニーロとショーンペンの囚人コンビを選ばせて頂きました。
私の両親は長く池袋でスナックを営んでおり(今でも)、幼ない頃も夜は弟と家でお留守番でした。
その頃テレビでは、ゴールデン、昼も深夜も映画がバンバン放映されており、中学に上がった僕は、両親が夜仕事でいないのを余所に深夜番組にかじり付いてました。
刺激的で面白い番組が多かったです。『イカ天』『えび天』なんかもありましたね! そんな頃、確か深夜映画枠で見た記憶にある『俺たちは天使じゃない』です。
思わぬ流れで、脱獄に成功してしまった囚人2人が国境の小さな村に辿り着き、村人に神父と詐った為に、修道院生活が始まってしまうわけです。
国境を越えれば自由の身。
その場凌ぎの言動が、何故か上手くいっちゃう。聖母マリア像の思し召なのか?気弱な囚人ショーンペンの辿々しさや、傲慢な囚人デニーロの誇張演技、障害児の娘を持つビッチなデミムーア。
その娘が可愛くて最後にいいオチを見せてくれます。好みの映画です。
今見返して見ると、突っ込みどころは有るんですけどね。
いやですね、年取るとあら探ししちゃってるのが。
ダメダメ、寛容な気持ちで見た方が映画は面白いです。
東村忠明
(ひがしむら・ただあき/ヘアメイク)
東京拠点に、映画、ドラマ、広告、ファッション等でヘアメイクを行う。 映画作品/『ファンシー』廣田正興 監督/『アリーキャット』榊英雄 監督/『スキャナー』金子修介 監督/『25 NIJYU-GO』鹿島勤 監督/『地獄でなぜ悪い』園子温 監督/ 他
短編映画作品/『嬉しくなっちゃって』穐山茉由 監督/『ホモソーシャルダンス』『老ナルキソス』『ピンぼけシティライツ』東海林毅 監督/『エレファントソング』渡邉高章 監督/『ふぎり』徳田公華 監督/ 他
『スモーク 』
ウェイン・ワン監督
(Amazonプライム TSUTAYAプレミアムなどで視聴可能)
僕にとって『スモーク 』は、小説のような映画です。
この映画では、何人かの登場人物が映画の中でストーリーを語ります。それも映画の流れ とは直接関係のない(でもそれぞれの人生の中で、とても重要な意味を持つ)ストーリー をセリフだけで淡々と語ります。観る人はそのセリフに耳を傾け、小説のようにストーリ ーを想像するしかありません。
それは映画の手法としては少し不親切な感じもしますが、これこそが『スモーク 』という 映画を他の映画とは一線を画す、特別なものにしているんじゃないかなと僕は思っていま す。
この映画の脚本を書いたポール・オースターは、どちらかというと小説家として有名な人 物です。これは僕の勝手な想像なんですが、ポール・オースターは映画という総合芸術の 中であえて、画や役者の演技が介在しない、物語そのものが持つ力を見せようとしたので はないかと思っています。
だからこそ、ある場面ではハーヴェイ・カイテル演じるオーギー・レーンが自身のクリス マス・ストーリーを長々としたセリフだけで語った後、今度はそれと全く同じストーリー を、映像と音楽のみで見せるようにしたんじゃないかなと。初めて見たとき、何て粋な構 成なんだろうって思いましたが、今思うと、ポール・オースターは、そこに小説家として のプライドを見せていたのかもしれません。
もともと僕の創作活動も小説を書くことから始めて、今は映画監督もしていますが、スト ーリーを創造するときはいつも、ストーリーの持つ匂い、リズム、空気、そういう言葉で は説明出来ないものの存在を意識するように心がけています。
本当に良いストーリーとは、それがどんなストーリーだったか忘れてしまったとしても、 心の奥で何かが残り続けるものなのかもしれないと、そんなふうに思ったりもする今日こ の頃です。
村口知巳
(むらぐちともみ/映画監督)
