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「私は母方が犬山だもので、こっちのイントネーションを聞くと、懐かしい想いをするんです」


開口一番そう言って観客席を和ませたのは、『津軽のカマリ』(2018年/104分/ドキュメンタリー)の監督・製作・撮影・編集をこなした、大西功一監督だ。


名演小劇場(名古屋市東区東桜)公開初日の12月22日(土)、沢山の映画ファン、そして高橋竹山に魅せられた人々が、劇場に集った。


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『津軽のカマリ』レビュー


大西監督 この劇場に来られて、嬉しく思います。1973年にまさにこの名演小劇場で、高橋竹山は4回ほど演奏会をやったそうです。45年振りに竹山の音がここに鳴り響いたんだと、今しみじみ思っております。73年というと、63歳くらいの頃になるかと思います。


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大西監督 竹山というのはお亡くなりになっているものですから、どうやって映画を作ろうかと最初なかなか怖かったところもありました。よもや、墓場を掘って、出て来ていただいて、そのまま演奏してくれるのなら良いんですけど、そういう訳にもいかないんで。それでも予め、テレビなんかにもご出演なさっていたので、映像、記録は色々とあるだろうと踏んでいましたし、権利の事などややこしいことはありつつも、そこは何とかクリアしていくだろうとは思っていました。しかし、ただ竹山のかつての演奏と音声なんかを絡めながらナレーションを付けて、あとはお弟子さん達のインタビューで構成して……単に記録映像を作るというのも出来るんですけど、何か映画を撮っていく中で色々な化学反応のようなもの、何か移り変わっていく部分が欲しいと思っていました。

 それで、二代目 高橋竹山というものを、もう一人の主人公として入っていただいて、初代 高橋竹山を巡る旅を始めたんです。二代目も、竹山という名前を襲名してしまったが故に複雑なこともあったと思いますし、また、竹山の名を貰ったことによって沢山の人がコンサートに来てくださるという良さもあると思います。民謡歌手の成田雲竹が「竹山は二百年に一人の三味線弾きなんだ」と言ったという、音楽家として偉大な人を超えようというのは、無理ですよね。そんなところで、二代目は本当に大変だったと思います。二代目は18歳で、竹山が63歳の時に内弟子に入ったので、弟子として入りたての時に恐らく名演に来てると思います。

 ちょうどこの映画を撮る時、二代目は60歳で、今年63歳になりました。自分(二代目)が師匠(初代)に付いて、また師匠がそこから物凄い大ブームを巻き起こしていく頃です。そんな年頃に、僕がこの映画を撮りたいと言ったので、二代目も思うところがあったのではないかと思います。この映画を撮るに当たって観た二代目のコンサートよりも、一緒に旅をした沖縄でのコンサートだとか青森のコンサートは、本当に素晴らしいものになっていました。

 もちろん、演奏のスタイルは初代とは違うものですから、なかなか認められないという方も大勢いらっしゃるのかなと思うんですけど、もし二代目が初代を超えられるとするのであれば、自分の世界というものを見詰めて、そこで何が表現できるか……そこに於いてしか無理でしょう。初代と同じ曲を同じように弾いて初代を超えられる人なんて、誰もいないと思いますから、僕はそういう意味で二代目が取った行動を評価しています。青森のコンサートで演奏した時も、青森の人が本当に沢山の激励や感動の言葉を述べられて帰っていく光景を目の当たりにしました。僕も、何かの節目に立ち会っているような感じがしたものです。


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この日、大西功一監督に単独インタビューさせていただく機会を得た。


Q. 前作が『スケッチ・オブ・ミャーク』(2011年/104分)であったり、過去作に高田渡さんが出演されたり、監督にとって音楽は特別な存在ですか?


大西監督 『津軽のカマリ』『スケッチ・オブ・ミャーク』はドキュメンタリー、高田渡さんに出ていただいたのは劇映画です。『とどかずの町で』(1995年/119分)の方はアコーディオン流しですが、『吉祥寺夢影』(1991年/90分)の方は写真屋の親仁で、ミュージシャンではなく役として出てる訳ですが。けれど、音楽というものは僕にとって凄く重要なものです。いち受け手として「音楽と映画、どっちが好きだ?」と言われたら、即座に音楽と答えてしまう自分がいるんです(笑)。中学生ぐらいから夢中になって音楽を……ロックから入って聴いていく中、歌詞を読みながら、音楽を聴きながら、思春期をずっと過ごしてきて、そのまま歌は近くに在ります。映像制作は学生時代から始めてますけど、カメラマンの助手から入って、テレビの業界に入り、以来ずっと映像を生業にしてきました。自分の職業というか武器としては映像ですけど、心、体験としては音楽から受けた恩恵は凄く大きいです。音楽から受けたことを映像で表現したいという気持ちがあるんですよね。そんな感じなので、自ずと音楽を題材にしているところはありますね。


Q. 私は監督よりも少し年下ですが、同世代ではないかと思います。私たちの思う音楽と、作品で語られていた竹山先生にとっての音楽は、随分違うと感じました。


大西監督 そうですね。僕が竹山に惹かれたのは、多分80年代くらい、まだテレビとかメディアに出てらしたんで、そこで知ったと思います。目が見えない、そして不作の年は飢えて死者が出るような時代の人ですから、それを音楽でもって食べるなんてとんでもない話ですよね。それが、音楽で生きるしかなかった訳で、そういうところに人間の、北東北の人々の生活の在り様も見えてきますし、しかもそれが長い時代あったという。また、芸能の原点みたいなところも見えてきます。原初の音楽の在り方、人の在り方みたいなものを表してるような気がして、気になっていたんだと思うんですよね。


