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2018年10月28日(日)シネマスコーレ(名古屋市中村区椿町)、公開3週目となる『止められるか、俺たちを』(監督:白石和彌/2018年/119分)の脚本を手掛けた井上淳一が、舞台挨拶に立った。


『止められるか、俺たちを』ストーリー

1969年春、21歳の吉積めぐみ(門脇麦)は、新宿のジャズ喫茶に入り浸るフーテンだ。
女優の心当たりが無いか尋ねてきた「オバケ」こと秋山道男(タモト清嵐)はめぐみのフーテン仲間で、ピンク映画のプロダクションに出入りしていた。

興味本位で秋山に案内させた「若松プロダクション」では、理論派の映画監督・足立正生(山本浩司)、駄洒落好きの助監督・ガイラこと小水一男(毎熊克哉)、飄々たる脚本家・沖島勲(岡部尚)が挙って、映画論を戦わせていた。

めぐみが「助監督になりたい」と一同に挨拶すると、若者が熱狂して止まない衝撃作を撮り続ける鬼才・若松孝二(井浦新)が現れるなり言い放った。「3年我慢したら、撮らせてやる」

若松プロでは厳しく濃密な時間が流れ、カメラマンの卵・高間賢治(伊島空)、スノッブを気取った助監督・荒井晴彦(藤原季節)ら、新進気鋭の才能が次々と集っては去っていく。そんな中めぐみは、何を撮りたいのか、自問自答を繰り返す日々を送っていた――。


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井上淳一は、『アジアの純真』(監督:片嶋一貴/2011年/108分)『あいときぼうのまち』(監督:菅乃廣/2014年/126分)の脚本を担当したシナリオライターであり、『戦争と一人の女』(2013年/98分/R18+)『大地を受け継ぐ』(2016年/86分/ドキュメンタリー)のメガホンを執った映画監督でもある。

犬山市出身で地元に縁があり、学生時代に通い詰めたシネマスコーレとは旧知で、『止められるか、俺たちを』を製作した若松プロダクションと浅からぬ因縁で結ばれた井上は、51シートのスクリーン前に立つに相応しすぎる映画人なのだ。


MC. 若松孝二という人は、この劇場の創設者であり、僕らからすると映画監督というより社長です。井上さんと、若松さんのご縁を聞いても良いでしょうか?(シネマスコーレ 坪井篤史副支配人)


井上淳一 ただ単に「師匠」と言うよりは、「師匠以上、父親未満」といつも言ってるんです。僕は19歳の河合塾で浪人してた時に、夏期講習サボッてそこの3列目の真ん中に座って映画を観てると若松さんがフラッと舞台挨拶に来て、震えながら「弟子にしてください!」と言って……「このまま別れたら、ただの地方の一映画青年だ」と思って、新幹線のホームに送りに行きまして、入場券のまま東京に連いていったのが、この世界で今ここにいられる全ての始まりです。観ていたのは『スクラップストーリー』(『スクラップストーリー ある愛の物語』監督:若松孝二/100分)ですから、1984年のことでした。


井上 だから、めぐみと一緒なんですよ。めぐみは3年と言われましたが、その時は若松さん4年と言ったんです。「4年で監督にしてやってる。だけど、うちは給料を全く払わない。でも、大学に入れば4年間親の金で遊べるから、その間に監督になれば良い」と、非常に明解に言う訳です(場内笑)。そうやって追い返したのかもしれないけど、僕は一度戻って大学に入り、若松プロに入ったんです。本当に4年半だったんですけど、『パンツの穴 ムケそでムケないイチゴたち』(1980年/88分/オムニバス)という作品を監督しました。僕が「用意、スタート!」と言ったら、ここで若松孝二が「カット!」って言ってたんですよ(笑)。だから、この映画は全く僕の話なんですよね。