香川県出身。システムエンジニアの仕事のかたわら、シナリオセンターにて脚本を学ぶ。 2017年に伊参スタジオ映画祭シナリオ大賞短編の部にてグランプリを受賞し、受賞作『あるいは、とても小さな戦争の音』を初監督。同作がショートショート フィルムフェスティ バル & アジア2019のジャパン部門にノミネートされる。以降も精力的に映画制作を続 けている。
オフィシャルサイト
最新作『美しいロジック』予告編
『マインド・ゲーム』
湯浅政明監督
(TSUTAYAプレミアムなどで視聴可能)
いなくなったのにも関わらず生きようとするのは何故か。
はじめて観た瞬間は鮮やかに広がる景色にただただ呆然とし、心が奪われました。
私の脳では追い付かず時間が経っていく一方、頭ではフラッシュバックを繰り返してなんとかしてこの内容を分かち合いたいと、気づいた頃には何度も何度も見返していました。
それは何度も何度も私自身、同じ気持ちを繰り返しているからなのかもしれません。
生きたい、自分なりに精一杯しても転けてしまう。でもその精一杯は本当なのか。
常に悩み止まっては、戻っては、進んでるのかも分からない。
けど進んでいる何か、繋がっているもの。それによって生まれていくパワー。
今日も生きていこうと思う一作品です。
本日も健やかに、すてきな日、時間となりますように。
ユミコテラダンス
(Yumikoteradance/ダンサー・役者)
菊池美佐子、三東瑠璃演出舞踊舞台に出演
肥沼武×Yumikoteradanceでのことば×音楽×踊りによるLIVEに出演
主な出演作
『赤色彗星倶楽部』(武井佑吏監督)『宴の宵がさめるまで』(今村瑛一監督)『破滅のダンテ』(堀哲朗監督)『俺、明後日、死ぬってよ。』(黒川賢一監督)
『宮田バスターズ(株)』(坂田敦哉監督)『motherhood』(萬野達郎監督)『それはまるで人間のように』(橋本根大監督)『青い』(鈴江誉志監督)『追い風』(安楽涼監督)
5月25日に逝去との急報に触れ、ただただ驚き心をいためております。
ご冥福をお祈りさせていただきます。
『転々』
三木聡監督
(Amazonプライム TSUTAYAオンラインなどで視聴可能)
東京散歩をするお話なので、一回は行ったことのある街が出てくる人が多いと思います。私も改めて観かえして、あぁ、ここ行ったなぁと懐かしくなりました。
切り抜いたラコステのロゴや、愛玉子……。
出てくる物や台詞が愛おしくて、クスクス笑えるのに、最後は少し切なくなる大好きな作品です。すき焼きを食べるシーン、特にぐっときます。
みんなで食卓を囲ってご飯を食べる時間っていいなぁ。
すぐに行けてしまう距離だけど、簡単に行けない今、お家の中で東京散歩を味わってもらえたらいいなと思い、おすすめします。
安心してぼーっとお散歩できる日が早く来ますように。
東かほり
(ひがしかほり/グラフィックデザイナー・映画監督)
フリーでデザイナーをしつつ映画を撮っています。
『土曜日ランドリー』立川名画座通り映画祭 グランプリ 他
『湯沸かしサナ子、29歳』札幌国際短編映画祭、あいち国際女性映画祭、夜空と交差する森の映画祭 上映/第9回きりゅう映画祭 グランプリ
那須ショートフィムルフェスティバル2019 審査員特別賞 他
Twitter @higashi_kahori
『マイマイ新子と千年の魔法』
片渕須直監督
(Amazonプライム Netflix TSUTAYAプレミアムなどで視聴可能)
私は冒頭から泣いてしまう。いや、たぶん、誰もが涙する作品ではないけれど、私たちは作者の意図とは関係なく勝手に救われてしまうことがある。
波打つ麦畑に潜ると、立ち上がる千年前の景色、架空の友達、現実と空想と、自己と他者があいまいなこどもの世界。そこで息継ぎをするように世界を行ったり来たりする感覚、が可視化されている。