Q. 実際に会われたことは?


大西監督 無いんですよ。コンサートも、僕が東京にいる頃にまだジァン・ジァン(渋谷:1969〜2000年)で観ることが出来たはずなんですけど、何で観なかったんだろうと思いますよね……何で観なかったんだろう(笑)。竹山の三味線には生い立ちだとか人生が入っているのは当然だと思いますが、その枠に収まらないのが凄いことだと思うんですよね。かなり洗練もされてると思いますし、カラッとしてる。もう、哀しみに溢れてて……ってことではないじゃないですか。まあ、津軽三味線が、津軽という土地がそういうところでもありますが、竹山もカラッとしていて明るい人だったそうです。音の洗練もあるんですけど、竹山の体験を越えた何かが音に表れてると思うんです。鳥の声を聴いたり、そういう世界とも音楽は通じてるでしょうし、また、雪景色もあるのかもしれないけど、春だって夏だって全部入ってると思うんですよね、竹山の音楽には。津軽のみに拘らず、人間の持っている普遍性であるとか、自然界にまで触れてるような音なんだと、僕は思えるんですよね。


Q. 二代目 高橋竹山さんは、どんな方でしたか?


大西監督 東京生まれで、下町の出身……江戸っ子なんですよね。そういう気質は、非常に出てると思います。


Q. 江戸っ子なんですね?


大西監督 江戸っ子なんですよ(笑)。三味線習ったりとか芸事をやってて、17歳くらいで(初代の)レコードを買って聴いて「この人の弟子になりたい!」って思ったらしいですよ。


Q. 監督は函館に住んでらっしゃるんですよね。青森と函館は、似ていますか?


大西監督 似てますよ。東北から流れてきた人が北海道には多いですし、かつ函館は青森とか津軽に一番近いですからね。イントネーションも、函館は青森のイントネーションを引きずってます。気質も、ちょっと似通ってるところがあるような気がしますね。どこかで、函館人のルーツを見にいくようなニュアンスも自分の中ではありましたけどね。


Q. 函館のルーツを探しに、青森へ行かれた、と?


大西監督 それで映画を撮った訳ではないですけどね(笑)。そういう部分もあるな、なんて思いながら。


Q. 逆に、青森と函館で違いはありますか?


大西監督 もちろん、青森そのままじゃないですからね。違い……まあ、函館の方が、北海道に渡った分、土地の歴史に縛られてることがそんなに無いですかね。


Q. 監督としては、『津軽のカマリ』をどんな人に観てほしいと思われますか?


大西監督 こうして公開が始まって思うのは……いや、始まる前にも思ってたんですけど、お客様の層としては往年の竹山のことを知ってる高齢の方々が一杯来てくださるのかなとか想像してまして。もちろん、あらゆる世代の方に観ていただきたいんですけど、20代、30代、或いは40代……10代も含めて、若い世代の人に観てほしいと思っています。生い立ちを含め竹山から、日本人の在り様とか音楽の原風景を見たという話をしましたが、そこを知るというのは物凄く大きな意味を持つと思うんですよね。ただ、作る時に何を思ってるかと言うと、『津軽のカマリ』というタイトルにあるように、観に来るであろう津軽の普通のおっちゃん、おばちゃん達が「タイトルに恥じないような、津軽の映画だ」と思ってもらえるように……


Q. 「匂い(=カマリ)」というか……


大西監督 そうです。あと、竹山のことについても、「竹山のカマリがする映画になってる」と津軽の普通のおっちゃん、おばちゃん達が言ってくれるように作っていました。津軽で上映した時に、それは大丈夫だったと思いました。


Q. 次回作の構想は?


大西監督 あることはあるんですが……まだ「これ」というものではないですかね。


Q. 劇映画は撮らないんですか?


大西監督 いつかはまた撮りたいと思ってます。そうしないと、納まりが付かないような気がしてまして。


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「高橋竹山のような人は、二度と出てこないと思います。そんな竹山のことを、若い人が誰も知らなくなってしまう、埋没してしまうということはあってはいけないことだと思うんで、この映画を頑張って伝えていきたいと思います。名演小劇場では3週間は上映がありますので、ぜひ周りの方にお伝えいただけたらと思います。宜しくお願いします」


舞台挨拶の締めくくり、そう言って壇上を後にする大西功一監督に、観客席から送られた拍手はいつまでも鳴り響くことがなかった――。


映画『津軽のカマリ』

企画・製作|大西功一映像事務所  製作・プロデューサー|大西功一

共同プロデューサー|明山遼  音楽|パスカル・プランティンガ 

題字 | 間山陵行  タイトルCG | 嶋津穂高

出演 | 初代 高橋竹山、二代目 高橋竹山、高橋哲子、西川洋子、八戸竹清、

高橋栄山、須藤雲栄、高橋竹童  他

特別協賛|青森放送株式会社、宗教法人松緑神道大和山、タクミホーム株式会社、

田澤昭吾、竹勇会、藤田葉子、謡樂堂

配給|太秦  デザイン|なりたいつか ©2018 Koichi Onishi

2018|日本|104分|DCP|モノクロ・カラー|ドキュメンタリー


『津軽のカマリ』公式サイト

http://tsugaru-kamari.com