インドから、珠玉の一本『あなたの名前を呼べたなら』が届いた。
ただし、『あなたの名前を呼べたなら』は、私たちが思い描くインド映画ではない。
本作には、アクションの粋を尽くされた英雄の決闘シーンや、眩いばかりに輝く壮大な宮殿を再現したCGは出てこない。
何より、俳優とダンサー、そしてエキストラが一糸乱れぬ見事な群舞を披露する、ボリウッド映画ならではのミュージカル・シーンは存在しない。
『あなたの名前を呼べたなら』は、建設ラッシュに浮かれる今のムンバイを、過去からの風習を今に残す貧しい農村を、そして、悠久の歴史が遺した階級社会から今も抜け出せずにいるインドの現実を描き出す。
そして、その中でも尚、観る者に与えてくれるのだ――愛と、ロマンと、生きる勇気を。
『あなたの名前を呼べたなら』ストーリー
著しい発展を遂げたインドでは、繁栄に沸く都市部と貧しい農村での経済格差が深刻になっている。
休暇中のラトナ(ティロタマ・ショーム)は、勤務先からの急な呼び出しで、里帰りも束の間ムンバイに戻る。若くして未亡人となったラトナは故郷の農村に職がなく、妹の学費を稼ぐため、建設会社の御曹司・アシュヴィン(ヴィヴェーク・ゴーンバル)が住む高級マンションでメイドとして働いている。そこにもまた、インドならではの社会事情がある。
現代においてもインドではカースト(階級)が社会に沁みついており、雇主と使用人との間には隔たりがある。だが、アメリカで暮らした経験もあるアシュヴィンは、相手の浮気により破談同然の婚約者より、メイドのラトナに心惹かれていく。
ニューヨークでの生活を懐かしそうに語る、雇主のアシュヴィン。ファッションデザイナーになる夢を遠慮がちに語る、使用人のラトナ。徐々に距離が縮まるふたりの恋に、未来はあるのか――。
何はさておき、この作品がインドの現実を鋭く切り取った、丁寧に掬い上げた映画だということを特筆したい。
劇中、ラトナが言う。
「未亡人が、村では どうなると?……人生 終わりです」
アシュヴィンの友人が、真摯に諫言する。
「もし本当に彼女を好きなら――構ってやるな」
筆者も一応、現在の情報社会に身を置く身だから、多少なりとも国際情勢について知識があるつもりでいた。
その原因の根本が国民性に因るのか、宗教観に因るのか判らないものの、他国ではちょっと見られないケースの犯罪がインドでは度々起きていることも、外況によって知ることくらいは出来た。
しかし、『あなたの名前を呼べたなら』で見聞きした現代インドの日常は、今まで知り得たどんな知識よりも深く大きな衝撃をもって、この胸に刻まれた。
フィクションが現実を越える……使い古された言葉ではあるものの、映画という芸術手法だからこそ表現し得ることがあるのだ。
今作が長編デビュー作である女性監督、ロヘナ・ゲラ監督ならではの視点があるからであろう。
ゲラ監督はムンバイ出身だが、アメリカで大学教育を受け、助監督や脚本家としてヨーロッパでも活躍している。
『あなたの名前を呼べたなら』の舞台であるムンバイで、ロヘナ・ゲラ監督はインサイダーであると同時にアウトサイダーでもあるのだ。
主人公ラトナには、『モンスーン・ウェディング』(監督:ミーラー・ナーイル/2001年)のティロタマ・ショーム(Tillotama Shome)。
美しく、繊細で、嫋やかでいて、力強い……魅力溢れる主人公を熱演している。
前述したようにミュージカル・シーンはないものの、ラトナがマーケットを“疾走”する場面は必見だ。
ラトナと「雇主以上、恋人未満」のアシュヴィンには、『裁き』(監督:チャイタニヤ・タームハネー/2014年)のヴィヴェーク・ゴーンバル(Vivek Gomber)。
『裁き』もまた、インドの現状をボリウッド作品とは一線を画する手法で描き出した社会派映画で、彼は人権派の弁護士を見事に演じ切った。
本作でも、『裁き』に勝るとも劣らぬ魅力的な人物を体現している。
『あなたの名前を呼べたなら』では、ファッションデザイナーを夢見るラトナが、色とりどりの生地を扱う。
ムンバイの市場でラトナが服飾材料を求めるシーンは、観ているだけでワクワクする魅力的な……蠱惑的な、名場面だ。
経糸(たていと)、緯糸(よこいと)が織り成す組み合わせにより、布地は様々なニュアンスを纏う。
経と、緯……二人の置かれた状況により、一筋縄ではいかない様々な経緯(いきさつ)を見せる、恋愛模様に似ている。
『あなたの名前を呼べたなら』のタイトルは、実は深い意味を持つことに、あなたは映画を観ていくうちに気付くだろう。
本作は終劇後にもう一度タイトルコールされるスタイルなのだが、その原題(英語)もまた印象的なので、併せて鑑賞してほしい。
映画『あなたの名前を呼べたなら』
8月2日(金)~
Bunkamuraル・シネマ
8月3日(土)〜
名演小劇場(名古屋市東区東桜)
ほか 全国順次公開
【配給】アルバトロス・フィルム
© Inkpot Films
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