映画『嵐電』――京都で、新宿で、名古屋で、その不思議で蠱惑的な魅力にハマる観客が続出している。
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【わらをも打って 笑いころげて 鈴木卓爾監督×井浦新『嵐電』レビュー】
京都造形芸術大学の映画運動「北白川派」による第6弾プロジェクトである『嵐電』は、名演小劇場(名古屋市東区東桜)でも公開2日目に舞台挨拶が開催され、スクリーン1は満席となった。
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【『嵐電』鈴木卓爾監督 石田健太 福本純里 藤井愛稀 舞台挨拶レポート】
今回、舞台挨拶の登壇メンバーの皆様にインタビューする機会を得ることが出来た。
俳優でも監督でも、そして京都造形芸術大学の准教授でもある、鈴木卓爾監督。
今年3月に同校を卒業した、地元・名古屋出身の女優、福本純里(川口明輝尾 役)。
同じく卒業したばかりの、愛知県にも縁のある京女、藤井愛稀(菊乃真紗代 役)。
京都造形芸術大学の3回生で、演出と俳優を勉強中の、石田健太(有村子午線 役)。
インタビューは、まるで「鈴木卓爾ゼミ」の体験入講のようで、不思議な映画『嵐電』に相応しく、不思議な切り口で魅力に迫ることが出来た。
Q. 『ジョギング渡り鳥』(2015年)もそうでしたが、監督の作品の登場人物は、凄く個性的な名前が多いです。『嵐電』では星に因んだ名前が多いようですが?
鈴木卓爾監督 自分はそもそも西日本に縁がなかったんですけど、中学時代に修学旅行で訪れたくらいで京都とは縁が全然なかったんですね。どういう訳かおかげ様で京都で映画を撮るということになった時に、やはり怖かったので……願掛けをしようと思いまして。京都の町というのは、空、宇宙をそのまま地面に写し直してるような、風水的にデザインされてる町だと感じたんで、今回の登場人物も星に因んだ名前にしたかったんです。今回の企画は、一応「恋愛映画を撮ってくれ」という依頼で考え始めていて、うちの大学(京都造形芸術大学)の「北白川派」って映画運動と繋げたんです。恋愛映画も色々ありますけど、「京都の恋愛映画」となった時に、文学的な映画ではない何かが出来ないかと思って。京都を舞台にした文学作品は多いような気がしますが、映画らしい恋愛映画にしたいと考えたんです。それで、人の時間と、人を上回るもっと大きな何かの時間、その間を、ちょっと人よりも長い尺度で走っている電車というものが繋げるような。そういうストーリーにするということでは無いのですが、映画の風味として……ちょっと星巡りを感じさせるような気持ちで、星に因んだ名前が良いかと思ったんですね。営みの軌道、サイクルというのは、人それぞれで違っていて、人と人が交わったり、出会ったりするのは、本当に一瞬のことなのかも……昨日(5月25日)テアトル新宿の舞台挨拶をした時に、ようやく3つの恋愛が、3組のカップルの6人が初めて一同に介したんです。撮影中に一緒に会うタイミングは、一度も無かったんですよ。群像劇の部分があるので、全員が集まるシーンは元々無いから全然構わないんですけど、この6人が舞台挨拶で出会った時に、「映画はまだ完成してなかったんだ」、「これで本当に邂逅が起きたんだ」、「そこに今お客さんが立ち会ってるんだ」……そんなことを思って、やはり映画を完成させるのは、映画を観せる時だと実感しました。人の衛星軌道というのは本当に人それぞれなので、会ってる時間は束の間です。「私たちには時間があるようで無い」という台詞じゃないですが(笑)。
