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国内だけでなくカンヌ国際映画祭など世界の映画ファンに愛され続ける、名匠・黒沢清監督。

その最新作は、ホラーやサスペンスなど従来の黒沢作品のテイストとはガラリと趣きを異にした、成長と再生を描いたロードムービーである。


ただし作風は違えども、黒沢清監督作品に共通する、不安感というか、不穏味というか……全編に付き纏う、落ち着かない違和感めいた空気は健在(?)である。

それは、雰囲気が違ったとしても、どの作品の深奥にも同じテーマが潜んでいるからに他ならない。


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『旅のおわり世界のはじまり』ストーリー

ゴムの胴長を履き、腰まで湖水に浸かった葉子(前田敦子)は、カメラが回るとふて腐れていた態度を嘘のように改めた。

「みなさん、こんにちは!」

バラエティ番組のリポーターで訪れた葉子の声は、ウズベキスタン共和国の大湖に明るく響き渡るが、肝心の“幻の怪魚”は網に掛からない。

放送に使えそうなレポートが一向に撮れない中、ディレクターの吉岡(染谷将太)は苛々を募らせる。撮影の岩尾(加瀬亮)は淡々とカメラを回し、コーディネーターのテムル(アディズ・ラジャボフ)は丁寧な通訳で地元の人々との意思の疎通を図る。そんな人々の間で、ADの佐々木(柄本時生)はせっせと気を配る。

撮影が思い通りに進まない為、予定外のレポートが思い付いては実行に移される。葉子は気丈に頑張りを見せるが、現地の人たちの協力も得られず、“撮れ高”は依然芳しくない。英語すら満足に話すことが出来ない葉子は、一人でバザールを訪ねてみても迷子になる始末。収録後は取材クルーと交流しない葉子は、もっぱらホテルの部屋で恋人とスマホでやりとりをして過ごす。

断片的なレポートを撮りつつ、撮影隊はウズベキスタンの首都タシケントに入った。一人で街を歩く葉子は、噴水のある大きな庭園の中に壮麗な建物を見つけた。建物に足を踏み入れた葉子は、幾つもの扉をくぐり抜け、豪華な劇場の舞台に立った。白昼夢のような出来事、葉子の口をついて出たのは『愛の讃歌』だった——。


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黒沢清監督作品のテーマは、アイデンティティの崩壊に対する絶対的な恐怖である。


『CURE』(1997年)『クリーピー 偽りの隣人』(2016年)は言わずもがなだが、分かりやすい例としては『リアル〜完全なる首長竜の日〜』(2013年)に登場したフィロソフィカル・ゾンビ(哲学的ゾンビ)の存在であろう。

そして、更にダイレクトに恐怖の対象へと迫ったのが、『散歩する侵入者』(2017年)ではなかったか。


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今作『旅のおわり世界のはじまり』では、極端なキャラクター造形が施された人物ばかりが登場する。


楽に成果を上げることばかりに囚われている、映像ディレクター。

経験豊富で勤勉だが、熱意が感じられない、カメラマン。

きめ細やかな気遣いが出来るが、頼り甲斐がない、アシスタント・ディレクター。

これらの人物像は、ある意味ステレオタイプな日本人である。


そして、ヒロインの葉子はというと、何ごとにも受け身で、自分というものが感じられない。

恋人もいて、夢もあるのだが、情熱とは縁遠い性分で、若いのに人生を諦観している感すらある。

周囲から差しのべられた温かい厚意も煩わしく感じてしまうような、内向的で身勝手な性格だ。

撮影クルーに輪をかけた、世界から見た日本人の類型的な人物像と言える。


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かつてのシルクロードの中心地、ウズベキスタンの壮大な自然も、不器用ながらも朴訥で優しい人々も、身勝手に孤独感を深める主人公たちには響かない。

特にヒロイン葉子は、遠く離れた異国の地でアイデンティティを消失しかけている。


そんな主人公の心情に対極として設定されているのが、他ならぬ葉子の「夢」なのだ。

もっと具体的に言うと、ヒロイン葉子が歌う『愛の讃歌』なのだ。

前田敦子の熱唱に心を奪われてしまう観客が多いだろうが、改めて歌詞の内容の凄まじさにも目を向けていただきたい。

だからこそ、黒沢監督は敢えて日本語バージョンの『愛の讃歌』に拘ったのであろう。


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主人公・葉子を演じる前田敦子は、『Seventh Code』(2014年)『散歩する侵略者』と、黒沢組への出演は3作目となる。