こどもたちは小川をせき止めて小さなダムを作る。それぞれの世界を持ち寄って箱庭を作る。あの子の知らない私の世界と、私の知らないあの子の世界が合わさると、世界が何倍にも拡がっていく。新子の頭の中にあった千年前の世界を、貴伊子が引き継いで展開していく。その過程とよろこびは、映画を作ることとよく似ている。彼らは、大人が覆い隠した悔しさ苦しみも想像力で共有する。その力は、場所も時間も超えることができる。千年前のあの子に、ひとりじゃないと伝えに行くことができる。
私たちは今、絶えず想像を巡らせて、前が見えなくなったり、投げやりになったりすることもあるのだけど、自分自身と近くにいる人を守りながら、会えない人を想う今だからこそ、臆せず伝える言葉が持てるかもしれない。ああ、早くみんなで映画が撮りたい。
田中 晴菜
(たなかはるな/映画監督)
大学卒業後銀行員として勤務。その傍ら 2016 年 4 月よりニューシネマワークショップクリエイターコース修了、自主映画制作を開始。現在新作ポスプロ中。
『いきうつし』(2018) 予告編 https://www.youtube.com/watch?v=Zq38Ai1SK1k&feature=emb_title
第 20 回ハンブルク日本映画祭 2019 公式上映
第 42 回アジアンアメリカン国際映画祭公式上映
第 53 回ヒューストン国際映画祭(上映予定)
あいち国際女性映画祭 短編部門グランプリ(金のカキツバタ賞)他受賞・入選多数
『いきうつし(中編脚本)』(2016) 伊参スタジオ映画祭シナリオ大賞中編部門審査員(坂井昌三)奨励賞
最新情報はTwitter にてhttps://twitter.com/nanocanoca
『監督失格』
平野勝之監督
(Amazonプライム Netflix TSUTAYAプレミアムなどで視聴可能)
実は僕の家にはテレビがなくて……もう二十年近く家で映画を観るという経験をしていません。
やはり映画を見るなら映画館。
画面の大きさや音響の面でもそうですが、同じ空間で全く知らない人たち時を同じくする、という経験ができるのも好きなんです。
上映が終わって場内が明るくなった時の雰囲気は、特に。
今回紹介する平野勝之監督の『監督失格』は、彼と不倫関係にあったピンク映画女優 林由美香の死と、彼女の生前の2人の関係、そして平野監督が彼女との別れをどう受け入れるかを描いたドキュメンタリー映画です。
映画館で観たとき、上映後に溢れてくる涙を堪えるのに必死でした。
今思えば、遠慮なく泣いてしまえばよかったな、と思います。
上映後の映画館は、他にも泣いているらしき声があちこちから聞こえていたから。
「死」がそれほど遠くないものになってしまった昨今、また観返してみたい映画です。
家で観れば、誰はばかることなく号泣できますしね。
安西伸太郎
(あんざいしんたろう/「本と酒 安西コーブンドー」店主)
酒好きが高じて10年務めた法務省を辞め飲食の世界へ。
2018年、名古屋・今池にて国産酒専門の小さな酒場「本と酒 安西コーブンドー」をオープン。
酒のマニアックなラインナップと店主のキャラの濃さが一部で話題に。
現在は店は休業中。
コロナ収束後の営業再開に向けて鋭気と脂肪を蓄える日々。
『マネー・ショート 華麗なる大逆転』
アダム・マッケイ監督
(Amazonプライム Hulu Netflix TSUTAYAプレミアムなどで視聴可能)
<次に来る大恐慌を楽しむ>
映画はよく「最大の娯楽」だとか「最高の娯楽」だとか言われる。
でもそれって本当ですか?
「最大の娯楽」とか「最高の娯楽」とかをセリフとして吐くとき、そこには、衰退と後退をし続ける産業としての裏事情や、Youtube・アニメ・ゲームに対する恐怖や負い目があったりしませんか?
映画は劇場で観るべき、としたり顔で言った後、誰も理解できないようなミニマルな理由付けしかできずに、あたふたしたりする映画人は多くないですか?