Q. 特に「川口 明輝尾(めてお)」は凄く珍しい名前だと思うんですが、変わった役名というのは演技する上で如何でしたか?
福本純里 撮影の鈴木一博(廣木隆一監督『ヴァイブレータ』、安藤尋監督『海を感じる時』)さんと……私たちは「イッパクさん」って呼んでるんですけど、話してる時に「明輝尾の由来、聞いた?」って言われて。「まだ聞いてないです」って言ったら、「じゃあ、聞いておいでよ」って(笑)。そのまま卓爾さんのところへ行って「メテオの由来は?」って聞いたら、「隕石。meteorite」って。
鈴木監督 『メテオ』(ロナルド・ニーム監督)って映画も昔ありましたよね、パニック映画で。
福本 「meteorite(ミティオライト)っていう音が、凄く好きで」っていうお話でしたよね。
鈴木監督 ジョアンナ・ニューサムってグランドハープと弾き語りのミュージシャンがいて、『Ys』というアルバムに友達の女の子を歌った『Emily』という長い曲があるんですけど、サビに「meteorite」が出てきていて凄く掻きたてられるものがあって。『嵐電』の界隈で出会ったり別れたりする3組のカップルとはまた別の所から……映画の中盤以降に、突如として予想外の上空から飛来する何かによって、物語を丸きし変えていくようなことが出来ないかな……実は、そんな壮大な野望が(笑)。それが、この川口助監督によって齎される、みたいな……そんな妄想です(笑)。
福本 そんな話を聞いてから、色々「メテオ」「meteorite」という語源を調べたりして何となくイメージみたいなものは作って……何となく、ですけど。隕石なので、どこかに交わるというよりかは、一方的に「ストーンッ!」って来るような(笑)。
鈴木監督 もう、申し合わせない、約束しない「ストーン!」みたいなのが、全く違う効果というかインパクトを齎すけど、別の何か新しい物を持ってくる……そんなイメージで。地震とか隕石とかって、災害だけじゃなくて、次の大地を作ったりするんではないかな、と。それも含めて、運命を巡ってるようなイメージです。
Q. 川口助監督がとんでもないことを言わなかったら、ただランチを届けに来た嘉子(大西礼芳)さんが方言指導することもなかったんですもんね。
福本 (笑)
鈴木監督 あ、そうですよね。実は全部切っ掛けを作ってたりするんですね……それは、今気が付きました(笑)。そんな気安さっていうのは、東京だともうちょっとプロセスが大変なんじゃないかなって気がしちゃうんです。東京という街は複雑なんですけど、京都だと「良いよ」って感じがして。空きスタ(空いているスタジオ)で読み合わせをするんですけど、撮影がちょうど行われてなくて、時代劇の屋台骨がそのまま残ってて、片付けは終わってるけど新しいものを飾りこんでいない状態で、地面が土なんですよね。だから、気安く頼めちゃうんだろうなっていう……東京では成立しづらい部分かもしれないですね。
Q. 劇中劇というものは、私たち観る者としては、凄く役作りも難しいだろうと思います。しかも今作では、ラブストーリーの中に「ゾンビ花嫁」です。どんな軸足で役作りされたんですか?
藤井愛稀 クランクインする前に何度か卓爾さんと読み合わせや、自分に与えられた役じゃない役もやったりっていうテストがあったんです。「劇中劇っぽさを出さないで演ってほしい」という話をされたり。初めは元々、ゾンビじゃなかったんですよね。
鈴木監督 何だったっけ?
藤井 結構普通の恋愛映画だったんですよ。
鈴木監督 そうだ。「婚姻届と離婚届がワンカットで入れ替わる」シーンを撮影所でやってる場面だったんですけど、全然シナリオが上手く書けなくて……詰まんなかったんですよ。ここはそもそも京都の東映撮影所だし、本当は時代劇が良い、と。チャンバラやったり、姫が「キャー!」っていうのが絶対正統だよなと思ったんですけど、予算も無いので。ゾンビというのは何処から来たかというと、うちの学校でメイクの授業があるんですよ。今回のスタイリストとメイクをやってくれた、こやまあやこさんが先生やってらっしゃるんですけど、最後には皆でゾンビ大会をやるんです。ゾンビのメイクをお互いして、皆で「うぉーっ!」という動画を撮って終わるんです。その経験が学生たちにもこやまさんにもあったので、普通いきなりゾンビっていうと皆「えっ!?」ってなるけれど、「やってるから大丈夫、すぐ出来るよね」って。実際、そこは(メイクの)授業から映画撮影に導入できたんです。
Q. 京都造形芸術大学の皆さんは、ゾンビに親和性がある、と?
藤井 (笑)
鈴木監督 ありますね(一同笑)。
藤井 それが、理由だったんですね。私が『嵐電』に出演させていただくことが決まる1つ前の卒業制作で、『アンシャン=レジスタンス』(金山豊大監督)っていうゾンビ映画があったんですけど……
鈴木監督 あった。トヨ(金山豊大監督)も名古屋出身だっけ?金山くんは入学してからゼミでも毎回ゾンビ映画を撮っていて、卒業制作までゾンビ映画を撮りきった子なんです。
藤井 その作品でゾンビに好かれてる女の子の役で出てて、卓爾さんが担当教員をされていたので、そこからなのかな、と。
鈴木監督 藤井愛稀さんは、何故か割りとB級ホラー的な映画と凄く親和性があるんですよね。『嵐電』を撮る前にも、主演で出てましたよね?