黒沢清監督は前田敦子を、「フレームに写っただけで独特の強さと孤独感が漂う」と評している。

そんな「強度」を持つ存在だからこそ、アイデンティティが崩壊することへの恐怖が際立つ。

黒沢監督自らが書いた『旅のおわり世界のはじまり』のシナリオには、孤高のヒロイン・前田敦子が不可欠なのだ。


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ディレクター・吉岡役の染谷将太は、『リアル〜完全なる首長竜の日〜』以来の黒沢映画出演であり、『散歩する侵略者』のスピンオフドラマとしてWOWOWで放送された「予兆 散歩する侵略者」(2017年)にも出演している。

前田とは『さよなら歌舞伎町』(監督:廣木隆一/2015年)で共演しており、今作ではリアルな人間関係を表現している。


カメラマン・岩尾役の加瀬亮は、ドラマでは「学校の怪談春の物の怪SP花子さん」(2001年/KTV)、「贖罪」(2012/WOWOW)、映画では『アカルイミライ』(2003)、『叫』(2007年)と、黒沢組にはなくてはならない役者である。

クールな職人然としつつも、ヒロインの背中を押すという難役だが、こともなげに演じ切っている。


柄本時生は、黒沢清監督の作品は初参加となる。

前田と柄本は「ブス会」なる親交があるそうだが、要所要所の細かい台詞回しは、葉子とAD佐々木の関係性が垣間見えるようで、空気感の再現が見事だった。


また、通訳兼コーディネーター・テムル役のアディズ・ラジャボフ(Adiz Rajabov)に注目していただきたい。

異国の地で疎外感を募らせる主人公たちの中にいて、テルムはまるで「良心の化身」めいた存在として描かれる。

時に通訳らしからぬ感情を込めた日本語を表現するラジャボフは、あろうことか誰よりの長い(日本語の!)長台詞が用意されている。

今作にキャスティングされるまで日本語は未修得だったことを後から聞いて、心底驚いた。

さすがは、ウズベキスタンの国民的俳優だ。


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自分が自分でなくなる時、人は圧倒的な絶望感に苛まれる。

後に襲いくるのは、恐怖に他ならない。

だが、何よりも恐ろしいのは、自分がずっとアイデンティティを喪失していたにも拘らず、それを自覚できずにいる状況だ。

時に人は、非日常的な孤独の中でこそ、それを見付ける。


『旅のおわり世界のはじまり』とは、そんな物語である。


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成長とは、気付くことだ。

気付いた後どんな一歩を刻むべきか、考えるに相応しい場所、それこそが映画館だ。

映画館は、独りになっても良い場所なのだから。


眩い銀幕の灯りが消え、客席が仄明るくなった時、人はいつも作品を観る前とは違った自分になる。

映画とは、そういうものだ——。


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映画『旅のおわり世界のはじまり』

6月14日(金)ヒューマントラストシネマ有楽町、ミッドランドスクエアシネマ ほか 全国ロードショー


配給:東京テアトル


2019年/日本・ウズベキスタン・カタール/120分/5.1ch/シネスコ/カラー/デジタル


©2019「旅のおわり世界のはじまり」製作委員会/UZBEKKINO


『旅のおわり世界のはじまり』公式サイト

https://tabisekamovie.com/


『旅のおわり世界のはじまり』公開記念イベント

Nagoya meets Tashkent

映画の公開を記念し、ウズベキスタンの文化、観光、グルメを紹介

主催:名古屋市/名古屋ウズベキスタン友好協会/東京テアトル

6/16(日) 名古屋市公館(名古屋市中区三の丸)

名古屋市公式ウェブサイト


JICA中部連携 映画『旅のおわり世界のはじまり』パネル展

6月21日(金)~6月30日(日)※月曜休館
JICA中部 なごや地球ひろば(名古屋市中村区平池町)
隣接「カフェ クロスロード」では、期間限定ウズベキスタンメニュー(ランチ)も