映画ファンたちが好んで使う用語に、「ジャンル映画」という言葉がある。
今回紹介するのは、「ジャンル映画の新たなる金字塔」となる映画だ。
ヤング ポール監督『ゴーストマスター』である。
『ゴーストマスター』ストーリー
ロケ現場の廃墟では、かの大監督と一字違いの助監督、黒沢明(三浦貴大)が、監督の土田(川瀬陽太)に怒鳴られていた。人気コミック『僕に今日、天使の君が舞い降りた』の劇場版はクランクアップ間近だというのに、主人公の「壁ドンカップル」桜庭勇也(板垣瑞生)と牧村百瀬(永尾まりや)が揉め、撮影がストップしてしまったのだ。
「キラキラ胸キュン映画」には似つかわしくない大俳優・轟(麿赤兒)、自画撮りに夢中な主人公の同級生役・石田(原嶋元久)、無表情のカメラマン(森下能幸)、短気ですぐ手が出る録音技師(柴本幸)、いい加減な照明マン(篠原信一)、お調子者のプロデューサー(手塚とおる)と、撮影現場は助監督の黒沢を悩ますメンバーばかり。
黒沢にとって唯一の救いは、憧れの女優、渡良瀬真菜(成海璃子)が出演していることだ。だが、その真菜から否定され、自身が温め続けてきた企画『ゴーストマスター』の実現が不可能と分かった時、黒沢の鬱屈した情念が脚本に生命を与えてしまう。架空の存在であったはずのゴーストマスターが具現化し、『ボクキョー』の撮影現場は地獄絵図となるのだった――。
「ジャンル映画」というのは、厄介な言葉だ。
聞き馴染みのない方のために簡単に説明すると、「どんなジャンルの作品か明確に分かるような映画」のことだ。
即ち、単純明快な娯楽作品を指し示す用語なのだ……だったはずなのだが、この「ジャンル映画」なる単語、今日では一筋縄でいかない意味を身に纏っているのだ。
「ジャンル映画」には、低予算作品、謂わばB級映画が多かった。
だが「ジャンル映画」に関わる者の一部は、単純明快な娯楽作に甘んじることを快しとせず、少ない予算、短い撮影期間にも工夫を凝らした。
結果として、「ジャンル映画」の一部は、怪作、珍作の類となった。
かくして「ジャンル映画」(の一部)はいつしか、「特定の分類に収まりきらないパワーを持つ映画」という、本来の説明からすると真逆な意味を内包する作品となったのだ。
だからこそ、数こそ多いとは言えないかもしれないが、「ジャンル映画」には観る者の心を揺さぶる作品が存在する。
作り手の魂が、私たちの心へとダイレクトに届くのである。
そもそも映画とは、人々が後世に遺したいと願った動画の集積だ。
OKカットとは、映画監督が自らの名に掛けて、未来の人々に提示し続ける「最高の一瞬」に他ならない。
また、低予算作品だからといって、それに甘える映画人を筆者は知らない。
足りないバジェットの中、工夫に工夫を凝らし、観る者を驚かせるものを生み出す。
撮影期間が限られようが、俳優も演出も妥協する者などいない。
役者は寸暇を惜しんで演技プランを練り、多少のハプニングは「奇跡の一環」という気持ちで本番に臨む。
「動画」と「映画」の決定的な違いは、ここにある。
映画とは大勢の人間が魂を注いだ「最高の一瞬の積み重ね」で、しかもジャンル映画には制作者の意図しなかった「奇跡」が宿りやすいのだ。
『ゴーストマスター』は、分類するとすればスプラッター映画である。
しかし、コメディ、ロマンス、アクション、時代劇、バディー・ムービーなど、あらゆる映画のエッセンスが込められている。
即ち、典型的な「(一部の)ジャンル映画」である。
また、過去の偉大なる先人たちへの熱いリスペクトに溢れている。
トビー・フーパー、ジョージ・アンドリュー・ロメロ、ジョン・カーペンター、ブライアン・デ・パルマ、ウィリアム・フリードキン、ルチオ・フルチ、サム・ライミ、ジョージ・ミラー、ジョー・ダンテ、ジョン・ランディス……
