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瀬長亀次郎(せなが かめじろう)は1907年6月10日 沖縄県島尻郡豊見城村(現、豊見城市)生まれの政治家で、沖縄現代史における最重要人物の一人。

アメリカ統治下で那覇市長に選ばれ(1956年)、戦後沖縄初の国政参加選挙で衆議院議員に当選、以後7期(1970年〜1990年)連続で務めた。


2017年に公開された瀬長亀次郎に迫ったドキュメンタリー映画『米軍(アメリカ)が最も恐れた男 その名は、カメジロー』は大きな話題となり、ご当地沖縄にとどまらず、首都圏、そして全国で多くの人々が映画館に足を運んだ。


そんな瀬長亀次郎のドキュメンタリーに、続編が出来た。

タイトルは、『米軍(アメリカ)が最も恐れた男 カメジロー不屈の生涯』。

今作でも多くの関係者の証言からさらに深く「人間・瀬長亀次郎」に肉薄する。


監督の佐古忠彦は、『筑紫哲也NEWS23』でキャスターを務めた(1996〜2006年)、TBSテレビ報道局『JNNドキュメンタリー ザ・フォーカス』プロデューサー。

9月8日(日)公開9日目の名演小劇場(名古屋市東区東桜)に、佐古監督と、瀬長亀次郎の次女で映画にも出演された内村千尋(不屈館館長)が舞台挨拶に登壇した。


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佐古忠彦監督 今週この映画は関西で公開を迎えたものですから、昨日、今日と神戸、大阪、京都を回って、台風で遅れた新幹線でたった今名古屋に辿り着きました。


内村千尋館長 沖縄では8月17日に公開が始まって、前の作品は凄く並んで入れない人がたくさん出たものですから、(今作では)整理券を発行したんです。そうしたら、整理券をもらう為に上映の2時間前からまた行列が出来たんですよ。今も毎日たくさんの人が来てくれています。


佐古監督 6日金曜日に兵庫県豊岡市でトークショーをやらせていただいたんですけど、そこも平日なのに本当に多くのお客様にお越しいただいて。昨日、今日の神戸、大阪、京都も、満席立ち見という状況で、様々ご感想をいただいて、大盛況のうちに名古屋に移動してきまして、凄くありがたく思っています。


MC. 今作は続編という形になりますが、製作の経緯を教えていただけますか?


佐古監督 こちら名演小劇場さんへも、前作を公開した2年前にお邪魔しました。あの時も全国を回りながら様々なお客様に感想をいただいたんですが、当時は2作目を作るとは思っていませんでした。カメジローさんを観ていただく中で、「政治家としてのカメジローさんは分かったが、一方で、家庭ではどんな顔をしていたんだろうか?」「あれだけの不屈の精神を宿す背景を、もっと詳しく知りたい」というお声を随分いただきました。つまり、「人間・カメジロー」をもっともっと知りたいというお声だったんですね。公開から半年くらいが経ってなお映画の熱が続いていた中で、千尋さんにもう一度あの230冊の日記を読ませてもらえないかお願いに行きまして、全て揃えていただいて1冊目からもう一回読み始めました。視点を変えてみると、1作目では取り上げなかった部分がたくさん目に飛び込んできまして、様々な顔が日記から浮かび上がってきたんです。もちろん、政治家として闘っているカメジローさんはもちろんですけど、お父さんとして、そして夫として、様々な家族との時間が綿々と綴られているんですね。沖縄を愛し、祖国復帰を目指していったカメジローさんの、違う顔がいっぱい散りばめられていて。1作目では歴史を駆け足で紹介したところもあったんですけど、その空白を埋めながら、いったんは那覇市長を追放され表舞台から消されてしまったカメジローさんですけど……そんな中でもどう闘って、沖縄の熱い民衆の中にどう関わっていたのか、もう一度カメジローさんの物語を紡いでみたいと思いまして、始めたんです。それが去年の1〜2月くらいのことですから、ほぼ1年カメジローさんとの時間をまた過ごしていた感じです(笑)。


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MC. 千尋さんは、続編を作られると聞いて、どう思われましたか?


