西方寺(岳翁山 往生院:津島市天王通り四丁目二十三番地)は、創建が天文九(1540)年という浄土宗(鎮西派)の古刹。
津島市には4組が残っている「十王尊」像を、十尊揃いの完全な形で残している。
十王とは、仏教、道教の地獄で、亡者の裁判を執り行う十尊のこと。
人間ら衆生は没後、初七日〜七七日(なななのか=四十九日)、百か日、一周忌、三回忌と、順に十王の審判を受けるという。
西方寺は元々橋詰町にあったのだが、幾度か火災に遭い、現在の場所へ移ってきたのだとか。
その時、何故だか近隣の堤下村(当時)にあった十王堂も一緒に移設したという。
十王尊像が作られた年代ははっきりしないそうだが、西方寺の移転が江戸時代初期のことというから、少なくとも17世紀前半には存在が認められることになる。
そんな十王尊像の存在があったからであろう、西方寺には十王尊に因んだ地獄絵をモチーフにした、四幅の掛け軸が存在している。
こちらは作製時期がはっきりしていて、箱書によると「元禄十三辰(1700)年」だそうだ。
昨年、ほぼ100年に一度行っている、三度目の改修を終えたばかりだという。
この四幅の地獄絵図が、毎年お盆時期に限り一般公開される。
間近で観るには僧職の方がいらっしゃる時間に訪ねる必要があるため、盂蘭盆会でお忙しい中、安部真誠住職に無理を言ってお時間を取っていただいた。
一幅目、描かれているのは、
秦広王 本地:不動明王……初七日(7日目)
初江王 本地:釈迦如来……二七日(14日目)
本地垂迹説が盛んな日本では、独自の本地仏が定められたのが興味深い。
二幅目は、
宋帝王 本地:文殊菩薩……三七日(21日目)
五官王 本地:普賢菩薩……四七日(28日目)
閻魔王 本地:地蔵菩薩……五七日(35日目)
三幅目、
変成王 本地:弥勒菩薩……六七日(42日目)
泰山王 本地:薬師如来……七七日(49日目)
平等王 本地:観音菩薩……百か日(100日目)
そして、四幅目、
都市王 本地:勢至菩薩……一周忌(1年後)
五道転輪王 本地:阿弥陀如来……三回忌(2年後)
地獄の責め苦も、克明に表現している。
「子供の頃は、本当に怖かったですよ」
とは、御住職の談。
さて、注目してほしいのは、十王信仰の中心となる『閻魔(大)王』が描かれた、二幅目の掛け軸。
安部住職 何故かしら、真ん中にお地蔵さんが描かれています。閻魔様は、地蔵菩薩の化身なんですけど……閻魔大王が描かれているのに、何故かお地蔵様も描かれているんですよね。
この話、映画ファンなら何かの作品を思い出さないだろうか?
そう、原恵一監督『百日紅 Miss HOKUSAI』(2015年/90分)だ。
安部住職 六道輪廻の地蔵尊とか、六地蔵とか、お地蔵様は六体がセットであることが多いです。地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天と六つの世界を走り回り、あちこちに行って救済をするのが、お地蔵様の役目なんですね。それで、こちらにも描かれているんでしょうが……それにしては、えらく小さいんですよね(笑)。
確かに、地蔵菩薩も周りで救いを求める人々も、周囲の絵に比べて間尺が合わないように感じるほど、小さく描かれている。
まるで、後から描き加えられたようにも……などと、様々な想像を巡らすと絵図の印象も一味変わってくる。
尾張津島、西方寺さんの地獄絵図は、毎年お盆には本堂で公開される。
公開を心待ちにする人々からの熱望も多いので、他にも一般公開の機会が持ち上がるかもしれない。
その際は……是非とも『百日紅』を観てから、見てほしい。
心から湧き出る感想が、一重にも二重にも豊かなものになるかもしれないから――。
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