真っ赤に映えた水面は、風と波で幾百幾千の夕陽を鏤める。
ぷかり、どぷりと漂う水辺に、懐かしい顔が浮かんでは消える。
樹液めいた粘性を帯び、腐食した黄金のような鈍色の空気の中で、想い出は静かに息衝いている。
そんな水は……想い出を封じ込めたような水の色は、青というよりは、赤み掛かった褐色を帯びる。
そう。
幾万、幾億、幾星霜の、太古の記憶を封じ込めた、植物の導管液の化石……琥珀のような。
2017年『ゆらり』で、長編映画初監督ながら舞台劇の映画化という難題を見事に成功させた、横尾初喜監督。
長編2作目となる今作『こはく』は、故郷である長崎県が舞台のオリジナルストーリーだ。
映画『こはく』は、横尾初喜監督自らが体験した幼少時代から現在までの半生記で、フィクションを交えつつ赤裸々に描かれた家族の物語である。
守口悠介(『つむぐもの』監督:犬童一利/2016年、『きらきら眼鏡』監督:犬童一利/2018年)が脚本を、ベテラン根岸憲一(『地獄の警備員』監督:黒沢清/1992年、『ほとりの朔子』監督:深田晃司/2014年、『淵に立つ』監督:深田晃司/2016年、『きらきら眼鏡』)が撮影を担当し、心揺さぶられるヒューマン・エンターテイメントに仕上がった。
また、その音楽性に惚れ込んだ横尾監督のたっての希望で、車谷浩司(Laika Came Back)が音楽を担当。
劇伴のみならず、映画のために書き下ろされた主題歌も素晴らしい作品なので、エンドロールも最後まで席を立たないでいただきたい。
そして、映画『こはく』を、観客一人ひとりに寄り添う温かい傑作にまで昇華させたのは、個性的で多彩なキャスト陣の熱演である。
『こはく』ストーリー
広永亮太(井浦新)は、長崎県にあるガラス細工会社の社長。幼いころに失踪した父が残した借金で経営は苦しいが、職人の宮本(石倉三郎)、助手で宮本の孫・優希(塩田みう)、社員の越野(寿大聡)らの協力もあり、何とか軌道に乗せつつある。
ある日、妻・友里恵(遠藤久美子)から妊娠を告げられた亮太は、複雑な感情を覚える。離婚経験のある亮太は、前妻に引き取られた子供たちに会わない自分と、顔を思い出すことも出来ない父の姿とを重ねてしまうのだ。
たまに顔を出す実家には、母の元子(木内みどり)と、定職にも就かずいい加減な兄・章一(大橋彰)が暮らしている。友里恵の妊娠を報告した亮太は、章一から父を見掛けたことを告げられる。
兄が父への恨みを抱いていたことに衝撃を受けた亮太は、母に父のことを尋ねようとするが、元子の口は重い。亮太は、母に内緒で章一と父を捜し始めるのだった——。
井浦新は、当サイトでも幾度となく言及してきた、日本を代表する名優である。
『11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち』(監督:若松孝二/2012年)では、三島由紀夫がいた。
『止められるか、俺たちを』(監督:白石和彌/2018年)では、若松孝二監督がいた。
井浦の居ずまい、佇まいには、憑依などという言葉では到底言い表せない、「自然体の凄み」がある。
彼の立ち居振る舞いには常に、「この人物は、こういう人なんです」と言わんばかりの静謐なる主張に満ち溢れている。
今回井浦が演じたのは、広永亮太という架空の人物だが、取りも直さず横尾初喜監督がダイレクトに投影されたキャラクターだ。
いつしか観客は、「ああ、横尾監督って、こういう人なんだ」と錯覚してしまうだろう。
井浦新が銀幕に映ると、そこにあるものは正解だけなのだ。
そんな井浦と真正面からぶつかる役者が、『こはく』では二人いる。
一人は、亮太の兄・章一役の、大橋彰。
もう一人は、亮太の妻・友里恵役の、遠藤久美子。
大橋彰という名前を聞いてピンと来る御仁は、相当な映画通であろう。
または、相当なお笑い通であろう。
実は、大橋彰とは、お笑い芸人・アキラ100%のことなのだ。
元々は役者志望で、横尾監督の前作『ゆらり』にも出演した大橋だが、これほど大きな役での演技経験は無い。
そんな大橋が、素晴らしい演技を見せる。
特に、クライマックスは圧巻だ。
この熱演は、大橋の実力なのか、監督の演出のなせる業なのか、次回作が実に楽しみだ。
そして、遠藤久美子の存在感である。
『こはく』という映画は、井浦演じる亮太が、居場所である2組の家族の中で、自分の立ち位置を取り戻す物語である。
2組の家族のうち、実家の方は兄、母、そして別れた父とキーになる人物が何人も存在するが、新たに築いた家族には、妻と、まだ見ぬ子しかいないのだ。
実質、妻である友里恵一人の存在感が問われる訳で、これは女優・遠藤久美子にとっては大きな挑戦である。
実は遠藤久美子、横尾初喜監督の妻なのだ。
だからこそ、亮太、友里恵は、リアルを超越した血の通った夫婦として銀幕を彩る。
二人の会話は、実際に監督と遠藤が交わした言葉も生かされているという。
広永友里恵は、遠藤久美子にしかできない役なのだ。
そして、そして、脇を固める役者陣も、メインキャストに負けない輝きを放つ。
木内みどり、石倉三郎といったベテラン達が名演を見せれば、塩田みう、寿大聡といったフレッシャーも躍動する。
出番は少ないものの、嶋田久作は一瞬で観る者の心を奪っていく。
前述したように、井浦の卓越した演技は、観客に「模範解答」を示してくれる。
共演者たちが加わり、説得力は更に強固となる。
だが、映画『こはく』は、それだけで終わらない。
演者たちが築き、観者たちが信じた盤石のセオリーが、鮮やかに崩れる瞬間が訪れるのだ。
奇跡の映画体験は、最新技術の導入や、画期的なアクションだけが齎すものではない。
銀幕の向こう側と手前側、人々の心の動きが共鳴すれば、かつてない感情を味わうことができるのだ。
これを「映画の奇跡」と呼ばずして、何を呼んだら良いのか。
男は弱いものだから、家長だの、父性だの、大きな看板に縋りたくなる。
男は、つらい。
だが、それは女性だって同じこと。
母も、女も、つらい。
親がつらいのだから、子もつらい。
兄も、弟も、つらい。
人類は本来、家族を営むに向いていない種族なのかもしれない。
自然界を見渡すと、家族を形成し、社会を営む生物は少なくない。
人類も含め、ひょっとするとそれは自然の摂理に逆らう行為なのかもしれない。
だが、生存本能を凌駕する突飛な行動が、種を存続させることもあるのだ。
生物としての本能に抗う行為を、私たちは人間性(ヒューマニズム)と呼ぶ。
私たち人類を、生き永らえさせてきたもの……それは、生存本能を、自己愛を、家族愛をも凌駕する、人間愛、優しさではなかったか。
「お父さんは、優しかったとよ」
劇中の台詞が、まるで救済の福音めいた響きで胸に迫った。
そんな風に感じさせるものの正体、それこそが人類を生き永らえさせてきた、「生命の神秘」そのものなのかもしれない――。
映画『こはく』
6月21日(金) 長崎先行ロードショー
7月6日(土) ユーロスペース、シネマート新宿
7月13日(土) シネマスコーレ
ほか、全国順次ロードショー
配給:SDP
©2018「こはく」製作委員会
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