過剰とも思えるほどの畏敬の念が散りばめられている。
主人公「黒沢明」に扮したのは、三浦貴大。
三浦のご両親を思うと、彼のキャスティング自体に映画への愛が込められているとしか思えない。
しかも、三浦はそんなプレッシャーめいたモノを撥ね退ける、否、嘲笑うかの如き熱演を見せるのだ。
血筋という意味では、柴本幸の出演も同様に胸が熱くなる。
ブームを掲げた録音技師が、核戦争後の砂漠をサヴァイブするかのような、強烈な生命の輝きを放ってみせる。
麿赤兒は、偉大なる大部屋俳優の先人たちへの愛を謳い上げる。
麿自身がレジェンドなだけでなく、子供たちの存在も含め、映画愛を体現する存在である。
川瀬陽太、手塚とおる、寺中寿之、森下能幸など、映画愛に溢れた名優たちが、映画愛しか持たないかのような怪演を見せるのも観逃せない。
ここに、板垣瑞生、永尾まりや、原嶋元久という新星が加わることによって、陶酔感の伴う化学変化が起きるのだ。
そして、篠原信一という「アウトサイダー」が齎す刺激的な違和感を、存分に楽しんでほしい。
そして何より、ヒロインである成海璃子の群を抜く輝きに目を奪われるであろう。
クライマックスの立ち居振る舞いは、ローマのコロッセオでの死闘を、ロンドンでの「吸精」を、思い起こさせる。
ノー・スタントで震脚する成海の凜とした佇まいを、網膜に焼き付けてほしい。
メガホンを取ったのは、本作の企画で「TSUTAYA CREATORS' PROGRAM」の準グランプリを受賞したヤング ポール監督。
フランクフルト映画祭、ハンブルグ映画祭で上映された『真夜中の羊』で話題となった新鋭だが、筆者がヤング ポール監督を初めて知ったのは「MOOSIC LAB 2012」での『ムージック探偵 曲菊彦』(田中羊一との共同監督)だった。
ヤング ポール監督は、同年MOOSIC LABの『nico』(監督:今泉力哉)にキャストとしても参加していて、「君も映画をやってるんでしょ?」との問い掛けへの返しが最高だった。
あれは台本だったのか、アドリブだったのか、訊ねる機会があるなら聞いてみたいものである……更なる調査が必要だ。
また、ヤング ポール監督との共同脚本として、『東京喰種 トーキョーグール』(監督:萩原健太郎)の楠野一郎が参加している。
まさか「壁ドン映画」のクサい台詞で涙するとは、思ってもみなかった。
私たちシネフィルも映画人と同様、過去の偉大なる先人たちへの敬服は惜しまない。
夕闇が迫る頃には、ババ・ソーヤーがチェンソーを振り回した、テキサス州ウィリアムソンのバイパスを思い返す。
卒業シーズンには、血と炎でプロムを真っ赤に染めた、サイキック少女の悲哀に想いを馳せる。
そして、新しい「奇跡」を渇望し続けるのだ。
映画が生まれて120年、既に一生掛けても観尽くせぬ尺の名作が世に出ているのに、何故まだ新作を追い求めるのか。
そんなもの、愛しかあるまい。
信じるものが多いと、とかく人は善からぬ方へと歩を進めがちになる。
信じるものは、愛くらいでたくさんだ。
12/6(金)から全国順次ロードショー公開となる『ゴーストマスター』。
名古屋では12/7(土)から上映が始まるシネマスコーレ(名古屋市中村区椿町)で、12/11(水)15:40回にヤング ポール監督が舞台挨拶に訪れる。
是非とも劇場で、映画愛を存分に感じてほしい。
愛だけで良いのだ、映画に込めるものなんて――。
映画『ゴーストマスター』[R15+]
12/6(金)~ シネマカリテ ミッドランドシネマ名古屋空港 ほか
12/7(土)~ シネマスコーレ
ほか全国順次ロードショー
【配給】S・D・P
©2019「ゴーストマスター」製作委員会
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