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日本の映画監督には、「吉田」姓が多い。

代表格といえば、『パーマネント野ばら』(2010年)、『紙の月』(2014年)、『羊の木』(2018年)の、吉田大八監督。
青春映画の金字塔『桐島、部活やめるってよ』(2012年)は、オールタイムベストに挙げる映画ファンも多いだろう。

重鎮でいえば、『エロス+虐殺 』(1969年)、『戒厳令』(1973年)、『人間の約束』(1986年)の、吉田喜重監督。
「アナーキズム」という言葉は、この吉田監督で覚えた人もいるのではないだろうか。
『鏡の女たち』(2002年)では健在ぶりを大いにアピールした。

そして、『お姉ちゃん、弟といく』(2006年)、『ソーローなんてくだらない』(2011年)、『女の穴』(2014年)の吉田浩太監督。
大病からのカムバック作『ユリ子のアロマ』(2010年)には、筆者も拍手を送った一人だ。

忘れてならない、『江ノ島プリズム』(2013年)、『クジラのいた夏』(2014年)、『びったれ!!!』(2015年)の、吉田康弘監督。
『バースデーカード』(2016年)では、宮崎あおい、橋本愛、ユースケ・サンタマリアらビッグネームをキャストに迎え、見事な演出を付けていた。

だが後もう一人、日本映画界には最重要人物の吉田監督がいるのだ。

『机のなかみ』(2006年)で颯爽と長編デビューするや、『純喫茶磯辺』(2008年)『さんかく』(2010年)で頭角を現し、『ばしゃ馬さんとビッグマウス』(2013年)『麦子さんと』(2013年)とヒット作を連発。
新井浩文、窪田正孝、江上敬子(ニッチェ)、筧美和子という異色の4人を演技合戦へと叩き込んだ『犬猿』(2018年)の記憶も新しい、その人の名は――
そう、吉田恵輔監督である。

そんな吉田恵輔監督の待望の新作は、9月14日(金)からロードショー公開が始まる。
また一つ生まれた衝撃作のタイトルは、『愛しのアイリーン』だ。

『愛しのアイリーン』ストーリー

宍戸岩男(安田顕)は、認知症の父・源造(品川徹)、頑固一徹の母・ツル(木野花)と暮らす、うだつの上がらない独身男。42歳の誕生日にプレゼントをもらったことを切っ掛けに、職場の同僚でシングルマザーの吉岡愛子(河井青葉)に告白するも、岩男の恋は敢え無く砕け散った。絶望した岩男は、突然姿を消してしまう。
岩男が行方不明になり、ツルは半狂乱で探しまわる。近所にも職場にも行きつけにも手掛かり一つ無く、捜索は早々に暗礁に乗り上げるが、ツルは決して諦めない。ある夏の日、認知症を患いながらも独り立ちできない岩男を心から心配していた源造が、唐突に命を落とす。
源造の告別式真っ只中、父の死も知らぬ普段着の岩男が姿を現す。息子の帰還に色めき立つツルだが、見る間に眉間の皺が寄り始める。岩男の背中に隠れていたフィリピン娘・アイリーン(ナッツ・シトイ)は言い放った。「イワオサンノ、オヨネサン、ナリマシタ」

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前述のオリジナル作品も大きな魅力だが、吉田恵輔監督には類い稀な才能がもう一つある。
それは、原作つき劇場版作品が抜群に面白いことだ。

『銀の匙 Silver Spoon』(2014年)は、週刊少年サンデーに連載された荒川弘の漫画原作の雰囲気を壊さず、爽やかな青春映画に仕上げた。
それどころか、原作で見逃されがちだった不穏な雰囲気までをも見事に写し取り、アイドル映画を遥かに逸脱した「理不尽な人間賛歌」とでも呼びたい良作だった。

『ヒメアノ~ル』(2016年)は、古谷徹の原作が持つ、虚無感が漂う暴虐性、自嘲感が溢れたブラッ
クユーモアを、高い純度で再現、昇華させた傑作だ。
意外なことに本作が初の映画単独主演作品となったV6の森田剛。彼の凄さをこの映画で初めて思い知ったという映画ファンも多かった。