藤井 はい。もうDVDも発売されてるトロント国際映画祭に正式招待された『血を吸う粘土』(梅沢壮一監督)の続編、『血を吸う粘土〜派生』で主演をすることに。
鈴木監督 それは、これから公開されるんですか?
藤井 今年中には公開されると思います。
鈴木監督 授業でも、藤井さんにはピカチュウの役をやってもらったりとか……
藤井 何か、「どんな会話の流れでも、カラスが鳴いたら「ピカチュウ!」って言ってください」だとか(笑)。やってみると面白いし、会話の中で不思議なリズムが生まれる……卓爾さんの面白さが、凄く好きだったんですよね。
鈴木監督 そんなことで、藤井さんは僕にとって少しだけ人間からずれてる感じで見えてきてたのが、今回「ゾンビ花嫁」をやった理由かもしれないです。最初オーディションをワークショップの形でやってて、書きあがりつつあった場面を交替ばんこで何度も色んな学生の子たちに演じてもらってる中で、「子午線」の役は女の子にもやってもらったんです。女の子が女の子に「運命って信じるか?」とか、そういう風になるかもしれないと思っていた時に、その時の藤井さんも福本さんも良かったのは認識してまして。子午線という男の子の役を演ってもらった時に面白かったというのが、大きかったですね。そんな感じで、藤井さんにお願いしました。
藤井 唐突にゾンビになったのは、そんなことが関与していたとは……ちょっと驚きです。
鈴木監督 『カメラを止めるな!』(上田慎一郎監督)は全然知らなかった頃に撮影をしているんですけど、凄く似ているかもしれないという……。
藤井 (劇中劇の)タイトルは、『結婚オブ・ザ・デッド』でした(笑)。
Q. お話をお聞きしていると、(京都造形芸術大学の)学生さんの日常もシナリオの中に投影されてるように思えます。3組のラブストーリーの中で、石田健太さん演じた「子午線」と「南天」は年齢は近いですが、普通ではない恋でした。演じるに当たって、如何でしたか?
鈴木監督 そもそも、恋したことがまだ無いという……
石田健太 恋したことは、まだ無かったです(一同笑)。南天(窪瀬環)が急にカメラで撮ってきたりするじゃないですか、もう「何が起きてるんだろう?」って時々思ったりしました。「これは一体なんだろう」って(笑)。自分の理解を超越したことが映画で起きてるなと思って、だから楽しいと感じたんです。
鈴木監督 何が理解できなかったの?
石田 急に話し掛けてきたり、何回も追い掛けられるみたいなことは、現実の恋愛でもあることだと思うんですけど、三角関係が電車と南天でっていう……物凄いことに関わってるな、と(笑)。
福本 あれ?
鈴木監督 そうだね、1人忘れてるよね。
石田 あ、そうか……四角(関係)だ。
鈴木監督 本当は、五角なんですよ。あっち(修学旅行チーム)はあっちで三角関係で、(子午線と「嵐電」が)そこの蜜月に入ったことによって、五角関係に。嵐電は子午線にとっては宗教に近いから、多神教の……何言ってるんだろ(笑)?
藤井 山の神(笑)?
福本 南天が(子午線を)宗教から救ってくれた、と(笑)?
石田 今思い出したんですけど、大学に入る時に「映画を恋人にする」って言ってました。友達に、「俺は、チャラチャラした生活は送らない」って。
鈴木監督 「女なんか目も呉れず、映画だけを愛する」って?
石田 高校3年生の時に周りが付き合ってるのを見て、「俺は映画が恋人だ!」みたいなことを言ってました(笑)。
藤井 僧侶みたいな(笑)。
Q. まさに子午線の役ですね。
石田 ……ヤバいこと言ってましたね(笑)。
鈴木監督 今は違うの?
石田 今は、違いますね(一同笑)。
Q. 映画よりも大切なものが見つかったんですか(笑)?
鈴木監督 『嵐電』の映画の後みたいな感じですか?
石田 「映画を恋人」って、考え方がヤバいじゃないですか。
鈴木監督 女の子と付き合うのに使うお金や時間を、シナリオを考えたり演技のことに使うんでしょ?別にヤバくはないよ。それを人に言うのは、ヤバいかもしれないけど(一同笑)。
福本 まさに子午線だ。
鈴木監督 まさに子午線じゃないですか。子午線は打ち砕かれる訳だけど、そういう風になったの?