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井上 6年前に若松さんがタクシーに撥ねられてしまって不慮の死を遂げた時、『千年の愉楽』(2013年/118分)という公開作品もあるし、次にすぐ撮りたいものもあると言っていたくらいで……僕らにとっては、時間を断ち切られちゃったみたいなもんで、どこか消化不良が残ってたんです。白石(和彌監督)はずっと「何か、若松プロの映画が出来ないか」って言ってたんですよ。若松プロって1965年設立という、僕と全く同い年なんですが、若松さんが29歳の時に作ってるんです。『止められるか、俺たちを』は100%実在の人物なんですが、2年前の4月1日で若松さんは生誕80周年で、ポレポレ東中野で特集上映やった初日に、今生きてる足立(正生)さん、秋山(道男)さん、ガイラ(小水一男)さん……秋山さんは亡くなっちゃったけど……僕たちが「レジェンド」と呼ぶ人たちと白石がトークをやって、その飲みの席で「めぐみという助監督がいて、高間(賢治)さんが自費で作った写真集があるけど、見る?」って白石に送って、それを見た超乗りに乗ってる優秀な白石和彌が「めぐみさん視点でやったら、出来るんじゃないか」って。それは2点良い事があって、一つは、そのめぐみさんが入った時って、『女学生ゲリラ』(監督:足立正生/1969年/73分/R18+)『処女ゲバゲバ』(監督:若松孝二/1969年/66分/R18+)を撮る直前という当時の若松プロの全盛期だってことなんです。しかも、若松プロが映画より政治に傾く時代です。そこから足立さんは実際パレスチナに渡って、本人は「長い海外出張」と言っておりますが、足立さんの顔は交番の国際指名手配犯でしか見なくなる訳です。もう一つは、若松孝二って本当に吃驚するくらいのモンスターな訳で、もし若松さんだけを描いたら偉人伝になっちゃうんですけど、めぐみの視点で描くことで「何者かになろうと一生懸命がむしゃらに足掻いた」子が持つ悩みや苦しみや喜びといった、皆さんの中にあるものに訴えかけられる映画になるんじゃないかということ。それが、白石の物凄くシャープなところなんですよね。今回僕はそんなに表に出ようと思わないのは、脚本家が一番しなきゃいけないコアな部分を白石が考えたからです。聞いた瞬間「やろう!」って2人で盛り上がった訳ですけど、白石は「この瞬間が一番楽しいですからね。ここからどんどん具体的になったら、嫌なこと一杯起こりますから」って言ったのに、なんと今もずっと楽しいままだという……本当に幸運な映画作りが出来たと思っています。


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MC. シネマスコーレでこんな映画を上映するなんて、想像もしてなかったですもんね。


井上 僕なんかも、「若松」って書いて、かぎ括弧でくくって台詞を書くなんて、思ったことすらなかったんですから。


MC. 上映時に映写室から映像チェックするんですけど、やっぱり最初のモノクロになってタイトルロールになる場面は、本当に震えます。こんなことを言うとまた若松さんに怒られるんでしょうけど、井上さんと白石さんは「叔父」みたいなものですし。


井上 白石だって、今あんなに売れっ子になってるけど、監督デビューは30代後半で、同い年に西川美和とか山下敦弘とか売れっ子が一杯いるんです。それを見ながら彼は助監督をやって、「一生撮れないんじゃないか」と思ってたという。白石が言うには、「若松プロの話を聞いて面白いと言うけど、それは勝ち組史観だ」と。言うなれば足利尊氏とか徳川家康の史観で、「本来は、死屍累々だったんだ」と。今日は長野でも(舞台挨拶を)やってきたんですけど、長野出身の市川洋平くんが演った三枝博之さんは京大出身で、ある作品の小道具を「万引きしてこい」と言われて、出ていったまま帰ってこなかったという……そういう人も、一杯いる訳ですよ(笑)。秋山道男さんは、大島渚監督の『新宿泥棒日記』(1969年/96分)の万引き指導だったんですから(場内笑)。その当時、紀伊國屋で1日20万円くらい万引きで損失があったんですが、撮影の時に秋山さんが実演して見せたら、当時の社長の田辺茂一さんが「これは分からない!」って言ったという(笑)。劇中のその後、秋山さんはどうなるかと言うと、無印良品の基本コンセプトは彼が作ったんです。その後も、チェッカーズのファッションだったり、キョンキョン(小泉今日子)がアイドルでありながらアイドルを嗤うようなコンセプトも、「企画:秋山道男」です。ただ、実は秋山さん、この映画が披露された9月20日の前日、9月19日に前立腺癌で亡くなりました。門脇麦ちゃんが歌う曲は秋山さんの作詞作曲なので、もし一年でもずれてたら、この映画はこの形では成立していなかったんです。パンフレットで「レジェンド座談会」をやったんですよ。秋山さんは普段温厚なのに、その日はまるで遺言のようにいつもと違うことを言う訳です。途中で秋山さんの体調が悪化して退席する時、足立(正生)さんが「お前ら、これが最後だと思えよ」って……。本当に、この映画は中々の奇跡的なタイミングが重なったんです。


