歪に面取りされた円柱状の陶土に、無数に穿たれる穴、穴、穴、穴、穴。
規則的に並んだようにも、無軌道に開けられたようにも見える点の一つ一つは、それは目と目、鼻と、口だと、吉川秀昭は言う。
大きな紙に、寝転んで人物画を描く、岡元俊雄。
自由な線を描き出すのは、墨汁と、そして割り箸だ。
貼り付けられた粘土の粒は素地を覆い尽くし、顔のような模様を形作る。
鎌江一美が生み出す塑像は、愛の告白だという。
『地蔵とリビドー』は、滋賀県の障害者施設「やまなみ工房」に通うアーティスト達の日常を約一年間に亘り取材したドキュメンタリー映画だ。
私たちは、彼らの作品を「アウトサイダー・アート」と分類する。
だが、何を以てしてアウトサイド、インサイドを分かつというのか。
鵜飼結一朗の、栗田淳一の、森雅樹の、そして山際正己の作品が齎すのは、唯ただ言葉に出来ない衝撃だ。
そして、言い尽くせない感動だ。
マイノリティはいつも、マジョリティの理解の外に在る。
だが、私たちは、本当にマジョリティなのか。
一人ひとりは、本来マイノリティではあるまいか。
もし完全なるマジョリティが存在するとするなら、それは究極のマイノリティなのではないだろうか。
マイノリティを知るということは、自分自身を知ることだ。
私たちがマイノリティと思う存在は、自分自身の鏡なのだ。
私たちは皆、マイノリティなのだから。
理解は、共感を生む。
そして、愛を育む。
否、愛があるからこそ、理解が生まれるのかも知れない。
ともかく、先ずは知ることだ。
名演小劇場(名古屋市東区東桜)では、 3月2日(土)から『地蔵とリビドー』が公開される。
劇場では、作家たちの作品が実際に展示される。
そして、初日には、笠谷圭見監督、やまなみ工房の山下完和施設長(「まさとさん」だ!)、美術館学芸員の服部正が、舞台挨拶に立つ。
理解も、
共感も、
愛も、
先ずは、知ることだ——。
映画『地蔵とリビドー』
フィラデルフィア・アジアン・アメリカン映画祭2018 正式招待作品
出演: 小出由紀子(アートディーラー) エドワード M. ゴメズ(ジャーナリスト) 向井秀徳(ミュージシャン/ZAZEN BOYS) ほか
監督:笠谷圭見
撮影/編集:野田亮、TRUCK FILM DESIGN
音楽:イガキアキコ
プロデュース:やまなみ工房 × PR-y
製作プロダクション:RISSI INC.
2018年/62分
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