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シルヴィオ・ベルルスコーニ。


建設業で名を馳せ、不動産王、メディア王と上りつめた、イタリア経済界の巨人。

ACミランを世界のクラブチームの頂点に君臨させた、口もカネも出すオーナー。

表舞台も闇社会も知り尽くした、ミラノの帝王。

イタリア首相を4期計9年にわたって務めた、清濁併せ呑むカリスマ宰相。

スキャンダルは数知れず、特に女性問題は政治生命を揺るがすほどだった、醜聞王にして失言王。


まるで伝説か神話の中を生きるキャラクターのようだが、今を生きる実在の人物だ。

しかも、過去の人ではない。

数々のスキャンダルで失脚、長らく政治の表舞台から姿を消していた彼だが、今年の5月には欧州議会の議員に見事当選した。


シルヴィオ・ベルルスコーニ、何度目かも分からない復活劇を、私たちは目の当たりにしているのだ。


映画『LORO 欲望のイタリア』は、『グレート・ビューティー/追憶のローマ』(2013年)『グランドフィナーレ』(2015年)など数々の名作を生みだした「21世紀の映像の魔術師」と称されるパオロ・ソレンティーノ監督の最新作である。

名匠・ソレンティーノ監督が映画の主役のモデルとして選んだのは、怪物シルヴィオ・ベルルスコーニだ。


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『LORO 欲望のイタリア』ストーリー

自前のクルーザーで地方議員を買収している、青年実業家セルジョ・モッラ(リッカルド・スカマルチョ)。

父親は受け継いだ会社経営に専念するよう願っているが、当のセルジョの目的は財界だけでなく政界への進出だ。

セルジョは政治家を「抱き込む」ことに手段を選ばない。

まずは、ドラッグ。そして、娼婦、モデル、女優の卵などの、女。


収賄、マフィアとの癒着、女性問題……数多のスキャンダルで失職したイタリア元首相シルヴィオ・ベルルスコーニ(トニ・セルヴィッロ)。

彼は、因縁の政敵・プローディを倒し、再びイタリア政界に君臨する機会を虎視眈々と狙っている。

シルヴィオは野望達成のために手段を選ばない。

イメージアップのための植毛。買収、罠、恐喝まがい等あらゆる政治工作。


何とかベルルスコーニに近づきたいセルジョは、彼の「パーティ」を取り仕切るキーラ(カシア・スムトゥニアク)に接近する。

「裏」で多忙を極めるシルヴィオだが、妻・ヴェロニカ(エレナ・ソフィア・リッチ)の愛を繋ぎとめることにも腐心する。

セルジョとシルヴィオ、二人の野望の、愛の行方や、如何に――。


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映画『LORO 欲望のイタリア』は、「すべてが事実に即し すべてが恣意的」という前書きから幕を開ける。

ソレンティーノ監督は、元伊首相シルヴィオ・ベルルスコーニを下敷きにしながら、事実と幻想が混在し、入り雑じり、融合する、一代エンターテインメントに仕上げた。


伝記映画であれば、憶測を仄めかすに留め、ファクトを淡々と並べた作品になるであろう。

イタリア映画界には、「ネオレアリズモ」という伝統が今も息衝いている。


事実を基にした娯楽作品にするならば、登場人物は架空の名称にしつつ、ファンタジー色を前面に押し出すであろう。

映画界の潮流は、世界的に見てもこれに近い。


『LORO 欲望のイタリア』は、その境界線に立つ映画である。

ファクトとファンタジーの狭間の世界で、「LORO」(ローロ =彼ら)は生きているのだ。


「ネオレアリズモ」というと、ルキノ・ヴィスコンティ監督の名が思い起こされる。

だが、「21世紀の映像の魔術師」パオロ・ソレンティーノ監督の作品から連想されるのは、同じくイタリア映画界の至宝フェデリコ・フェリーニ監督であろう。


『青春群像』(1953年)『道』(1954年)で「ネオレアリズモの若き後継者」として絶賛されたフェリーニ監督は、『サテリコン』(1968年)『フェリーニのアマルコルド』(1973年)『カサノバ』(1976年)など名作を量産、シンボリックで幻想的なシーンを積み重ねる作風に変化を見せる。

『フェリーニのローマ』(1972年)では、巨大セットのスタジオ撮影によりローマ時代を再現し、世界の映画ファンの度肝を抜いた。


パオロ・ソレンティーノが「21世紀の映像の魔術師」なら、フェデリコ・フェリーニ監督は元祖「映像の魔術師」だ。


ソレンティーノ作品のペシミスティックなシーンの数々を観て、アメリカン・ニュー・シネマを想起する向きも多いだろう。

しかし、ここはイタリア。

フェリーニ作品を思い起こされるがよかろう。


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そんな衒学的な映像美を支えるのは、出演者の熱演、怪演である。