MC. (井浦)新さんの演じた若松さんが、本当に素晴らしくて……それは若松さんのことを知らない人にも伝わると思うんですが、知ってる方からすると本当に似すぎているところがあって。


井上 クランクインの2週間前、シナリオの決定稿を印刷に出す前に、一応レジェンド達の御意見を伺いました。儀式的にやろうという事で、新さん達も集まって皆で聞いた訳です。その当時、WOWOWのカメラも入ってる前で、僕と白石はボロクソに言われたんです。我々は当事者だから反論できなかったんですが、新さんがレジェンド達に向かって「皆さん言っときますけど、僕たちは“モノマネ大会”をやる気は一切ありませんから」って言ったんです。彼は、「若松さんからはずっと「お前の心を見せろ!」って言われ続けた」と。三島をやった時(『11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち』2012年/119分)も「三島に似せなくて良い。お前の三島を演じる心を見せてくれ!」って言われたそうで……新さんは、それを演ったと思うんですよね。今日も彼らは東北6ヶ所を回ってるんですが、若松プロって行くと何をやるかと言うと、まずパンフレットにサインをする訳です。それも、当日のお客さんの分だけじゃなく、その後も売る分全部を。新さんは、何も言わずそれをやるんです。初日のテアトル新宿ではキャストが10人くらいいたんですけど、新さんが先頭になってそれをやるから、誰も何も言わない……新さんは、マネージャーもスタイリストも連れてこないんですね。映画は作っただけじゃなく人に観ていただいて初めて完成すると言いますが、新さんは映画の中だけでなくスクリーンの外でも、若松プロことを本当に体現しようとしてるんですよ。


MC. 若松さんを最期まで見てた新さんですもんね。


井上 そうですね。亡くなった時は、釜山国際映画祭の打ち上げで蕎麦屋で飲んでたんです。飲みすぎた若松さんは、新さんのタクシーが出て行くのを待ってから歩き始めて撥ねられた……そんなこともあったので、新さんが公開2日目にここ(シネマスコーレ)に来て「止まっていた時間が、やっと動き出しました」って言ったのは、本当だったと思いますね。


MC. 『止められるか、俺たちを』の凄いところは、何かをやっている人に「やってても良いんだ」と思わせてくれるだけでなく、若松プロを全く知らないような人にも何かを伝える作品なんですよね。


井上 やっぱり、どこかで自分たちの話だからですよ。たまたま僕は皆さんの前にこうしているけれど、53歳で今この位置って大したことない訳ですよ、正直言えば。いつ止めてもおかしくなかったのに、我々はこの作品と紙一重のことをやってきたんですよね。ここで前に舞台挨拶をやった時に、外で涙を溜めながら「僕も助監督やっていて、辞めてこっちに戻ってきたんですけど……もう一度何かをやろうと思いました」って言ってくれた方がいたんです。「誰の助監督をやってたんですか?」って聞いたら、「若松プロからしたら、とても恥ずかしい……三池崇です」って(場内笑)。全然、俺たちよりメジャーじゃん!って(笑)。朝ドラ(『純と愛』2012年『わろてんか』2017年)に出てた岡本玲ちゃんがこの間、この映画が「骨皮汗まで熱くなった」ってTweetしてたんです。多分、岡本玲ちゃんも色々な想いがあったんでしょうね。