石田 やはり、俳優する上で恋人役とかが良く分からないんですよ。
福本 ……(監督と石田さん)仲良いですね(笑)。
鈴木監督 仲良くないですよ。気付くと絡まってるんで、「やめて」って(一同笑)。
石田 映画だけじゃなくて、恋愛に限らずですけど、色々な経験をしていきたいと今思っています。
Q. 子午線と南天は、『嵐電』の後どうなるんでしょうね?
石田 環さんは、「これは続かない。その後すぐ別れる」と。僕はそれを友達経由で聞いて、「えぇ、そんなことないよ!」って言ったんですけど(一同笑)。
藤井 ……「そんなことないよ!」って(笑)?
石田 僕は、ずっと結婚していくと思ってたんですね。
福本 京都タワーで走り出す2人(子午線と南天)のシーンがあるじゃないですか。私は、2人はずっと一緒にいないかもしれないけど、あそこで走り出すっていうところが脚本の時から凄く好きなんですけど、最初は、河原町だったんでしたっけ?
鈴木監督 四条大宮。四条大宮に電車が到着して降りて、キョロキョロと辺りを見回して走り出す、という。
福本 「人込みに紛れていく」みたいなことが(脚本に)書いてあって、凄い好きで残ってるんです。学生組の常道じゃないですけど、「一瞬のスパーク」みたいな感じで。その先続くかは分からないけれど、2人が手を取り合って走り出す……(3組のカップル中)一番下の世代の、若々しい勢いを表してるなって。
鈴木監督 『シド・アンド・ナンシー』(アレックス・コックス監督)……つまり、十代の子にはもっとパンクでいてほしいなというのがあって。世の中を見ていると保守化しているものですから、今皆凄く利口なんですよ。文字も凄く丁寧に書けるし、僕らが小さかった頃よりもずっと社会性があったりする。進路や就職をどうするか、僕たちは学校で指導しなきゃいけないんですけど、本当はパンクでいてほしいというか……後先のことなんか考えずに、「今、愛してるか、愛してないか」「愛してなかったら、私は今あなたのバイクから飛び降りるわ」っていう、あの『汚れた血』(レオス・カラックス監督)のジュリー・デルピーの台詞じゃないですけれど。バイクに乗ってて「鏡越しに目が今合わなかったら、私は飛び降りる」というヤバい女の子なんだけど(笑)、そのくらいハチャメチャなんだけど破壊力のある恋って、何かを生み出すような気がしませんか?僕も十代の頃にそんな恋愛したかっていうと、してないんですけど(笑)。そんな想いを子午線と南天には託したかったんですよね。京都タワーの色が、いつもと違う色だったんですよ、あの撮影時に。京都タワーが嵐電の色になってて、「何だ、これ?」って。
石田 元々、「お金を払って(京都タワーの)色を変えてもらおうか?」って話をしてたじゃないですか。でも、「高いから出来ないよね」って話になって。そうしたら、たまたま京紫色で。
福本 元々「色を変えたい」って話をしてたの?
石田 出てました。
鈴木監督 そうだっけ(一同笑)?彼(石田さん)は、子午線役と同時に助監督もやっていて、演出部の計画って色々あるんですけど……そうだったんだ。
石田 ちょうど、あの色にしたいって言ってたんですよ。
福本&藤井 えーっ!?
鈴木監督 じゃあ、狙い通りだったんですね。
石田 願いが叶ったんです。恋愛のことで思い出したんですけど、高校の時とか普通でいようとしてたんですよ。決まった動きというか……ヒエラルキー、カーストがあったら、上の方の人の動作とか制服の着こなしを真似てたり。下の方の人の格好をしていたら、それだけで下に見られたりしたんです。子午線とか、そんなことは遥か超越してぶつかり合ってるなと思って……「変人で良いんだな」とは思いましたね。
Q. パンクでも良いんだ、と?
石田 そうです。中、高と結構繊細で、「変だったかな?」とか気にしてるところがあったんですよ。
鈴木監督 自分で自分のことを、繊細って言うか……(笑)?
福本 客観視だね(笑)?
石田 客観視です(笑)。母が「人間は変だよ。皆おかしな部分があるよ」って言ってくれて、高校の時それに救われてる部分があったんです。『嵐電』の時も、(井浦)新さんとかを見てて、そう感じるところがあって。
鈴木監督 石田健太さんという人は、欲望として「型に嵌まった所に収まりたくない」っていうのがあるのかな。今回の井浦新さんみたいなお芝居は、どう思う?