内村 亀次郎のエピソードはいくらでもあるし、資料も凄くたくさん残ってるので、「やる気があれば、出来ますよ」ということで(笑)、協力することにしました。「家庭人・カメジロー」も描きたいんだということでしたので、母も市会議員をしていたので、たくさん資料を残しているんで、整理されてなくて自宅に山積みになっているダンボールの中から母の日記らしいものを取り出したり。私の家族の物も全て持ってきて、不屈館の小さな作業場に、足の踏み場がないくらい資料を置いて佐古さんに提供しました。この資料探しが大変だったので、佐古さんの苦労の半分は私がやりました(場内笑)。


佐古監督 去年の3月くらいまでは、ずっと日記を読みふけっていました。まだ整理されていない(瀬長)フミさんの日記や手帳、メモ書きも全部揃えていただいて読み込む中で、フミさんとカメジローさんが同じ内容を書いている日を見つけたんです。千尋さんも気づいてなかったそうですが、それが本作でも紹介した日本を見に行くという日だったんです。その日の日記には、朝起きた時間、弁当の中身、朝9時40分に家を出発した……そういう細かいことまで全部二人の記述が一致しているんです。「九時半」とか「十時前」じゃなく、「9時40分」って二人とも書いてあるという(場内笑)。あれだけ復帰したいと思っていた祖国を見に行くという一つのテーマを持って二人で出かけている、そして「夫婦が結婚後はじめて出かける」という記述もあるくらいですから、凄く思いのある一日だったんじゃないかと思います。私は、それを見つけたとき感動を覚えました。ただ、カメジローさんの文字は解読不能なところが多かったですから(場内笑)、映画を見ているだけで動体視力を鍛えさせられてるんじゃないかと思うくらいで(笑)。でも、肉筆の文字というのは情報が伝わってくるものなんですよね。その時の温度感であるとか、思いであるとか……忙しくしている時、落ち着いて書いている時といった時の流れ、カメジローさんはどんな時の中で、どんなことを考えて行動していたのか、そんなことまで伝わってくる日記でした。読み続けるといつの間にか、解らない字にも法則が見つかりまして、段々意味も繋がってくるんですね。千尋さんには「大変だったでしょう?」と言われますが、法則が見つかってからはどんどん引き込まれていって、むしろ充実した日々だったと言っても過言ではないかもしれません(笑)。


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MC. 今回の作品で、是非伝えたいことは何でしょう?


佐古監督 「人間・カメジロー」というところは、1作目以上に光を当てたいと思った部分です。そして1作目と通底する部分といえば、カメジローさんを通して見える沖縄の皆さんの気持ち、歴史だと思っています。50年近く前の国会で、当時の佐藤首相と正面からぶつかり合う姿、それまで続いてきた沖縄の歴史がそのままカメジローさんの言葉に繋がっている気がしています。もちろんカメジローさんが主人公ではありますけど、カメジローさんを通して改めて戦後史を見つめること……1作目と同様、それが届いたら良いと思っています。


内村 このパンフレットにも、私が亀次郎はどういうお父さんだったのかを書いています。父が人民党事件で投獄されていた時、私は小学校4年生だったんですね。80歳で父が脳梗塞で倒れ、私はその後14年間介護生活をしていました。その後、出てきた山のような資料は整理して不屈館に展示していますので、是非皆さん沖縄に行く時にはいらしてください(笑)。亀次郎は小さい頃からとても怖いお父さんで、よく怒られてたんです。何故怒られたかは覚えていないんですけど、怒られたことは覚えてるんですね。そうしたら日記を読んだら、何故怒ったかまで書いてあるんですよ(場内笑)。そこで納得したんです……約束を破る、門限を守らない、差別的な言葉を使っている、そういう時には徹底して怒ったみたいです。日記を読んで、父親を許そうと思いました(笑)。本当に色々なことが細々と書いてあって、230冊の日記と言いますが、1日に千字から三千字書いているんです。それを毎日書いてるんですよ。佐古さんは本当に読むのが大変だったと思いますが、本当に第一級の資料だと思っています。実は佐古さん、今回はいったん、3時間半の映画にしているんですよ。それを2時間に纏めないといけなくて、大変苦労したと思います。


佐古監督 (笑)……そうですね。一度編集をしたら3時間半くらいになっちゃったんですよ。そこから泣く泣く落としたところが結構ありまして、2時間ちょっとという作品になりました。千尋さんの仰るようにたくさんのエピソードに溢れているのがカメジローさんで、「人間・カメジロー」が散りばめられているのが日記であり、日記が大きな背骨になっているのが今回の作品です。


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舞台挨拶を終えたお二人には万雷の拍手が送られ、時を移さず行われたサイン会では多くの熱い感想が飛び交った。


視点を変えると、見え方が変わる。

そんな出会いが、映画にはある。

劇場で出会ってほしい、「人間・カメジロー」に——。


映画『米軍(アメリカ)が最も恐れた男 カメジロー不屈の生涯』オフィシャルサイト

http://kamejiro2.ayapro.ne.jp