MC. 映画の面白いところで、ここから若松プロのことを知ろうとする方もいらっしゃると思うんですよね。


井上 いや、その通りだと思いますよ。この映画は、情報量も多いですし。めぐみという「アリス」が若松プロという「不思議の国」に迷い込んだ話だから、僕は「不思議の国」をちゃんと描かないといけないと思ったんです。若松プロのことを描きたくてやったんだけど、確かに情報量過多なんですよね……誰が誰なのか、固有名詞も。だけど、例えば『アラビアのロレンス』(監督:デイヴィッド・リーン/1963年/227分)を観た時に、我々は誰も分からない訳じゃないですか……「どこかのアラブの王様」という記号の中で観ていた、それで良いんじゃないかと思って。スタンリー・キューブリックは「ピカソの絵を観て、一回で「分からない」って傲慢でしょう。なんで『2001年宇宙の旅』(1968年/161分)を一回観て「分からない」って、貴方たちは平気で言うのか?」って言ったけど、「2度噛んでも3度噛んでも美味しい映画を作ろうぜ」って、白石とは言ってました。だから、絶対に字幕なんて出さない……それは、お客さんを馬鹿にしてるだろう、と。例えば「大島渚」と出すのは簡単ですけど、それは止めよう。その代わり、ちゃんと脚本でも描き分けるし、白石も見事なキャスティングをしています。


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井上 『映画芸術』の編集長でもある荒井晴彦がパンフレットで言ってるんですけど、『止められるか、俺たちを』というタイトルが問題だと。「この映画の登場人物の中で誰かが一回でも「止められるか、俺たちを」と言ったのか?」もしくは、「女の子が主人公なのに、なんで男の人称なのか?」って、荒井さんがボロクソに言って。実は『止められるか、俺たちを』というのは、暴走族ブラックエンペラーの写真集のタイトルで、若松さんはこのタイトルで暴走族の映画を作ろうとしたんです。それが実現しなくて、その後90年代に『レザボア・ドッグス』(監督:クエンティン・タランティーノ/1992年/159分)みたいな強盗映画を同じタイトルでやろうとしたんです。2回もやろうとして駄目だったタイトルが、この『止められるか、俺たちを』なんですよね。僕はそのことをパンフレット(の座談会)で言ったら、「そんなこと関係ねえだろう!」って言われたんですけど……普通インタビューなんかしない荒井さんが『映画芸術』で門脇麦ちゃんと初めて2人で対談した時、「タイトルが悪い」って言ったら、麦ちゃんが「でも、(若松)監督が昔やろうとしたタイトルですよ」って言ったら、「なら、仕方ない」なんて言ってるんですから(場内笑)!荒井さんは僕の師匠なんですけど、そういう人なんですよ(笑)。荒井さん、自分の映画に麦ちゃんをキャスティングしたかったんですけど、売れ始めた頃で出来なかったことがあるんですよね。


井上 僕が唯一「創った」のは、劇中の『浦島太郎』は僕が内容を作ってるんです。高間(賢治)さんは、自分の彼女の監督でカメラマンまでやってるのに、何も覚えてなかったんです。あの記憶力の良い荒井晴彦も、内容は覚えてなかった。足立さんに至っては「めぐみ、撮ってたっけ?」って言ったんです。残酷なことに、彼女は誰も内容すら覚えてない映画を撮っちゃったんです。この世界って、そういう残酷なことがあるんですよね。


MC. 最後に一言、お願いします。


井上 繰り返しますが、映画は観ていただかないと完成しません。かつて「めぐみ」であった皆さんに、今でも「めぐみ」であり続けようとする皆さんに、心の中に届くように作ったつもりでいますので、この映画の応援を宜しくお願いします。あと、若松プロは今後どうなるか分かりませんが、注目してください。今日はどうもありがとうございました。


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若松プロに集った「レジェンド」達が今もなお映画界で綺羅星の如く燦然と輝き続いているからこそ、映画ファンは『止められるか、俺たちを』に惹きつけられて已まないのだろう。

そして、そんな「レジェンド」達の魂を受け継いだ映画人が作った作品だからこそ、こんなにも心を揺さぶられるのだろう。


『止められるか、俺たちを』という大看板によって見事6年ぶりの再始動を遂げた若松プロダクションを、これからも赤心の念で注視したい。


井上淳一氏を囲んだ懇親会に飛び入りした映画青年の発した「いつまでも、この場所にいたいです!」との言葉ではないが、私たちはいつまでも映画を愛したい。

そして、私たちの愛する映画は、いつまでも「心地好いヤイバ」で在り続けてほしいのだ――。


映画『止められるか、俺たちを』公式サイト

http://www.tomeore.com