石田 井浦新さんの演技は凄く尊敬していて、現場で更に深まっていきました。助監督でもあったので見ることが多かったんですけど、演技(というもの)が全く分からなかったんですよ、今3回生ですけど(『嵐電』の撮影は)1回生の時だったので。新さんを見て、(演技とは)どういうものなのか、基礎知識にしてたんですよね。自分の根本みたいなものを作ってくれたのが、新さんですね。何が普通か、何をして良いのか、ダメなのかが分からなくて……それを果敢にチャレンジしても良かったかもしれないんですけど、当時そういう勇気は出なくて。ある程度知識が付いて、「一回チャレンジしてみよう」「変なこともやってみよう」と思えるようになったんですけど。新さんが、演技の楽しみ方を教えてくださいました。撮影中、「映画の本番は夢の世界なんだから、現実の関係性や自分では無くなって、何をしても良い自由な世界なんだよ。だから、楽しんで!」って言ってくださったんです。それを聞いてから、何ごとも楽しみたいなと思うように……何ごとも楽しみ方がきっとあるから、それを見つけて楽しまないと、その時間や出来事が勿体ないなと思うようになって。そのことを昨日(舞台挨拶で)新さんにお伝えしたら、「あ、言ったね」ってみたいなことを言ってくださって。新さん、本当に優しくて、気遣いとか何でこんなに出来るんだって驚かされるんですけど、それを新さんに伝えると、「そんなことないから!」「やめて、やめて!」みたいなことを仰られて。「『嵐電』の台詞でもあったけど、僕は、隣にいる人が明日いるかも分からないから、この時間を楽しんでるだけなんだよ」って、仰ってくださいました。新さんは手が届かないくらい遠いんですけど、人間性の部分でも、演技の部分でも、自分が目指したいと思う憧れです。
Q. 役者さんの熱が伝わってくるような作品でした。時間軸の無さであったり、場面場面で凄く演劇的だったとも思いました。
鈴木監督 辻演劇みたいなものって、凄いと思っていて。映画ってどうしても映像になってしまうとそこには居ないんですけど、辻演劇って何処か劇場ではない場所を借りて、お客さんと何かを共有して世界を作るじゃないですか。映画はその世界を完全に再現した上で撮ると思われてるんですけど、何か辻演劇的な、なり切ってないかもしれない世界というか……映像を編集してあがた森魚さんに観せた時に「仮象(かしょう)の世界が良いね」って仰ってて。あがた森魚さんの言葉ですから、稲垣足穂さんの仰ってたような、仮象の価値観、イミテーションみたいなものが齎す、新しい血……映画の未来的なものとして、そんなものが花開くと良いなという気がしてまして。「映画は嘘だ」ということを皆あまりにも隠そうとし過ぎてるんじゃないかと思うんです。嘘だということをもっと肯定できたりした方が、よりフィクションとしては強まっていく何かが今後あるのかなと思っていて。学生の皆が生き生きしてるというのを撮りたかったから、この映画を作っているところがありました。皆が皆マネージャーさんが必ずいるプロの俳優で、スケジュールの事情で集まってきて……そんなものではない何かが映画の中に写っていなければ、やる意味がないということになってしまうので。学校から生まれてくる劇場用映画というものは、何か新しい流れみたいなことを提案することが出来るんだとしたら、それは決してプロの映画を縮小再生産するものではないはずです。学校での日々のやり取りの中でしか生まれてこない厚み、授業中だけじゃない時間の中で自然と身につけた生き生きしたもの……『嵐電』を作る時に、それは意識しました。でも、映画なんて非日常なので、学校の日常とは水と油なんですけどね。学問みたいに思ってても、本当は現実逃避なんですよ、映画って。フィクションというのは、踏み外すことが凄く大事なことだって思うんですけどね。現場では(学生が)緊張してても、「その緊張を解くことは出来ないから、緊張してて」ぐらいな感じで。あと、出来るだけ僕は彼(石田さん)以外には怒ってないんですよ(一同笑)。こんな現場はもう無いのだから、僕はどっちかっていうとゲラゲラ笑っていたいと思っていましたし。何かのシミュレーションではなく、皆が今後どこへ出ていっても無い映画作りをやってるつもりなので、この一回こっきりでちゃんと持って帰ってね、というのが私の作る映画です。
鈴木卓爾監督が発した「ちゃんと持って帰って」という言葉は、受講している学生さんや、『嵐電』のスタッフ、キャストに対しての台詞であろうか?
さにあらず……この言葉は、映画を形成する最後のファクター、私たち観客にも向けられているのだろう。
インタビューを読んでもらえて、もう一度『嵐電』を観て「ちゃんと持って帰」りたくなったなら、幸いだ。
そしてこれから『嵐電』を観る方も、作品に纏い付けられた空気が感じていただけたなら、幸いだ。
嵐電は今日も京都の辻々に息づき、映画『嵐電』は今日も劇場のスクリーンに息づいている――。
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