シルヴィオ・ベルルスコーニを演じるのは、『グレート・ビューティー/追憶のローマ』、『湖のほとりで』(監督:アンドレア・モライヨーリ/2007年)、『ゴモラ』(監督:マッテオ・ガローネ/2008年)のトニ・セルヴィッロ。

徹頭徹尾ずっと貼りついたように浮かべる笑顔は、間違いなく作品の見所の一つだ。

そして、ほんの時折り、笑顔の「仮面」が剥がれる瞬間をお見逃しなく。

映画を観終わった後に覚える大きな満足感と少しの倦怠感の理由は、観者がシルヴィオの抱える孤独感までをも感受したからに他ならない。


ベルルスコーニに接近を試みる青年実業家セルジョ・モッラには、『あしたのパスタはアルデンテ』(監督:フェルザン・オズペテク/2010年)『ローマでアモーレ』(監督:ウディ・アレン/2012年)『ジョン・ウィック:チャプター2』(監督:チャド・スタエルスキ/2017年)のリッカルド・スカマルチョ。

野心をギラつかせた好戦的な笑顔から、虚無感に打ちひしがれた無表情まで、観客に寄り添う狂言廻しを見事に演じ切ってみせる。


また、ベルルスコーニの妻ヴェロニカ・ラリオを演じるエレナ・ソフィア・リッチにもご注目を。

ヴェロニカとシルヴィオのシーンは、全てが名場面である。

二人の「言い争い」は、実質『LORO』のクライマックスと言って良い。

ダヴィッド・ディ・ドナテッロ主演女優賞(2019年)に輝いたのも納得だ。


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なびく素振りを見せないキーラ(カシア・スムトゥニアク)を、それでも口説き続けるセルジョ。


気まぐれで選んだ番号に電話を掛け、説得の練習を試みるシルヴィオ。


印象的なシーンは挙げ切れないほどだが、一介の女学生であるステッラ(アリス・パガーニ)がシルヴィオに言い放った言葉は特に強烈だった。

さしものベルルスコーニも心を折られた名台詞だが、本調子の彼なら、「君の家族は、私と同じ歯磨きを使っているの?運命を感じるね」などと切り返していただろう。


ちなみに、トニ・セルヴィッロは今作で一人二役を演じている。

是非とも気を付けて観ていただきたいが、ちょっと難易度が高いかもしれない。


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リッカルド・スカマルチョが演じるセルジョと、トニ・セルヴィッロが演じるシルヴィオ・ベルルスコーニ。

二人は、マルチェロ(マルチェロ・マストロヤンニ)とスタイナー(アラン・キュニー)の関係性に似ている。

そう、フェデリコ・フェリーニ監督の代表作『甘い生活』(1960年)の登場人物だ。

『甘い生活』では悲劇的な別離を迎える二人だが、『LORO』では果たして――。


『甘い生活』はフェリーニ作品の中でも、ネオレアリズモとスペクタクルの中間に位置する映画である。

ファクト(事実)とファンタジー(幻想)が雑じり合う『LORO』と、まさに符合する。

退廃的な生活、瀟洒なパーティ、無垢な少女、そして「キリスト像」……両作品には、具体的な共通項も多い。


60年前も現在も、人間の本質は変わらないのだ。

人々は欲に溺れ、金に塗れ、愛を翻す。

そして、孤独を抱え、虚無に震える。


甘い生活とは、甘いだけの生活ではないのだ、昔も、今も――。


映画『LORO 欲望のイタリア』

11月15日(金) Bunkamuraル・シネマ、ヒューマントラストシネマ有楽町

11月23日(土 祝) 伏見ミリオン座

ほか全国順次ロードショー


トニ・セルヴィッロ 


リッカルド・スカマルチョ 


レナ・ソフィア・リッチ 


カシア・スムトゥニアク 

ファブリッツィオ・ベンティヴォリオ 


監督・脚本:パオロ・ソレンティーノ

共同脚本:ウンベルト・コンタレッロ

撮影:ルカ・ビガッツィ

編集:クリスティアーノ・トラヴァリョーリ

製作:インディゴ・フィルム

配給:トランスフォーマー


157分【R15+】


©2018 INDIGO FILM PATHÉ FILMS FRANCE 2 CINÉMA


『LORO 欲望のイタリア』公式サイト

http://www.transformer.co.jp/m/loro