『愛しのアイリーン』でも、そんな吉田監督の手腕が存分に発揮されている。
吉田恵輔監督は、原作漫画を読み取り、消化し、再構築する技術に長けているのだろう。
吉田監督の映画を鑑賞すると、「そうか、この漫画はこういう作品だったのか」「あの場面、こんな意図があったのか」と気付かされることが多い。

『愛しのアイリーン』は、そもそも原作である漫画が傑作だ。
巧みなストーリーテリングは言わずもがな、繊細でいて勢いのある圧倒的な画力、時に疲労感を覚えさせるほど読者を虜にする画面構成、『愛しのアイリーン』作者の新井英樹の漫画作品は、まさしく総合芸術である。
誤解を恐れずに言い換えるとすれば、新井英樹の漫画は「映画的」なのだ。

映画的な総合芸術を表現できる漫画家、消化した原作を昇華と呼べる高みで再構築できる映画監督。
二人の作家性がぶつかり合う『愛しのアイリーン』は、傑作となるべくして生まれた作品なのかもしれない。

ただ、それ即ち、キャスト陣に掛かる負担は想像を絶するものがあろう。
だが、そこは安心していただいて大丈夫、吉田恵輔監督はキャスティングでも非凡な才能を持つのだ。

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主人公の宍戸岩男には、安田顕が挑む。
正直ルックスは向いているとは思えない美形の安田だが、そこはさすが北海道が産んだトリックスター、鑑賞を終えた者は彼の岩男役に膝を打つこと間違いなしだ。

俳優・安田顕はこれまでも数々の難役、奇役を、熱演、怪演でこなしてきたが、『愛しのアイリーン』は別格中の別格である。
安田は『俳優 亀岡拓次』(監督:横浜聡子/2015年)でカメレオン俳優を好演し、彼にとって「名刺代わりの映画」となった。
『愛しのアイリーン』はといえば、安田にとって「裏の代表作」だ。
今後の安田顕の俳優人生において、良くも悪くも少なからぬ影を落とし続けることは間違いない。

そんな安田顕の俳優人生を懸けた「狂演」に、共演陣も火花を散らして呼応する。
木野花、品川徹、田中要次、福士誠治、伊勢谷友介……
特に、全員と直接絡む安田顕、岩男とのシーンは注目だ。
抜き身の刃で斬り合いをするような、役者魂のぶつかり合いを見ることができる。

そして、二人のヒロイン、アイリーン役のナッツ・シトイと、愛子役の河井青葉がスクリーンを彩る。
「体当たり」などという言葉では到底届かない、身震いするような「艶技」に、必ずや目を奪われるだろう。

だが、実は『愛しのアイリーン』には、もう一人のヒロインがいるのだ。
真嶋琴美役の、桜まゆみである。
実は彼女、今作を調整する「バランサー」と呼びたい重要な役を担っている。

原作漫画と同様、『愛しのアイリーン』は観客を戸惑わせる。
力が漲っているからこそ、鑑賞者はどんな心持ちで観たら良いのか分からなくなってしまう。
シリアスなのか、コメディなのか……その狭間で揺蕩う観衆は、桜が演じる琴美が登場するとホッと一息吐くことができる。
「ああ、このテンションで観るのが良いんだね」、と。

『テンプルナンバーゼロ』(2014年)『サーチン・フォー・マイ・フューチャー』(2016年)といった松本卓也監督作品などインディーズ映画の分野で力を発揮してきた桜まゆみだが、近年活躍が目覚ましい。
吉田恵輔監督作品では、『犬猿』に引き続いての出演となる。
とうとう、メジャー作品も彼女の魅力に気付いてしまったのだ。

衝撃作を産む漫画家……
昇華に長けた映画監督……
作品に魂を捧げた役者陣……

三位一体となった映画『愛しのアイリーン』は、映画ファンの想像を易々と凌駕する怪作、快作、魁作となった。
粟立った肌という肌から熱を奪い取られ、それでも尚胸の奥に残る、魂の慟哭……是非とも、劇場で味わっていただきたい――。

映画『愛しのアイリーン』公式サイト


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