そんなモヤモヤして曖昧で不安定なものを、コロナショックは、決定的にするでしょう。
大きな時代転換(さらなる大恐慌)をもたらすかもしれない。
でもって、そのコロナショックといつも比較されるリーマンショック。
今回のコロナショックにおける各国政府の経済対応は、すべての面において、リーマンショックを元にしています。
リーマンショックは、誰も理解できない金融工学を信じ、考えないように、そうはならないだろう、と祈りながら、のらりくらりと過ごしてきた人たちが起こす、大爆発・大惨事・大自爆の物語です。
私は、今見るべき映画とはこういうものだと思います。
家でひっそり、小さな画面とイヤホンで見てみればいい。
どうせなら、自らの映画愛とやらを確かめるために。
そうすれば、何か次へのアイディアが思いつくかもしれません。
澤田サンダー
(さわだサンダー/映画監督・現代美術家)
青森県出身。光合成の第一人者である生物学者の父と服飾デザイナーの母の間に生まれる。不動産ブローカーなどの職を経て、東京芸術大学大学院を修了。映画製作の他、国内外での展示経験多数。岡本太郎現代芸術賞に「幼なじみのバッキー」(アマゾン等で購入可能)で入選。映画「ひかりのたび」で長編デビューし、全国劇場公開や国際映画祭への出品などを経験した。現在、ミニシアターエイド基金(https://motion-gallery.net/projects/minitheateraid)に作品提供で参加中。
『アメリカン・ヴァルハラ』
監督:ジョシュ・ホーミ
アンドレアス・ニューマン
ジョッシュ・オム
(TSUTAYAオンラインなどで視聴可能)
何かと不安の多い昨今、少しでも景気のいい話や元気の出るものが見たいという方も多いのではないでしょうか。そんな時に私がお奨めしたいのがイギー・ポップ。
アルバムやライブ映像を視聴するのも良いですが、映画を紹介するページなので、2016年にリリースされたポスト・ポップ・ディプレッションというアルバムのドキュメンタリー映画をご紹介したいと思います。
当時、イギーは再結成したストゥージズのメンバーの内、二人が鬼籍に入った事もあり、激しい音楽を演奏し続ける事に疲れ果てシャンソンを歌っていたのですが「やっぱり何か違う」という思いから一念発起し、自分の子供くらい年齢の離れたQOTSAのジョシュ・オムに声を掛けアルバムの製作に乗り出します。
バンドメンバーが集まり、アルバムを録音し、ツアーに出る、というだけの話なのですが、子供の頃、カセットでレポマンのサントラを聴きながらスケボーをしていた事が楽器を演奏するきっかけになったジョシュが、イギーと一緒にアルバムを製作し、同じステージで演奏しているのを見るだけでもグッときます。
そしてどんな時でも全力を尽くすイギー・ポップ。
ツアー中の会場で「ステージと客席が遠すぎてダイブができないから何とかしてくれ」とリクエストするも、結局、会場側ではどうする事もできないのですが「俺はどんな時でも手を抜いていると思われたくない」とライブ中ど根性で遠くまでジャンプする事で解決。
とても70歳近い老人とは思えません。
イギー・ポップの事を全く知らないという方が楽しめるかどうか難しい映画ではありますが、老人になっても裸でのたうち回るイギーの姿を見れば元気が出ると思います。
佐久間裕太
(さくまゆうた/ドラマー)
サラリーマンをやりつつ、スカート 、冷牟田敬バンドというグループでドラムを叩いています。
もう10年以上前になるか……ある映画監督とお話をする機会があり、「理想的な鑑賞環境は?」という話題になった。
監督曰く、「観客が誰もいない映画館の真ん中で、一人で観ることです」と。
私たちは映画館について話す時、ついつい鑑賞体験を語りがちだ。
「満員の観客全員で、爆笑した」とか、「必死で我慢してたのに、隣の人が泣き出したら耐えられなくなって一緒に号泣した」とか。
もちろん、素敵な話だと思う。
筆者にもそんなエピソードは少なからずあるし、他の人の鑑賞体験談は聞いていて楽しい。
だが、もう一度思い出したい。
周りが笑っていたから笑ったのではなく、映画を観て爆笑したのだと。
隣の人がいようがいまいが、映画を観て号泣したのだと。
映画とは、映画館で観ることを前提に撮られたものだ。
大スクリーンでなければ気づけない仕事の集積体、それが映画だ。
【家で観る映画】は、今回vol.7で70作品を数えたことになる。
寄稿していただいた70本は、全てがそんな映画ではなかったか。
「誰もいない映画館の真ん中で、一人で観る」
愛が溢れた言葉だと思うのだ、映画への――。
さあ、あと少し!
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