バーには、ミステリーがよく似合う。
なにせ、映画の世界を紐解いてみれば、バーに常駐する探偵がいるくらいである。
ハードボイルドの生みの親、レイモンド・チャンドラーも、
The first quiet drink of the evening in a quiet bar – that’s wonderful.
(静かなバーで過ごす宵の最初の静かな一杯 ― こんなすばらしい一杯はない。)
という金言を残している。
ちなみに、
If I wasn’t hard, I wouldn’t be alive. If I couldn’t ever be gentle, I wouldn’t deserve to be alive.
(強くなければ生きて行けない。優しくなれなければ生きている資格がない。)
は、チャンドラーの名言だ。
チャンドラーが創造した探偵フィリップ・マーロウは、バーカウンターでハードリカーを飲(や)るのを常としていた。
そんな粋な台詞の宝庫たるチャンドラー作品であるが、マーロウ物の(恐らくは、一番有名な)カクテルの名前を引き合いに出した台詞には、些か注意が必要だ。
何故ここに書かないのか……実はこのセンテンス、ネタバレだからだ。
ネタバレというか、作品の核心を成す、実に、実に重要な台詞なのだ。
即ち、探偵小説なので、謎解きの最終段階に当たる。
ピンと来ない人は、実に幸運な御仁だ。
将来的に、フィリップ・マーロウ物でも名作の域にある小説(翻訳には、かの村上春樹版もある)に出会い、(最後の最後まで読んでいただいた上で)「これか!」と膝を打ってもらえれば、筆者としてはこれ以上の喜びはない。
閑話休題……
バーにミステリーが似合うのは、バー自体がミステリアスな存在だからかもしれない。
大人たる者、バーカウンターで静かな夜を過ごしたいもの。
だが、バーには行き慣れず、二の足を踏む酒呑みは多い。
バーは、ちょっと敷居が高いのだ。
そんなバーのミステリーを紐解くのに、最適な作品が公開される。
ドキュメンタリー映画『YUKIGUNI』である。
『よみがえりのレシピ』(2011年)『おだやかな革命』(2017年)と作家性の高いドキュメンタリー作品を世に出す、渡辺智史監督の最新作だ。
60年前のカクテルコンペで優勝した創作カクテル「雪国」は、今も世界中のバーで愛されるレシピとなっている。
そんな雪国の生みの親であるバーテンダー・井山計一を追ったのが、『YUKIGUNI』だ。
井山は、齢92歳。
未だに夜は山形県酒田市にある「ケルン」のバーカウンターに立ち続ける、日本最高齢のバーテンダーである。
映画では、名作レシピ「雪国」の誕生秘話のみならず、井山バーテンダーの日常を、そしてケルンの様子を軽妙に映し出す。
バーに集まる人達によって、また、全国の名バーテンダー達によって、バー文化が、カクテル文化が、語られる。
まるで静かなバーでゆっくりと酔いが進むように、世界の秘密が徐々に解き明かされる。
上述した閑話で引き合いに出した(というか、出そうとして具体名を出さなかった)カクテルの名手も、作品に登場する。
このカクテルは普通シェイカーを用いるが、そのバーでは敢えてステアで作るのだそうだ。
また、ケルンの、井山家の過去と現在を、カメラは丁寧に追う。
井山計一の数奇な半生、夫妻でフロアに立ち続けたケルンの歴史、息子・むすめとの奇妙な親子関係。
そして、撮影中に井山夫妻を襲った、大事件。
バーの過去と現在を追うことは、バーテンダーの未来をも見せる。
評論家の言う「BARは人なり」が、まさにスクリーンで繰り広げられる。
名古屋では、名演小劇場(名古屋市東区東桜)で3月16日(土)から公開されるドキュメンタリー映画『YUKIGUNI』。
初日には渡辺智史監督が登壇、舞台挨拶される予定なので、是非とも足を運んでほしい。
最後に、もう一つだけ。
日本最高齢バーテンダーで、「雪国」を生み出した井山計一。
彼は、酒が飲めないと言う。
……バーには、ミステリーがよく似合う――。
ドキュメンタリー映画『YUKIGUNI』
全国絶賛ロードショー中
3月16日(土)〜 名演小劇場
ナレーション:小林薫
製作・配給:いでは堂
監督:渡辺智史
撮影:佐藤広一
編集:渡辺智史
87分/カラー
『YUKIGUNI』公式サイト
©いでは堂
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