肩が触れるほど寄らねば並んで座ることの出来ない小さな木造の空間で、一糸纏わぬ男二人が玉の汗を掻き合う。
男は、慣れた手つきで柄杓を取ると、洗面器に張った湯を汲み、ストーブの上の焼け石に掛ける。
湯は大きな破裂音と共に姿を消し、勢いよく立ち昇った蒸気(ロウリュ)はサウナルームに充満する。
サウナの本場である北欧・フィンランドでは、公衆サウナからプライベートサウナまで、約550万人の人口に対して約300万個のサウナがあるという。
ヨーナス・バリヘル、ミカ・ホタカイネン共同監督による『サウナのあるところ』は、2010年に撮られた異色のドキュメンタリー映画だ。
何が異色かって、観客は81分という上映中ほとんどの時間を、素っ裸の男たちの呟きに付き合わされるのだ。
夫婦円満の秘訣を語る、老人。
継父からの虐待を語る、男。
娘と会えない境遇に涙を流す、父親。
一風変わった友人を紹介する、老紳士。
犯罪を繰り返した人生から更生せんと藻掻く、若き父。
祖父の思い遣りの形に後になって気づいた、老境の孫。
止めることの出来なかった事故を悔やむ、元会社員。
戦場に思いを馳せる、退役軍人。
「弱さを出してもいいのは、誰も見てない時だけだ」
男が言う。すると、傍らの男も言う。
「人前では隠す」
そんな問わず語りを聞くと、土地や人種は変われど、人々の本質は変わらぬものなのだと気づかされる。
人は、社会生活を営む上で被らざるを得ない「仮面」を脱ぎ捨てて、本来の自分に戻る場所を求めて生きるものだ。
「隠れ家」と表現する人もいよう。「居場所」と言う人もいよう。
場末のスナックが隠れ家だったり、愛犬と共に眠るベッドが居場所だったり、人によっては、匿名でディベート合戦を繰り広げる仮想空間が安穏をもたらす場所かもしれない。
人によって「安全地帯(safety zone)」も、千変万化する。
色々な隠れ家で、多彩な居場所で、男も女も、心の鎧を脱ぎ、顔に刻んだ険を解き、飾らない言葉で本音を語る。
フィンランドの男たちにとっては、サウナが安全地帯なのだ。
映画『サウナのあるところ』は、私たちに「心の避難所」の大切さを教えてくれる。
裸の男たちが時に涙しながら語るのは単なる身の上話だが、居場所を持つ豊かな人生について饒舌に諭す。
『サウナのあるところ』は、サウナの楽しみ方を指南する映画ではない。
豊かな人生の愉しみ方を啓蒙する作品なのだ。
ただ、サウナ好きを自負していた筆者自身は、少なからず反省させられた。
本来の観点ではない、「サウナの入り方」についてである。
サウナに入ると筆者は、つい「競争相手」を探す。
適当なサウナーを見つけようものなら、本能的に誓ってしまうのだ……「あいつより先に、出ない!」などと。
(自分の頭の中で)「仮想敵」と駆け引きを繰り広げ、相手が早く心を折るように小芝居を打ったりする。
そろそろ相手の限界が近いと(勝手に)判断したならば、頃合いを見計らって席を立つ。
当然、敵は「勝った!」と思う(はず)……しかし、私は計算されつくした動きで、砂時計を引っ繰り返し、悠々と席に戻るのだ。
……実に不毛な、「ひとりフェイント」である。
これでは、心の平穏には程遠い。
次にスーパー銭湯に行ったなら、仮想敵ではなく「隣人」として接してみよう。
「いやぁ……出た後のビールを美味しくするためだけに、粘っちゃいますよね」
「水風呂が空きましたね。一緒に浸かりませんか?」
なんて話が出来れば、サウナを「心の安寧所」に出来るかもしれない。
単なる「サウナ好き」から、格段のステップアップだ。
アップリンク渋谷(渋谷区宇田川町)、アップリンク吉祥寺(武蔵野市吉祥寺本町)、新宿シネマカリテ(新宿区新宿)など、首都圏では9/14(土)から公開された『サウナのあるところ』。
ロードショーは順次全国拡大していくが、名古屋では10/5(土)名演小劇場(名古屋市東区東桜)で封切となる。
サウナが居場所であったなら、本当に豊かな人生だ。
それを映画館で知るのなら、最高の人生ではないか――。
映画『サウナのあるところ』
2010年/フィンランド/フィンランド語/ドキュメンタリー/81分/原題:Miesten vuoro /英題:Steam of Life /【R15+】
監督:ヨーナス・バリヘル、ミカ・ホタカイネン
配給:アップリンク
©2010 Oktober Oy.
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